29.『飛竜』と『黒蛇』
飛竜は猫を背に乗せたまま束の間の地上の散歩を楽しむと
犬と歌の待つダンジョンの下層へと戻った。
あっという間に猫を乗せてどこかに飛び去った飛竜が
高揚した様子で帰ってきたのを見て、猫と飛竜が
地上にいってきたのであろうことを同じ魔物である歌は察した。
眼光鋭くギラついていたその目はすでにキラキラと
別の輝きを放っていた。
「(う~、お話ししてみたい・・・)」
地上でのあの感動を分かち合える存在は同じ魔物だけだろう。
よくわからないままに飛竜と飛び去って行った猫を
犬はとても心配していた。
猫に飛びついてその身体を嬉しそうにペロペロと舐めている
犬を撫でながら歌はジェスチャーを交えて飛竜に話しかけた。
「(地上にいってきたの?)」
『ぬ?』
飛竜は歌を見るとより一層目を輝かせた。
感動を分かち合いたいのは飛竜とて同じだった。
セイレーンの話す言葉はなかなかに特殊で
長く生きていた飛竜でも扱えぬものではあった。
しかしお互い言葉が解らずとも、地面に絵を描いて
時に猫にフォローされながら2匹は饒舌に地上の
素晴らしさを語り合った。
飛竜とて今までに何度も地上には出たが、目に映るものは
全て上空から見下ろすものだけであった。
逆を言えばそれは空を飛ぶことが出来るものだけが目にできる
特権ともいえたのだが地上の美しさはその地を歩むものにこそ
解るものなのかもしれない。
一方、言葉や絵のコミュニケーションがいまいち理解できない
犬は暇を持て余していた。
この大きい空を飛ぶ蜥蜴は敵や獲物ではないのだろう。
群れの仲間たちも皆仲良く話している。
この状況では歌に遊びの再開をお願いしても「ちょっとまってね」と
申し訳なさそうに言われるだけだろう。
何せその歌が一番饒舌に話しているのだから。
地上を旅してきた言わば先輩の魔物である歌は
後輩の飛竜に伝えたいことはいっぱいあった。
が、やはり言葉の壁は大きく、伝わり切っていないであろう
自分の言葉にもどかしさを感じた。
「(あ、そうだ)」
歌はちらりと眠そうにあくびをしている犬を見やると歌い出した。
それは地上の、光に彩られた世界を讃える歌であった。
それを聴く飛竜の脳裏には太陽に彩られた大地が時間とともに
少しずつ表情を変えていき、やがて星々の瞬く夜空になっても
尚、表情を変え続ける地上の姿を思い浮かばせていた。
昼も夜もその表情を変えることのないダンジョンに住まう
飛竜にとっては何気ないその1日の風景ですら思わず
感嘆の息を吐かせるものだった。
圧倒的な魔素を擁する飛竜には魅了の力は効かなかった。
しかしその歌は別の意味で飛竜を魅了するには十分だった。
飛竜は目を閉じて静かにその歌に聴き入った。
尤も、その歌に魅了されて近づいていてくる魔物たちは
他にもいる訳で―――
近づく魔物たちを暇を持て余していた犬が片っ端から捕えていった。
猫も時に加勢し、元々獲物が少なかったダンジョンでも
獲物の山が出来上がりつつあった。
そんな中、犬は下層の更に奥に向かって熱心に鼻をひくつかせた。
後方に魔素の塊の様な飛竜がいるせいで感じにくかったが
どうやらもう一匹強大なものがいるようだ。
ゆっくりとこちらに近づくその強大な気配に、皆に警戒を促す様に
犬は吠え出した。
「わんわん?」
『ふむ・・・』
『どうやら無粋な奴が来たようだな』
『だが・・・』
歌うのを止め、不思議そうに犬を見やる歌と猫に
言葉をかける様に飛竜は独り言つとダンジョンの奥の方へ
飛び立った。
黒蛇の魔物はこの深く暗いダンジョンの主の様に君臨していた。
魔素の濃いこのダンジョンはひっきりなしに強力な魔物を
産み出してはいたが、黒蛇のその圧倒的な魔力は他を一切寄せ付けず、
当時は毎日の様に押し寄せていた下層の魔物と戦い得るはずだった
