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鏡の檻のアスタリテ  作者: 汐の音


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1/2

1.鏡の檻のアスタリテ

挿絵(By みてみん)

(イメージイラスト/汐の音)


暗黒ファンタジー冒頭企画(2024年)参加作の連載版です。

毎週木曜日更新をゆるくめざします。

よろしくお願いします。


 生ぬるい風が頬を撫でる。アスタリテはごくりと喉を鳴らし、右手に携えた銀の燭台で斜め下を照らした。


 ジジッ……


 灯芯が鈍い音をたて、炎がいやいやをするように揺れる。アスタリテは己を鼓舞し、きっ、と前を見据えた。


「だめよ。行きなさい、私……!」


 膝がカクカクと笑うのはしょうがない。怖じているのは、自分わたし

 おそるおそる覗き込む当家の地下は四角く切り取られた(あぎと)のようで、大人ひとりが通れるほどの幅しかない。階段は急勾配だ。隠し扉の取っ手を隠されて封じられていたわりには、ちっとも(かび)臭くない。

 まるで、どこかべつの外に通じているような。


(空気に流れがあるんだわ。言い伝えとは違うのかも。ただの……抜け道とか)


 よくよく考えれば、こんなに大それた抜け道が可もなく不可もない程度の伯爵家(わがや)にあるはずもない。なのに馬鹿げた現実逃避をやめられない。

 平常ではあり得ない己の衝動を。歯止めをかけたがる恐怖心をぼんやりと紛らわせたかった。

 足を滑らせないように気をつけながら、四角い闇へと身を滑らせる。


 階段は灰色の石造りだった。やわらかな室内履きは足音を出す危険から守ってくれる。家人に見つかるわけにはいかない――

 秘密裏に()()を終えなければならないので。


 一歩一歩、着実に降りてゆく。背後の窓からさしていた月明かりがすっかり遠ざかり、心細さが極まったところで床の色と質感が変わった。

 ドキリ、とする。


 ()()()()()()辿()()()()()()()


 でこぼことした質感は岩のそれ。

 まさか家の地下が洞窟に繋がっていたとは思いもよらず、アスタリテは息を飲んだ。

 灯りを左右にかざして確認すると、横穴は身を屈めなくとも進めそう。足元と同じ色合いの岩壁が側面にもずっと続いている。一本道だ。


「……迷わないのは良いことね。急がないと」


 怖い。

 本当は怖くてたまらない。

 幼いときから延々言い聞かされていた『地下に行ってはなりませんよ』の意味を知ってからというもの、恐ろしさはいや増した。本当は、アスタリテだって封じの地下(こんなところ)に来たくはなかったのだ。


(でも、もう、この方法しか)


 左手で夜着の胸元を掴む。緊張で肌が汗ばんでいる。蝋燭は最初の長さの三分の一が溶けてしまった。戻りのぶんを考えると、そろそろ目的地に着いて欲しい。

 戻り……

 “戻り”があるなら。


「あっ」


 行き止まりに見えた、唐突な曲がり角。右に折れた先には、なんと光が。

 ――(いな)、鏡があった。

 びっくりするほど立派な造りの姿見だ。光はアスタリテが掲げる燭台の反射だった。

 しかし、映る人影は。


(!? 私……じゃないわ。私、こんな髪じゃない。瞳だって。おかしいでしょ。閉じてるなんて)


 壁に埋め込まれた楕円の姿見は植物を模した黄金で飾られ、こんな状況下でも魅惑的な輝きを放つ。

 そのなかに、造形だけはそっくりな別人がいた。

 腰まで波打つ黒い髪。伏せられたまぶた。それだけでふつうの鏡でないのは明らかで、息を止めたアスタリテは左手を伸ばした。


 ――――儀式を。

 言い伝えに従うなら、ここで誓約を結ばねばならない。

 永く放置されていたとは信じられない、曇りなく滑らかな鏡面がしっとりと手のひらに吸い付く。

 アスタリテは鏡のなかの自分を見つめながら、学園で()()()()()、古き災厄の名を呼んだ。自分の真名を捧げて。


「ベーゼリッテ。我が名を与える……“明けの星(アスタリテ)”」




 ――――……


 痛いほどの静寂。

 こわい、こわい、こわい。それでも逃げずにいたのは自分よりも大切なものがあったから。望みがあったからだ。

 指先を離さず、けれど居たたまれなくて、アスタリテはそっと爪先に視線を落とした。


 すると、どこからか「明けの星(アスタリテ)」と、歌うような声が聴こえた。

 つられて顔を上げると、今度は鏡のなかの自分が微笑みながらこちらを見ている……――!


