うち明け話
「離婚……ですか?」
「そう」
一度吐き出した後は、ぽつりぽつりと、しかし止まることなく言葉が続いた。
「子供が就職で家を出て行ってね、やっと一段落ついたと思ったら、夫から話があるって言われたのよ。
付き合ってる人がいるって」
「えっ……」
「それも20年前からだって言うのよ」
「それは……ひどいですね」
ちら、と彼の顔がかすめる。
癒し系で優しい彼は、不倫とは無縁だろうけど……人生はなにがあるかわからない。
今日のデートがなくなるのだって、予想外だった。
「ひどいわよね。だけど最初はひどいって思えなかったの、私。
不倫のショックでぼう然としてる時に『別にいいだろう、俺が養ってやってるのにお前が至らないからだ、お前が悪い』って言われて……自分でもそう思ってしまった。
夫は『子供や親戚の手前、離婚はしない』って、仕事から帰ったら自由気ままに過ごして、週末は堂々と不倫相手の元に行くようになったわ」
「……つらかったですね」
彼女は二三度瞬きした。
「親戚にも友達にも、とても言えなかった。
ギスギスした空気の中生活してて、押しつぶされそうだったの」
私は想像する。
もし20年も夫に裏切られていたと知ったら。
足元からガラガラと崩れるようで、それはとても、怖いことだった。
「そんな時、テレビで碧水館の特集を見かけたの。気づくと予約を入れていたわ。
運よく、すぐ予約がとれてね。『とにかく家にいたくない』って思いで電車とバスに揺られてここまで来たの。
でもいざ着いたら『こんなところで何をしてるんだ!』って夫が怒鳴り込んでくるんじゃ、って不安になって。人目があるロビーにずっといたの」
彼女は夜空を見上げる。私も見上げる。
三日月が夜空にあった。
「ほんのわずか、期待もしてたわ。
『お前がいないとだめだ、うちに帰ろう』って迎えに来てくれないかって。
馬鹿よね、ここにいることさえ言ってないのに」
「それで、ロビーで不安そうにされていたんですね」
「見てたの?」と四位様は驚かれた。
「すみません、後輩達が四位様のことを心配して、教えてくれたんです」
「あら……心配かけたわね」
「ちなみに、受付で名前を書き間違えたりされませんでした?」
「ああ、あれ?」
四位様は「ふふっ」と笑った。
「受付でなんとなく旧姓を書こうとしたのよ。でも途中で、偽名は犯罪になるんじゃないか、ってやめたの。
……旧姓はね、松谷っていうの。松谷冬美」
「いいお名前ですね」と私は言った。
「ありがとう。
私ね、昨夜あなたの接客が本当に嬉しかったの。夫と旅行して落とし物なんてしてしようもんなら、『お前が抜けてるからだ』って怒鳴られていたもの。
きちんと働いている人に、責められることなく丁寧に対応してもらって、ここでは夫の目を気にしなくていいと思うと安心して、嬉しかったのよ」
昨夜、お部屋をノックしてよかったと私は思った。
少しでも早く、そんな気持ちになってもらえたのなら……。
「昨日、ロビーで仲睦まじい夫婦を見たわ、私はああはなれなかった。
20年間、無駄にしたんだろうかって、この池を前にしてまた、涙が出てきた。
でも」
今度は、松谷様が私を見てうなずいた。
「またあなたが来てくれた。あなただって気づいた時、まるで仏様みたいだって思った。
一人になっても、悪いことばかりじゃないかも。そう考えたら『離婚しよう』って、一瞬で決心がついたのよ」
驚いた。
デートがなくなり、もやもやした気持ちのままここに来た私が、そんな風に見えていたなんて。
松谷様は「ご結婚前の方に聞かせる話ではなかったわね」と付け足した。
急に話が私のことになって、戸惑ったけれど。
胸にはずっと、後輩達に言えない悩みが確かにある。
ここまで打ち明けてくださった松谷様になら、話せる気がした。
「いえ……私も、悩んでいるんです。
結婚して、本当に家族になって、幸せになれるのか」