14.【犬】vs【歌】
冒険者たちの会話は犬の耳にも聞こえていたが
内容は全く分かっていないだろう。
犬はもしかしたら遊んでくれるかもしれないとキラキラした目を
していたが猫に軽く急かされて食事を終えるとその場を後にした。
外に出て猫の肉球が示す方向に向かうと大きな街が見えた。
かつては景気が良かった時代もあったのだろう。
石造りでしっかりと整備された大通りの両端には
大きな建物がびっしりと建ち、その繁栄を感じさせる。
しかし、今はその全てが廃墟と化していた。
廃墟のいたるところに注意書きのようなものが
張られていたが読めなかった。この世界の文字が
という話ではなく読めるような状態ではなくなっていた。
それでも注意書きと思ったのはその必死さが伝わってくるほど
乱雑に至る所に張り出されていたからだ。
ずっと人は訪れていないのであろう。犬の鼻には
人の営みの残り香は全く感じられず、感じるのは
ほのかな魔素の香りのみだ。
『歌が聞こえるね』
それは犬にも聞こえていたかもしれないが
人もいないというのに一体だれが歌っているのだろう?
そのまま通りを進むと通りの切れ目の向こうにある
砂浜にダンジョンの大きな入り口が見えた。
それは閉鎖されていたようだが長い年月を得て
その閉鎖する柵ですら朽ち果てていた。
ダンジョンの入り口に近づくほどそれは鮮明に聞こえるようになった。
『うまいもんじゃないか』
その歌の意味は解らない。
ただ、聞くものを惹きつけるその美しい歌声に
引き寄せられるように2匹はダンジョンに入っていった。
ダンジョンは緩やかな坂となっていたが
その道は明らかに人工的に整備されていた。
もう見る影もなく朽ちてはいるが、かつては
人の往来があったのだろう。
向こうの大陸に繋がっているというのも本当かも知れない。
緩やかな坂を下り切るとそこには地底湖が広がっていた。
それは海水が流れ込んだものなのか地下水なのかはわからない。
それに沿うように整備された道が続いていた。
見ればその地底湖には夥しい骨が沈んでいた。
その骨の沈む地底湖に浮かぶように存在する数々の岩に
美しい女たちが座っていた。
同時に向こうもこちらの存在に気づいた様で、
妖艶な笑みを浮かべ、手招きをしている。
いや、こんな怪しげな湖に入るわけないだろう。
怪訝な顔を2匹はしたが、それ以上に不思議そうな顔をした女たちの
一人が水の中に飛び込むとこちらに向かい、まるで魚の様に泳ぐと、
先ほどとは打って変わった悪意と殺意がこもった表情で
その牙を剥き出しにして、そのまま水の中から飛び出す様に
襲い掛かってきた。
が、それはいとも簡単に犬があごで受け止め、その美しい肢体を
二つに折るようにしてボリボリと食べ始めてしまった。
驚愕の表情が女たちに浮かび、女たちはまた一斉に
歌い出した。綺麗な歌だなとは思う。
でも少年が口ずさんでいた拙い歌の方がよっぽど
好きだなと2匹は思った。
大勢の女が歌い続ける中、また一人
先ほどと同じように襲い掛かってきたが、
それはまた同じ末路を辿った。
戦闘・・中・・・?なのか?これは??と最初は
困惑しながらも警戒していた猫も今回は一緒に食べた。
もしかしてこの戦術はその身に毒があるのかとも思ったが
犬や猫の優れた嗅覚に感じるのは魔素の濃い、美味しそうな
肉のニオイでしかなく、毒の気配はまるで感じなかった。
よほど美味しかったのか最初のは犬があっという間に
食い尽くしてしまった。今回はご相伴にあずかろう。
獲物が自ら口に飛び込んでくるとは不思議な事態だ。
不思議だが飛び込んでくるのだから食べない訳には
いかないだろう。
女たちはより一層驚いた顔をして、少しの間、歌が鳴りやんだ。
女たちはセイレーンと呼ばれる魔物だった。
種族や性別を問わず魅了し、捕食する美の化身としての魔物であった。
その歌を聞いたものは必ず魅了され、
その肢体を見たものは必ず劣情を抱く。
そして意のままに操り、獲物が湖に入ったところを皆で貪り食うのだ。
食われながらも光悦の表情を浮かべる獲物たちを眺めるのが
彼女たちは好きだった。それは自分たちの美の化身としての
自尊心をくすぐるものだった。
街が廃墟になったのもこの恐ろしい魔物が産まれたからだった。
人々は食われてしまったか、あるいはその声の届かないところへ
逃げたのであろう。
しかし、この2匹の動物は自分たちに魅了されずに
きょとんと見つめるだけであり、あろうことか
食べるはずが食べられたのだ。
それは彼女たちの自尊心を酷く傷つけ、困惑と恐怖を産み出した。
そんなはずはない。自分たちに魅了されないものなどいない。
セイレーンたちはまた歌い出した。
それ以上に困惑していたのは犬と猫だった。
こいつらは一体何がしたいのだろう?
襲い掛かるのであれば水の中から一斉に奇襲した方が良いだろう。
その泳ぐスピードはなかなかのものだ。
犬だって最初のうちは戦う前にうなり声や咆哮をあげたものだが
それは自分にとって不利でしかないと学んだのだ。
歌うなんてもってのほかだろう。
犬は多くのペットがそうであるように産まれてすぐに
生殖能力を取り上げられ、猫は超高齢であるためなのか、
それとも唯一無二の存在である【猫又】に進化したためなのか
どちらにせよ2匹とも発情する能力自体がすでに無かった。
あるのは主人への純粋な愛情だけだ。
歌うだけで何もしてこなくなった魔物たちを無視して
犬は猫を頭にのせて進み始めた。
セイレーンたちは2匹に付き添うように泳ぎながら
必死に歌い続けた。それは地底湖を越えるまでの
長い時間だったが、それでもずっと歌い続けた。
猫は横で歌い続けるセイレーンを怪訝そうに横目で見ながら
『気味がわるいねぇ・・・』
とつぶやき、犬は同意するように軽くうなり声をあげた。
はからずともボロボロにした彼女たちの自尊心を
更に踏みつけて2匹は地底湖を越えていった。