夜勤
そこからは忙しかった。
「鍵を部屋に閉じ込めちゃったんです」という女の子たちに始まり、「学生の声がうるさい」とお申し出があり、先生方に恐縮しながら伝えて、大浴場の場所を聞かれ、忘れ物を預かり……。
やっとフロントに戻ってからは最終のチェックインを受け付けて入口を施錠。メールでのお問い合わせに対応し、碧水館の口コミをチェックする。
ふと顔をあげると、日中賑やかだったロビーはしん、と静まり返っていた。ライトアップされた中庭がより美しく、改めて「大変だけど、この仕事が好きだな」と思った。
だけどいつまでもこのままではいられない。
再来月、私は結婚を控えている。
結婚後は好きにシフトを入れるのも難しくなる。社宅も出るし、彼のことも考えて働かないといけない。
それに、私には彼に対する引け目もある。後輩二人にも言えないこと。
お手洗いに立って、鏡を見た。
くたびれて、眉毛が下がっている。ロビーで四位様がご夫婦を見ていた表情と、よく似ていた。
長い夜が明けていく。端末を確認してモーニングコールをかける。
まだ眠そうな顔で、カメラを手に天鏡池に出かける方達を見送る。
そのうち怒涛のチェックアウトが始まり、日勤の引継ぎをして夜勤は終わった。
社宅に戻り、ヒールを脱いだ時には足がパンパンになっていた。
シャワーを浴びてベッドに倒れ込む。
もう、このまま海の底に、いや天鏡池の底に沈んで、深い眠りにつきたい。
何も考えず、光る碧色の水面を見上げながら、ゆっくりたゆたうように……。
とは思ったものの、休みを無駄にしたくないタイプの私はしっかりアラームで目を覚ました。身支度をして、部屋を出る。
社宅は碧水館裏手の森の中。外に出ると太陽はすでに高く、空は澄んでいた。
車に乗り込み、紅葉のトンネルの中を通り抜けていく。
今日は仕事帰りの彼と待ち合わせ、そのまま泊まって、明日の休みも一緒に過ごす予定だった。近頃結婚式の打ち合わせが続いていて、「たまにはゆっくりしよう」という話になっていた。
ふもとの町で遅いランチを食べて、さらに車を走らせる。ショッピングモールに足を伸ばし、服や雑貨を見ると、スマホに彼からのメッセージが届いた。
「ごめん、今日のデート行けなくなった」