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9.難しい仕事

「木ぃ~っ!」


 ざざざ、とエルーカは背の高いトウヒを駆けのぼる。

 髭のように葉の生い茂った枝が激しく揺れ、朝露が下を通る人と荷を濡らした。


 木の先端の枝は細く、そこまで行くと少女のわずかな体重でもゆるやかにしなり、その反動で弾かれたエルーカは空中で二回転し着地した。

 そうしてまた手近な木を駆けのぼる。


 いつ魔物が襲い来るかわからない試練の森で、エルーカはそんなことを一人繰り返し遊んでいる。生きている木というものも、妖精の国にはなかったものだ。


「エルーカよーい。俺たちの護衛を忘れてくれんなよー」


 そろそろ見かねた雇い主が、馬上から少女を呼び戻す。

 ダンテの周囲には人々ができる限り固まって、木陰や草むらの向こうを警戒しながら、慎重に進んでいた。


 エルーカの後ろを歩いてくるのはロヴェーレ商会の一行だけではない。他の、まったく関係のないどこかの探検隊も幾組か、少し離れて付いて来ている。


 今朝の不幸を受け、森に入った命知らずの探検隊は数えるほどもいなかった。元より神の試練では森の魔物に襲われることが織り込み済みではあったものの、あれだけ大きな魔物が出鼻から姿を現すなど誰も予想だにしていなかったのだ。


 森の様子が普段と違う。


 探検隊に雇われていた案内役のクワフ人たちが青ざめた顔で言っていた。

 木々が騒がしい。風が禍々しい。神が怒っているのではないか。そんなふうに言う者もいた。


 それらを聞いて素直に尻込みした探検家もいれば、中には、すでに前金をもらっている案内人がそこで逃げるための言い訳だと捉える商人もいた。


 そして肝心のダンテはと言えば、慌てず騒がず、試練の続行を決定した。


 理由の一つとしては、ロヴェーレ商会の若主人である彼には、商会の長たる父との約束で、自由に冒険できる時間が限られているということがある。彼の将来の予定は次々迫っており、仕切り直すだけの時間的余裕がない。次にロヴェーレ商会が挑戦する時には、彼ではない誰かが代わりに探検隊の長となるだろう。それがダンテはおもしろくなかった。


 もう一つの大きな理由は、エルーカの存在だ。すべての人間を守り切ることはできなかったが、エルーカは前評判どおりの仕事を雇い主の前で披露した。

 

 また幸いにも、彼の雇った案内人の少女、マイニも怯え一つ顔に浮かべず、嫌がる大人たちを尻目に仕事を粛々と引き受けた。


 先陣切って森に入っていくダンテの一行を見て、もう何組かが慌てて後を追い、現在に至っている。


「エルーカ。こっちおいで」


 遊びに夢中でダンテの声には気づかなかったが、アスラクの声は少女の耳に届いた。

 エルーカはくるりと宙で回転し、アスラクの肩に着地する。やはりその体重は羽根のように軽いため、肩車させられる格好になっても、相手にはなんの負担もない。


「なぁに?」


「魔物が出たら守ってほしいから、遊びに行かず俺の傍にいてくれないか?」


「いいよ! でもマモノってなに?」


「人間を襲う悪い妖精のことだよ」


 魔物に遭遇した際、エルーカが口にしたことをアスラクのほうは覚えていて、忘れっぽい少女が理解しやすいように説明し直した。


 当のエルーカは「ふーん」とまったく初めて聞いた反応で、アスラクの肩の上でぶらぶら足を振る。


「ねえそれって、さっきの緑の妖精のこと? いっぱい人を殺してたよね」


「そうそれ。また出たらぶっ倒してほしい」


「わかった。エルーカにまかせて」


 そう言ってざっと辺りを見回す。


 主要な人と物資はおおむね杖の先が届く範囲にいるが、マイニだけは邪魔な枝葉を鉈で払いながら、神への道を先導していた。


 誰もが先頭に立つことをためらっているなか、このクワフ人の少女はまったく恐れを表に出さない。無表情でくすりと笑いもしないため、エルーカは彼女の声もまだ聞いたことがなかった。