 恐怖に竦むアスタリテと対照的に、その少女はにっこりと笑い、うれしそうに金の瞳をすがめた。



「いい名ね、明けの星。気に入ったわ」

(!!)


 声は自分から出ていた。

 アスタリテの意識は、ふつりと途切れた。



***



 ピチチ……


 白い朝日。揺れる木漏れ日と窓越しの梢が窓を擦る音。小鳥の(さえず)りで目が覚める。


「夢……? いつの間に」


 寝台の天蓋から垂れる薄布の向こうでは、いつも通り乳母のターニャがカーテンを開けていた。ふっくらと小柄なシルエットがこちらを向き、いそいそと話しかける。


「おはようございます、お嬢様。さあ張り切ってお支度をしましょうね」

「支度?」


 ぼんやり問うと、ひとの好さそうな垂れ目に垂れ眉が加わって、いっそう困り顔になった。


「まあ! お忘れですか? 今日から楽しみにしていらした学園生活ではありませんか」

「えっ」


 アスタリテはぐるぐると考えた。

 乳母は、何を言っているのだろう――?

 アスタリテは十七歳。とっくに学園の卒業年次生になった。何事もなければ秋に卒業を迎え、大好きな婚約者と結ばれる。なのに。


「……え? あれ?」


 大好き――()()()。それは覚えているのにそれ以上を思い出せない。ぽっかりと穴が空いたようだ。

 手を引かれ、寝台から降りた素足の大きさと視界の高さに違和感を覚える。垂れ布をひらかれ、朝日のなかで目の当たりにした乳母の顔は幾分若々しかった。

 胸元に視線を落とすと…………おかしい。ちいさい。一般的には控えめでも、それなりの膨らみがあったはずなのに。

 疑問符だらけの頭は、皮肉なことに鏡台を前に座らせられてすっかり晴れた。

 これは。


「うそ。巻き戻したの……?」

「どうかなさいましたか? まさか、具合でも」

「い、いいえ」


 鏡のなかで、心配そうな面持ちの乳母は私の()()()()()をもたげ、どのように結いましょうかと尋ねる。私は――夢に見たベーゼリッテと同じ金の瞳で、「好きなように」と、放心状態で答えた。


 乳母が何気なく呟く「お嬢様の瞳に合わせて青いリボンにしましょうね」などという台詞から、どうやら自分が見る鏡像のみ彼女(ベーゼリッテ)に成り代わっているらしいと確信する。そのうち、頭のなかで喜々と話しかけられた。


 ――ごきげんよう、明けの星。よく眠れて?


(ベーゼリッテ! 過去に戻したの? なぜ)


 ――心外ね。回避したかったのでしょう? 望まぬ未来を。わたし、ちゃんと汲み取ってあげてよ。


(でも、おかしいわ。()のことを思い出せないの。名前すら)


 ――よかったじゃない。要らない記憶なんだから。


(! どういうこと)



 驚愕の表情はゆっくり取って代わられ、無表情へ。それから極上の笑みとなる。

 心の(うち)の銀髪のアスタリテは、それを絶望とともに眺めた。背後の乳母は気配の変化にめざとく気づき、微笑んで黒髪のアスタリテの肩に手を添える。


「ようございました。すっかりお目覚めですね。朗らかなお嬢様が一番ですわ」

「ありがとう、ターニャ。ごめんなさいね。昨夜は寝付けなかったの」

「お察しいたします」


 にこにこと道具を片付けに乳母が離れる。

 アスタリテは、誰にも届かない声を必死に張り上げた。


(やめて、何するつもり!? 返して! 私の体……!)


 ――だめよ。名を捧げたでしょう? もう、これは()()()()体。大丈夫、たまにしか使わないわ。学園生活とやらを楽しみなさいな。


(そんな)

 

 戻った乳母の手には真新しい学園の制服。

 寝巻きから着替えた十四歳のアスタリテ――――ベーゼリッテは、花のように微笑んだ。


 ――この体なら、じゅうぶんに目的を果たせる。礼を言うわね。明けの星(アスタリテ)



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