08.【犬】vs【毛】
犬が切られた脚をペロペロと舐めていると
スケルトンの大群がゆるりと近づいてきた。
犬は噛みつくぞと、うなり吠えたてたが
その大群は意にも返さず歩みを少しも
緩めることなく迫ってきた。
犬がうすのろと断じたそれらの大群は訳が違った。
四方八方から絶え間なく降り注ぐ剣閃の雨を前に
反撃の余地が見つからなかった。
何とか数体のスケルトンを灰にしてみせたが
それすらも意にも返さず自らを狩りに来る群れを前に
犬は恐怖した。たまらず文字通りしっぽを丸めて
退却しようと背を向けた犬は自分がとっくに
囲まれていることを理解した。
自らに迫りくる剣の一つをくぐるように躱すと、
そのまま犬は群れの足元を無我夢中で走り抜けた。
秩序無く密集していた群れに素早く足元を
駆け抜ける存在に攻撃できるだけの空間は無かった。
群れを抜ける直前に待ち構えていたかの様に
一体のスケルトンから犬に剣が振り下ろされた。
まるでその武器を取り上げるかのように腕をもぎ取ると
犬はそのままダンジョンの奥に駆けていった。
犬は本当に幸運だった。
初めての武器を持つ相手、それも大群の相手から
逃げおおせることができたのだから。
それらの経験はこれからの犬の主人へと至る道中の
貴重な糧となるはずであった。
何より幸運だったのは最後にもぎ取った腕は
灰になっていなかった。
腕一本程度の魔素の消失ではスケルトンの存在が
全てが灰になることは無かったのだ。
犬はしっぽを振り回しながらはぐはぐと手に入れた
おやつを夢中で味わった。
それからは犬はスケルトンを相手にしなくなった。
通り抜けざまにおやつに腓骨を奪ってやる程度で
戦おうとは思わなかった。
犬は実際はスケルトンを灰にしたときに
魔素を吸収していた。
そのためか幾分、空腹はマシになったのだが、
今探しているものは骨ではなく肉だった。
犬の強烈な飢餓感は魔力の使い過ぎによる魔素不足から
来るものだった。魔力を得た牙や脚には常に魔力が集まり、
そのため吸収された魔素は犬の全身を駆け巡り
消費されていった。
その過程でこの世界にきてからは犬の身体は
魔素の影響を受け続け見るものが見れば
その徐々に変化していった身体に驚いていたであろうが
誰も教えてくれるものはいなかったし、
自分でも気づいていなかった。
実は普段は魔力を込めるのをやめてしまえば
そんなにお腹がすくことは無かったのだが、
犬という生き物はいつだって全力で遊び、全力で走り、
そして全力で主人を愛するものだった。
獲物を探す犬は自分より大きな足跡を発見した。
ニオイからして、きっとそんなに遠くないだろう。
犬は軽くうなり声をあげると足跡を追跡しだした。
それは大きな人型の毛むくじゃらな存在だった。
大きさは猪より少し大きく、腕が不自然に大きい。
その風体に似合う大きなこん棒を手に持っており、
人相は長い毛で隠されてはいたが大きく裂けた口と
そこから見える牙が人ではないことを物語っていた。
この魔物のことをこの世界の人々は何と呼ぶのだろう?
犬は音もなく距離を後ろから詰めるとうなり声をあげることもなく
追い抜き際にこん棒を持つ右腕を切り裂いた。
武器の怖さはつい先ほどに嫌というほど味わっている。
面食らう魔物に飛び掛かり押し倒すとそのまま
喉に食らいついた。
それは野生動物の狩りを思わせる、
あざやかな奇襲であった。
魔物は悲鳴とわめき声をあげながら必死に抵抗を見せた。
犬を引き離そうと必死に大きな腕でつかみ上げ、殴り、
握りつぶして引き離そうとした。
そのうち、その大きな腕からは力が抜け、
完全に動かなくなっても、その首筋はすでに
酷いものだったが犬は食らいついたままだった。
人型のものを食べるということは、それは倫理や道徳から
酷く忌避感を持つものであろう。
しかし、犬から言わせればそれは人型であって
人ではないのだ。
何より動物は人と同じ考えを持つことは無いし、
あるいは自らの飢えを満たすためならば本当に
人や同族でもといったところか。
犬は久々に手に入れた肉を大喜びで夢中で貪り食べた。
食後の全身血で汚れた自らの身体を毛繕いしてると、
別の毛むくじゃらがこちらを見て大騒ぎしていた。
犬は軽く唸ったが、そいつは何かを叫びながらくるりと
後ろを向いて走り出した。
その逃走する獲物の姿は狩りで燃え上がっていた
犬の狩猟本能を更に昂らせ、犬は獲物に向けて走り出した。
大騒ぎを聞きつけたその仲間たちがその場についた時には
もう犬はいなかった。
そこには無残に食い散らかされた同族の遺骸があるだけだった。
『まいったねぇ・・・』
猫はおバカちゃんの気配に追いついていた。
追いついてみれば、最初の予感通りにその気配は
自らのいる位置の遥か下にあった。
まさか埋まっているということは無いだろう。
周囲に土砂が崩れたような形跡はないし、
何よりおバカちゃんの気配は
自らの真下を元気に走り回っているのだ。
猫は軽くため息をつくと地下への入り口を探し始めた。