「んー・・・」


「なんか見えたか?」


「ううん。見えないけど、いるよ」


 エルーカは自分の左手へ杖の先を向けた。


「あっちから来るよ」


 声の聞こえる範囲にいた者は全員、一斉に左を見た。

 エルーカは先にアスラクの肩から離れ、宙に浮かび上がる。


「せぇーの!」


 樹林の間から飛び出した蔓の先をいち早く衝撃波で叩く。砕かれた箇所から衝撃は蔓の根元に向かって半ばまで走り、辺りの木々にねばつきのある汁をまき散らした。


「やあ!」


 エルーカは休まず杖を振り回す。

 蔓は何本も伸びてくるが、ある程度の方向は決まっていた。おそらくは、左のほうに蔓を伸ばしている本体の魔物がいるのだろう。


 今度は全員守りきる。そのつもりでエルーカは両目を大きく見開き、緑の影に集中していた。

 だが、かわりに背後はおろそかになっていた。


 唐突に右足を何かに引っ張られたかと思うと、エルーカの視界の上下は逆になった。しかもそれだけでは終わらず、激しく振り回される。


「ぅわ!? ぅあっ、うあぁっ!? あはは!」


「エルーカっ!!」


 アスラクの切羽詰まった声が聞こえた直後、蔓がまともにエルーカにぶつかった。


 重さのない体は空のさらに高いところまで跳ね飛ばされる。その時、エルーカは自身の右足に絡みつく焚火の燃え屑のような、あるいは枯れ木のような、破片が見えた。


(? リグナムの手、みたいな)


 エルーカは地下世界の友を連想したが、まさかここにいるはずはない。

 右足に絡みついていたものは、エルーカが弾き飛ばされた際にどうやら千切れたらしく、宙を回転する間に外れてしまった。


 蔓の攻撃はほとんどエルーカにダメージを与えていなかった。なぜなら彼女の身を包む、父妖精の魔法の込められている外套が、衝撃のすべてを吸収してくれたためである。


 エルーカは何もない宙を蹴り、悲鳴の聞こえるほうへまっすぐ飛んだ。


「やあっ!」


 元の場所に戻り幾本かの蔓をまとめて砕く。さらにもう何本か追加で砕き、やっと蔓は出てこなくなった。


 地上に降り、周囲を見るとまた幾らかの人と荷がばらばらになっている。

 荷運びの人夫は怯えて座り込み、護衛たちはダンテの周りに固まり草木の向こうを警戒していた。


「どうなってる? まるでつけ狙われているようじゃないか」


 落ち着かない馬の手綱を御しつつ、ダンテは苦い顔をする。

 そして木の陰に隠れ無事だった案内人のマイニを傍へ呼んだ。


「おい、いつもこうなのか?」


 マイニは雇い主から視線を外し、無言で頷いた。

 

「本当か? 神の試練で特定の魔物につけ狙われるとは聞いたことがないぞ。黒耀竜の他にあんな大型の魔物が前からいたか?」


 マイニはただ頷く。

 その頑なな態度がダンテは気に入らなかったらしく、「返事をしろ」とわざわざ命じた。それでクワフ人の少女は渋々、口を開いた。


「・・・あの魔物は、普段はもっと深いところにいます。なぜ出て来ているのかは知りませんが、この森で起こることはすべて神のご意思。挑む気が失せたならお帰りになればよろしいでしょう」


 ダンテは返答に詰まった。

 あえてマイニは挑発しているわけではなく、視線も声音も何もかもが冷えており、雇い主がここで諦めようが進もうが心底どうでもよいと考えていることが態度に出ている。


 ダンテは小さく舌打ちすると、案内人に突っかかることをやめ、かわりに護衛の少女を呼んだ。


「今の魔物は倒せたのか? それともまだ生きているか?」


「えー?」


 問われたエルーカは、蔓の引っ込んでいった方向をじっと見つめる。


「んー・・・生きてると思う。でも近くにはもういない。どっか行っちゃった」


「それは確かか?」


「うん。エルーカには隠れてるものを見つけられる魔法がある」


 ゆえに木陰から蔓の飛び出してくる瞬間がわかった。

 少なくとも、自分たちに直接攻撃を仕掛けられる範囲に、敵意を持つ者の気配は感じられない。

 

「よしわかった。いい働きだエルーカ。引き続き警戒を頼む。皆、態勢が整い次第、出発するぞ」


 ダンテは馬上から混乱する人々を励まし、乱れた荷をまとめさせ、死体は地の下へ葬るよう指示を出した。


「むー・・・」


 そんな作業が終わるのを待っている間、一人悩ましい顔をしているエルーカのもとに、アスラクがやって来る。

 魔物に襲われている間はどこにいたのか、青年は一つも傷を負っておらず、背中の矢も減っていなかった。


「どうした? エルーカ」


「むつかしい」


「何が?」


「守るのむつかしい。人間すぐ死んじゃう」


 蔓がかすめただけで人体は砕け、巻きつかれれば潰れ、エルーカが助ける暇もない。戦闘中、右足に絡みついた何かによってその場から引き離されていた間に、かなり多くの人間がやられてしまっていた。