冒険者たちも全く歯が立つことは無かった。
黒蛇は冒険者たちを歓迎していた。強すぎた黒蛇にとっては
冒険者たちは暇を慰めてくれるちょうど良い遊び相手だった。
おまけにそういう冒険者ほど魔素ののった美味しい肉を持っているのだ。
そんな時に飛竜がこのダンジョンに移住してきた。
自らの全力を持っても狩れない飛竜相手に黒蛇は苛立ち、
それ以上に全力を持って戦う喜びを感じていた。
それは飛竜も全く同じだった。
互いに次こそはアイツを喰らう!!といわばライバル関係となり
互いに魔素を高めるべく魔物や冒険者たちを捕食していった。
捕食者が2匹となったこのダンジョンは如何に魔素が濃くとも
強力な魔物たちは数を減らしていった。
魔獣が誕生してからは冒険者も訪れない様になってしまい
2匹のパワーバランスは拮抗したままになっていた。
ダンジョンの奥で黒蛇の魔物と飛竜は対峙した。
『久しいな・・・』
飛竜は黒蛇に声をかけた。
いつもなら即座に開戦してくるはずの飛竜が珍しい。
普段の狂猛な気配を感じさせず、目を輝かせる飛竜に
明らかに少し戸惑った黒蛇は口を開いた。
『今の歌は何なの?』
『まるで地上にいるような・・・』
『不思議な歌ね・・・』
黒蛇は多くの蛇の様に耳は良くなく、その変わりに
皮膚感覚で音を感じていた。そのために歌を全身で感じ、
まるで自分が地上にいるような、そんな感覚に捉われていた。
魅了の力は効いていなかったがその感覚にはすっかりと魅了された。
黒蛇はその舌で感じる空気から歌が聞こえる方に飛竜がいることは
解っていたがどうしようもなく気になって近づいてきたのであった。
『それでも魔素が無くなれば私たちは死んでしまうのでしょう?』
『それはそうだろう』
『よくそんなに軽く決断できるわね・・・』
黒蛇は冷静なようで全く冷静では無かった。
地上に出る方法がある?
せっかく地上に出られるのだから遠くに行くって・・・
おまけに一緒に来ないか?ってホントにどういうつもりなの!?
『とりあえずその子たちを私にも紹介して頂戴』
動揺を隠す様に黒蛇は話題を逸らした。
実際、その地上から来たという魔物と異世界から来たという
獣に会ってみたかった。
そして本当に魔物が地上に出られるのかを聞いてみたかった。
『危害は加えるなよ?』
『わかってるわよ!!』
飛竜は黒蛇の前に降り立つとその背を向けた。
黒蛇は獲物に自らの鎌首を瞬間的に伸ばして襲い掛かることは
出来ても、その移動速度はその身体の割には早くはない。
『乗れ』
無警戒にその背を向ける飛竜の姿に動揺しきっていた私は
更に混乱して「今なら殺れる」という考えは思いつきもしなかった。
飛竜の身体に巻き付くようにして黒蛇は身体を固定した。
その映し出された影はまるで【双頭の竜】あるいは【双頭の蛇】の姿となり、
後に【魔王】の一柱として伝説の存在になってゆく片鱗を見せていた。
強大過ぎる魔素を纏う魔物が2匹に増えたことに犬たちは驚愕したが
どうやら敵では無いようだ。
そもそも飛竜と魔物だけが感じられるであろう、あの地上の感動を
分かち合った歌は話し相手が増えた程度にしか認識していなかった。
黒蛇からすれば地上に出て、あえて魔力を抑えるという、
もはや狂気を感じるその行為に恐怖すら感じた。
『魔素が流れ出ないって言ったって・・・』
『私たちはただ在るだけで魔素が必要なの』
『例えば別のダンジョンに向かったとして』
『そこにたどり着くまでに私の身体は本当に持つの?』
疑問に答える様に飛竜は言った。
『そこで我の出番よ』
『我は飛べぬまでも少し滑空することは容易かった』
『ちょっと、待ちなさい』
『あなた・・・まさかもう地上に行ったの?』
『ああ』
偶にこいつの、そのまっすぐな性格が羨ましくなる。
そんな突拍子もないことを言われてすぐに試そうなんて普通思える?
