2.入学テストとコレル・アロー
“礼を言うわね、明けの星”。
言うだけ言って、ベーゼリッテの意識はとぷんと沈んだ。
とたんに鏡面世界が反転する。現実と内面世界が入れ替わる。
表情を凍らせたアスタリテに、ターニャは今度こそ心配そうに眉根を寄せた。
「お嬢様? 本当に大丈夫でいらっしゃいますか」
「え、ええ。平気よ」
アスタリテは、ぎこちなく微笑んだ。
自分だって信じられないのだ。話したって、とうてい信じてもらえないだろう。
結局、促されるまま自室を出て階下の食堂へ。
巻き戻った十四歳の朝を律儀にやり直し、爽やかな朝日に照らされて馬車に乗った。
(この体には魔女がいる。でも、たまにしか使わないと言っていたわ。今のうちに整理しなければ……)
カタコトと座席で揺られながら学園へと向かう。
朝食の席で「がんばっておいで」と送り出してくれた父も、「可愛い。似合うわ」と制服姿を褒めてくれた母も、おぼろげながら記憶の通りだった。
が、魔女が過去をそのままなぞらえさせてくれるとは思えない。
目的は何なのか。
なぜ、この体なら都合が良いのか――?
車窓にうつる不安げな顔は紛れもなく私。
灰髪の父アルガスとも、茶髪の母トリアとも異なる銀髪は、ディアブロ伯爵家に稀にあらわれる色彩という。でも。
「うっ」
ずきりと痛むこめかみを押さえ、アスタリテは俯いた。座っているのに視界が回る。立ちくらみよりひどい。
座席にもたれるといくらか楽になったが、こと、在学中に起きた出来事を思い出そうとすると頭に靄がかかる仕組みらしい。
(……ベーゼリッテの干渉かしら)
ちらりと考えると、まるで“そうよ”と言わんばかりに心に浮かぶ黒髪の少女が紅唇を歪めた。
***
レーゼ王国の貴族子女が集う学園は、端的にいえば社交の基礎を学ぶ箱庭。
基礎的な学業や教養、および希望があれば剣術も。才があれば魔法の腕も磨ける。
その過程で必要な人脈を築いたり、結婚相手を探すのだ。
婚約に関しては入学前に定められる者と、入学後に自力で探すよう言い含められる者が半々。学園で出会った両親を持つアスタリテは後者だった。
門前の馬車だまりで降りたあとは真新しい革の鞄を持ち、徒歩で敷地内を進む。周りじゅう新入生だらけであり、みんな緊張の面持ちをしている。
講堂前ではあらかじめ通知のあったクラスごとの列に並び、案内に従って中に入って着席。粛々と式典を行う。そのあとは担任の先生に引率され、各クラスへと移動した。
「ようこそ、新入生諸君。私がこのクラスを担当するアローだ。一年目は全科目を教える。専門は魔法。本日は学力テストを受けてもらう。筆記具は机のなかのインクとペンを使用するように」
アスタリテは目をみはった。
大きな上下二段式の黒板を背に、教師がテストの説明をしている。
この光景は、うっすらと覚えがある。
暗緑色の長髪に冴え冴えとしたまなざしの男性教諭。名はコレル・アロー。
彼は若くして学問を修め、史上最年少で学園教師となった。たしか、年齢は二十代後半。容姿の端麗さと効率重視の素っ気なさがいいと、一部の生徒から人気を博していた。
その証拠に、教室では早くも女生徒たちが騒ぎ始めている。
それらを黙殺して一斉にテスト用紙を飛ばしたのは魔法のわざだろう。これには全員がどよめき、度肝を抜かれていた。
そんななか、アスタリテは淡々と用紙を確認する。
幸い知識に欠けはない。卒業目前の状態を維持していたことに感謝して生徒共用のペンをとった。
――――初手として、これがまずかったと知らず。
***
翌日放課後、アスタリテは教師棟に呼ばれた。
一度目の学園生活は良くも悪くも平凡だったため、こんなことは初めてだった。
おっかなびっくり中庭を通ると、ツタが絡んで古めかしい旧館が見える。その石段を上がり、丈夫そうな樫の扉をひらくと、まっすぐ伸びた通路の片側にずらりと木札をかけた扉が並んでいた。階段は手前と奥の二ヶ所にある。
手前の事務室で用件を告げると、女性事務員は「六番目へどうぞ」と教えてくれた。たしかに六つ目は「アロー教諭室」とある。アスタリテは、ままよ、とノックをした。入室を許可されたので、そうっと開扉する。
「失礼します」
「来たか。ディアブロ」
「はい。お呼びと伺いました」
両側を書棚に挟まれた長細い部屋の奥、窓側にコレル・アローは座っていた。すでにふたりの男子生徒が呼びつけられている。振り返った彼らと目が合ったとたん、また、記憶が蘇った。
――――くらりとした。
本当に、なぜ、こんなきらきらしい生徒たちと一緒に呼ばれたのか。
アスタリテは指示どおり、先着の生徒ふたりの横に並んだ。
「これで全員だな」
アローは何かを書きつけていた手を止め、ちらりと三名に視線を流した。
「おめでとう。君たちは昨日のテストの全問正答者だ。よって、これを授与する。今後も皆の範となるように」
手渡されたのは制服と同じ、キャメルブラウンのケープだった。胸元には金ボタン。左胸には金糸で校章が縫いとられている。
(!!)