 妖精に比べて人間は脆過ぎる、というのがエルーカの悩みの種である。


「そりゃエルーカだけで何十人もいっぺんに守るのは無理だろ。たとえ魔法があったってさ」


 アスラクはエルーカの肩に腕を回し、作業する人々からさりげなく距離を取っていった。


「エルーカ。自分がすべきことをちゃんと思い出せ」


「え?」


「さっきも言った通り、エルーカはここにいる人間みんなは守れない。何度も襲われてりゃ、必ず何人かは死なせちまう。でも、それでもいいんだ。要は、絶対死なせちゃならない人間だけ、守りきれば成功」


「? ええっと? みんな守らなくてもいいってこと? でもエルーカの仕事はみんな守ることだよ?」


「違う。みんなは守らなくていい。守るべきものだけを守れればいい」


「じゃあ、エルーカはなにを守るべき?」


「まず、一番守らなきゃならないのは他の誰でもない。エルーカだ」


 少女は両目を二度瞬いた。


「エルーカがエルーカを守るの?」


「自分を守れるのは自分だけなんだよ。エルーカは絶対に死んじゃだめ。だから無茶はするなってこと」


「ふーん?」


 死ぬなということは、生きていてほしいということ。

 それは妖精の父から、兄姉から、誕生日を迎えるたびに願われてきたことだ。エルーカはその願いが彼らの愛情から発せられているものであることを知っている。

 よって自然、この男も自分に愛情を持っているのだと解釈してしまう。


「アスラクもエルーカに死んでほしくないの? エルーカが大事だから?」


「もちろん」


「んへへ」


 幸せな誕生日を思い出し、くすぐったい気持ちになっている少女へ、さらにアスラクは調子よく言い募った。


「だって俺たちもう親友だろ? いや、今や運命を共にする相棒だ」


「アイボウ?」


「一番仲の良い友達ってことだよ」


「ふーん? アスラクはエルーカの運命で、相棒?」


「そう。だから、二番目に守らなきゃいけないのは俺」


 と、自身を指す。


「わかった。エルーカはエルーカとアスラクを守るよ」


「ありがとう。んで、三番目に守るのは案内人のあの子」


 続けて、アスラクは試練に挑む一行を遠巻きに眺めているマイニを指した。彼女は間もなくエルーカらの視線に気づき、背を向けてしまう。


「あの子は神の居場所を知ってるらしいから、一応守ってやろう」


「うんわかった」


 エルーカは人の名前も顔もなかなか覚えないものの、マイニはこの場にいる唯一の女性であるため、顔をつぶさに覚えられずとも支障はない。


「あとは? あとはだれ守る?」


「あとはない。終わり」


「え?」


 まだ何十人と人間がいる中で、自分を含めたった三人だけを守れば良いという。

 ほとんど昨日の記憶が抜け落ちてしまっているエルーカでも、これには少しばかり違和感を抱いた。


 確か、他にも優先的に守らなくてはならない人間がいた気がする。

 例えば、やたら派手で、たまにエルーカを呼びつける、縄のように編んだ黒髪を幾本も垂らしている男はどうであったか。


「あの人はいいんだっけ?」


 ダンテを指して尋ねてみたが、アスラクはあっけらかんと言っていた。


「別に守らなくていい」


「そう、だっけ?」


「エルーカの目的は、神に会って自分がこの土地で生まれたのかを確かめることだろ? だったら、あいつがいてもいなくてもどっちでも構わないだろ? 必要なのは案内人だけだ」


「うん? うん。うーん?」


 案内人がいればいい、それは間違いない。しかし頭で覚えていないことを、エルーカの心が本当にそうだったかと問い直す。

 アスラクは森に入る前もこんなことを言っていただろうか。


「難しく考えなくていいんだよ」


 詳細を思い出す前に、アスラクに頭をわしゃわしゃなで回され、思考は途切れてしまった。


「絶対に守るのは、エルーカと、俺と、案内人の子の三人。その他はついで。守れなくてもいい。わかった?」


 情報を整理して、簡潔に示されればエルーカは理解できる。アスラクはすでにその辺りのエルーカの特性をよく掴んでいるらしく、彼の指示や説明は非常にわかりやすい。


 もともと護衛の仕事を誰に頼まれたのか、なぜ頼まれたのか、すでに記憶はおぼろげなのだ。

 エルーカは考えることを諦め、頷いた。


「わかった。エルーカは、エルーカとアスラクと案内の子を絶対守るよ」


「よくできました。頼りにしてるぜ相棒」


 嬉しそうなアスラクに、頭をなでられるとエルーカも嬉しくなる。


 運命の導き手は必ず神のもとへ導いてくれるのだろう。エルーカは胸に生じた違和感を忘れ、この男の言動のすべてを信じることにした。

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