68.女神の決意
かつてこちらの世界でも2界説が提唱されていた頃に
明確に別種であると区分された様に、生物としての
動植物の間にはその生態に大きな違いがあった。
一方は捕食行動で外部からその生の礎を得るのに対し、
一方は自らの力のみで無機物からその生の礎を作り出した。
【界】で分類された様に、そもそもが住む世界が違うのだ。
それはこちらの異世界でも変りはなく、植物たちが
自らを主張する術を持たないことも一緒だった。
尤も、植物界では動物界には理解できない
コミュニケーション方法があるのかも知れないが
それを知ることは、きっとそれこそ永遠に無いだろう。
しかし落としどころを探るとなれば、この世界と
元の世界を隔たる壁を超えて少年や犬や猫を
送り出した女神の様に世界の壁を超えて
生物の壁すらをも超えてコミュニケーションを
取りたいところだ。
『それは難しいです・・・』
女神は食事を必要としなかった。
ひょっとすると向こう側の存在なんじゃないかと
思ったがそうではないらしい。
『私はその区別で言えば動物界の・・・』
『その・・・【神】として産まれたんだと思います』
自分で【神】と言うのも気恥ずかしかったが
その壁はどうあっても自分に破ることが
できないことは本能的に理解できた。
『だから・・・』
今回の世界の壁は生物としての壁だ。
そうなればその倫理、道徳、正義・・・
その全てが同じとは限らない。
むしろ違うと考える方が自然だろう。
この世界を初めて見た時にこの世界を凄惨に
感じてしまったように、コミュニケーションが
取れる世界に存在していたとしても、
互いのその思考の差異の調和に時間を費やしたのだ。
『結局、落としどころなんてものは』
『私たちに都合の良いエゴなんだと思います』
誰かと話すことに慣れていなかった
女神の声は徐々に弱弱しく、言葉に詰まることも多かったが
たどたどしくも自分の意見を述べた。
群れの仲間はそんな女神の言葉を邪魔することなく
熱心に耳を傾けた。
うち一匹だけは難しそうな話が始まって、その空気に
飽きたのか、とっくに庭園を駆け回って遊び始めていたが。
『でも、』
弱弱しかった言葉は力強くなっていった。
『それで良いんです』
『それしかできないんです』
『私はその自分勝手で都合の良い道を、』
『私自身の手で選びとります』
世界の全てが優しく美しいものであるように願い続けて、
誰もが皆で笑い合えあえる世界でありますようにと
一人ぼっちで頑張り続けた。
それでも、ずっとうまくいかなかった。
うまくいくはずが無かった。
だって皆に食べるななんて言えるはずが無い。
この動物界で生を歩むには捕食が当たり前なのだ。
必ず世界のどこかで泣いているものがいるのは然るべきこと
だったんだ。
例え呪いが無くなっても、また違った価値観が産まれるだけ。
そしてその価値観はきっと別の差別意識を新たに産み出す。
この世界ではずっと誰かが泣き続けることになるんだろう。
それをもちろん良しとは思わない。
むしろ文字通り、霞を食うように生きる
あちらの世界、植物界のほうがよっぽど優し気で
美しい世界なのかも知れない。
―――だけど
『それでも私は理不尽にも』
『こちらの世界を贔屓したいと思います』
こっちではありとあらゆる生命が泣かない様に一生懸命だ。
涙を流さないためだけに姑息に立ち回るものもいる。
それでも泣いてしまったとしても、倒れてしまっても
涙が枯れるまで泣いたのだとしても、
それでも再び立ち上がろうとするものだっている。
そしてその思いに反して立ち上がれなかったのだとしても
その必死に生きようとするその生命の輝きに魅せられて
きっと私はこの世界を愛おしいと思ってしまうんだ。
その目には決意が宿った。
『私はこの呪いを止めたいです』
その願いを叶えるためには別世界の一種を、
何者をも害することなどは決して無く、
ただ陽の光を浴びていただけだった、
ただ穏やかに大地から水と栄養を貰って
平和に生きる日々を過ごしていただけだったはずなのに
だけど一方的にこの世界に悪意に晒されて
蹂躙されて、ただただ泣くばかりだった優しいだけの
何の罪もない種族をたとえこの手で滅ぼすことになるのだとしても――
女神の言葉が終わると場の沈黙が続いた。
群れは思い思いにその決意のこもったその言葉を噛み砕き、
それに込められた甘く苦い想いを味わって消化し
自分なりの答えを得ようとしていた。