やってしまった、とアスタリテは青ざめた。
これは、一学年にわずかもいない、学年首席に相当する模範生のケープだ。
できれば穏便に過去をなぞらえたかった。そうして、思い出せる限りの「自分」を取り戻したかったのに。
――――忘れてしまった婚約者との出会いも。
きっと、思い出せると信じていたのに。
固まるアスタリテをよそに、アローはケープを着用した三名に自己紹介を促した。アスタリテの反対側からだ。
金髪の男子生徒ふたりは、軽妙なテンポで続けざまに名乗り、こちらを覗き込んだ。
「ええと、シュラト・セザール。セザール公爵家嫡男です。よろしくね、アスタリテ嬢」
「僕はカルマ・セザール。同じ顔だけど区別つくかな? セザール公爵家次男だよ。よろしく」
「は……い」
アスタリテはショックと、目の前のあまりの眩さによろめいた。
身長が近いから目線も近い。そのぶん美貌がまぶしく、圧もつよい。そっくり同じ金髪翠眼に白磁の肌の令息がたは、たいそう気さくに挨拶をしてくれた。
彼らは前回の学園生活でも有名だった、セザール公爵家の双子だ。
ちなみに髪型も声も同じ。区別などつくわけがない。
それでも礼儀を失するわけにいかない。
アスタリテは、ふわりとカーテシーをした。
「おふたりのことはかねてより。私は、ディアブロ伯爵が長女アスタリテと申します。よしなに」
「あっ、そんなに畏まらないで」
「そうそう。同じクラスなんだし」
ぱあっと表情を華やがせたシュラトとカルマは交互に身を乗り出し、堰を切ったように話しかけてくる。
やれ、これで生徒会入りは必須だの。婚約者はいるかだの。
「え、あの」
「セザール、騒ぐなら帰りなさい。ディアブロ、不躾な質問には答えなくとも良い」
じりじりと後退するアスタリテを見かねてか、アローは机上で手をひらつかせた。
アスタリテは胸の前で両手を組み、思わず救いの神を仰ぐ面持ちとなる。
「先生っ」
「親交はべつの機会でいいだろう。解散だ」
「はい。アロー先生」
「失礼しました」
これには、双子は素直に従った。
***
帰邸後、アスタリテは両親に褒めそやされた。
成績優秀者のケープは父母の代から続く憧れの象徴らしく、入学祝いに匹敵するご馳走を夕食に並べられる。
その席で、話題はアスタリテの婚約へと移った。
おそらくカルマ(推定)の質問を受けてのことだろう。婚約者はいるか、との。
アルガスは灰色の口髭をいじりながら娘を見つめた。
「じつは、遠縁から養子を迎える手はずにしている。つまり、いざとなれば家督はどうとでもなる。学園生活は始まったばかりなのだし、焦らずともいいだろう」
「そうなのですか」
「うふふ、お父様は子煩悩なのよ。笑わないでいてあげてね、アスタリテ」
「まあ! お母様ったら」
既視感じみた光景にほっとしつつ、アスタリテは肩の力を抜いた。
そう――入学してすぐ、弟ができるのだ。記憶の仔細は霞んでいるけれど。
(仲良くできるといいな)
ふんわりと笑んで食後の紅茶をくちにすると、母のトリアが首を傾げた。
「そういえば、コレル先生のお母様のアロー侯爵夫人とはたびたびお茶会でご一緒するの。あなた、先生から何か言付かっていない?」
「えっ……何も。ふつうに『帰りなさい』と言われたわ」
なあんだ、そうなの――
そう言って眉を下げる母のお喋りも入って来ない。
内心、ひどく動転したアスタリテは、ぼうっとしてカップを受け皿に戻した。
わずかだが、記憶が消えていた。
どうやってアローの部屋を出たのか、まったく覚えがなかった。