もし騙されて魔素のない地上でこの3匹に襲われたら
どうするつもりだったんだろ?
どちらかと言うと慎重で疑り深い私が先に出会わなかったのは
運が良かったのかもしれない。私ならきっと罠だと警戒した。
でもそんなこいつが地上に出たというなら、それはきっと
本当のことなんだろう。
『我ならばうぬごと少しづつ滑空して次のダンジョンにも
辿りつくことはできるだろう』
『いや、せっかくの地上だ』
『共にゆっくりと歩んで地上を堪能するべきなのかもしれぬ』
『地上は本当に言葉では伝えるこことができぬ程に美しかったぞ?』
『それを互いに分かち合う相手がいるのであれば』
『その旅路は更に楽しいものになると思わぬか?』
『それに本当にいざとなれば我はうぬを連れて飛べるしな』
飛竜は何も、このダンジョンの覇権を長い間争ってきた黒蛇との
闘いに終わりを感じ、終わったことでその闘いの宿敵に親愛を
感じてしまったからだけで旅に誘った訳では無かった。
『しかし、本当に地を行くのであれば困ったことに』
『我は方向を見失うかもしれん』
空高くからその猛禽類の様な視力で目的地を見つけていた
飛竜が地上の目的地の見えない旅に不安を感じるのは
無理からぬことであった。
魔素の感知は勿論できるであろうがその魔力を抑えた状態で
正確に感知できるかには疑問があった。
それにもし次の目的地を前に人の街などあったらたまったものではない。
もう飛竜から見て警戒すべき冒険者などはいないであろうが
それでも魔力をまともに使えない地上で数の暴力に挑む気はなかった。
『うぬならば目的地までの道案内は造作も無かろう?』
その感知能力には散々手を焼いてきたのだ。
蛇の魔物として持って生まれた黒蛇のピット器官のセンサーは
魔力を抑えても尚、正確に地上の魔素を感じ取ることができるだろう。
『そうね・・・』
『長く居すぎてもう何も感じなくなったこの場所より』
『地上でのあなたとの旅には正直、興味があるわ』
『あなたがいなくなればこの退屈な日々にも拍車がかかるでしょうし』
『それに・・・』
『まさかもう退路が無いなんてねw』
そこには犬が嬉々として捕えた獲物が山になっていた。
物足りないと思っていた朝食が豪勢なものとなって
犬は大喜びしていたが、ここは強大な捕食者が2匹存在して
ただでさえ獲物が少ないのだ。
下層の魔物は全部狩り尽くされてしまったのではないか?
とも思えるその肉の量に黒蛇はため息をついた。
そりゃ、この上の層にだって獲物はいるし
まさか飢え死にする様なことなんて無いのだけれど・・・
それは魔素のノリが悪い不味い肉だ。
そんなものを食べるくらいなら・・・
ううん、これはきっと自分を奮い立たせるための言い訳。
その心は実際は本当に臆病な私ではそれでもきっと地上への一歩を
相当に躊躇うんだろう。でもこの長い間戦ってきて、実際はその実力を認めている
こいつが傍らにいればそれはどんなに心強いことか。
私だって本当は・・・地上の世界に行ってみたいし、
そこで色々なものを見てみたいのだ。
『その話、乗るわ』
その言葉に喜ぶ飛竜よりも実は内心、高揚していたのかも知れない
黒蛇は3匹に向き直った。
『ありがとう』
『私も地上に向かうわ』




