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8.試練開始

 天幕の外が白んでくると、エルーカは布を敷いてあるだけの寝床から飛び起きた。


「朝だ!」


 大きな天幕には他にもロヴェーレ商会の雇人たちが雑魚寝をしており、エルーカの声に何人かが毛布の中で身じろぎをする。

 隣で丸くなっていたアスラクも目を瞬き、さっそく外へ出ようとするエルーカの腕を掴んだ。


「まだ、出発しないから・・・少しは寝ろよ頼む・・・」


「いつ出発するの?」


「もっと明るくなってからぁ・・・」


「もう明るいのに」


 アスラクの手を払い、エルーカは人々を跨ぎ天幕の外に出た。


 まだ星の光る夜明けの空がある。

 東の星の群れの下、山の端が白く、そこから徐々に朝が広がっていくようだ。エルーカがじっと見ていてもその広がりは遅い。だが着実に世界の色は変わってゆく。


「はー・・・」


 感嘆の溜め息も凍るほど、この地の朝は冷たい。


「さむ・・・」


 間もなくして、アスラクが眠気と寒さを堪えつつ、天幕から出てきた。


「なに見てんの?」


「空見てる。エルーカね、この、色が二つあるの好き」


「そ?」


「空の色が変わると、地上の全部の色が変わるんだね。妖精の国にも空があったらいいのに」


「妖精の国は地下なんだろ」


「うん。地上は妖精の国にないものがいっぱいあって、たのしい!」


「よかったね」


 相槌を打つアスラクにはどうという感動もない。


 地上の人々にとっては些末な日々の光景に、エルーカがいつまでも見惚れている間、辺りの天幕から動き出す人の気配が増えてくると、薄暗い暁の空に白い炊煙が昇り始めた。


「エルーカ、もう寝る気ないなら朝飯もらいに行こう」


「え? また食べるの? きのう食べたのに?」


「人間なら毎日食べなきゃあ」


「ふーん、じゃあエルーカも食べなきゃだ。人間だから」


 エルーカはうきうきとアスラクに付いて行く。

 二人は昨夜の宴会をした広場に移動し、薄い敷布の上でロヴェーレ商会の従業員が作った豆のスープをもらい、噛み応えのあるパンや塩漬けした肉を食べた。

 そのうち、敷布の下の凍った地面が一部溶け、尻にじわりとしみてくる。


 陽が山の向こうから完全に姿を出す頃には、別の天幕からも体格の良い男たちがあくびをしながら、飯の匂いにつられて広場に現れた。


「早起きだなお二人さん」


 昨夜、宴席で話した男が一人、エルーカとアスラクのもとにやって来た。男はカトゥロという名で、エルーカたちとは別口で先にロヴェーレ商会に雇われていた流れ者の一人である。

 彼も今日、若主人とともに神の森へ入る。

 

 食事を受け取り隣に座った彼をアスラクは愛想よく迎え入れたが、一晩経って相手を忘れたエルーカは無言でスープを啜り男の顔をじっと見る。

 その視線にカトゥロは笑みを返した。


「昨日はどーも。お嬢ちゃんの踊り、良かったぜ。おかげで楽しい夜になった」


 昨夜のエルーカは、腹を満たした後に妖精たちの宴でも恒例のダンスを存分に披露し、ロヴェーレ商会の面々をよく喜ばせた。

 そのため気さくに声をかけられたのだが、本人はきょとんとしているばかりなので、かわりにアスラクが会話を続ける。


「あんたは試練の護衛は二回目だって言ったっけ?」


「ああ。前回はロヴェーレとは別の雇用主で、最終的には逃げ帰ったがな。お前らは初めてだったか?」


「そうだよ」


「だったら運がいい。なんといっても天下のロヴェーレ商会、待遇は他と段違いだ。装備も護衛も出来のいいのをそろえてる。今回挑戦する奴らの中じゃあ、ここが一番の有望株だろうなあ。まあそれでも、森に入っちまえばどうなるかわからねえが」


「先輩としてぜひ教えてくれよ。試練で何より気をつけるべきことは?」


「ははっ。ねえよ、そんなもん」


「え?」


 カトゥロは奥歯でパンを噛みちぎる。


「すべては神に選ばれるか否か。運だよ、運。どんなに気張ろうが、巨人の足に踏まれりゃ人間は等しく死ぬ。知ってるか? 試練に挑む探検隊のほとんどが何日目に全滅するか」


「この流れで嫌な予感しかしないけど?」


「その予感で合ってるぞ。大抵の奴が初日に死ぬ。だから、逃げるなら今のうちだぜ色男。ツレのお嬢ちゃんがどんだけ強力な魔術師なのか知らねえが、お前らの願いを叶える方法は他にもあるんじゃねえのか?」


「おっと。ご親切にどーも」


 気づけば、カトゥロの眼差しが優しかった。あどけない少女と、まだ駆け出しのように見える青年の二人組が、中年の傭兵に老婆心のようなものを抱かせてしまったらしい。

 アスラクは予想外の気遣いにやや驚き、しかしそれは彼にとってもエルーカにとっても不要であるため、あくまで軽薄に応えた。


「大丈夫さ。おまけの俺はともかく、この子はほんとに強いからさ。それに、いざとなりゃあ俺らはどうとでも逃げられる。心配しなくても後悔はしないよ」


「そうかい。なに、俺もお前らに本気で説教しようってわけじゃねえ。偉そうにできるほどお利口な生き方してねえからな。生き死にまでが覚悟のうちなら、俺に言えることはねえさ」


「ああ。ありがとう」


 すると、男たちが親交を深めている様子を黙って見ていたエルーカが、不意に割り込んだ。


「ねえ、あなたも神に会いに行くの? あなたはどうして神に会いたいの?」


「あ?」


「どんなお願いをするの?」


 カトゥロはまったく予想外のことを訊かれた顔をしていた。答えはすぐに出てこず、間を持たせるように当人はスープを啜る。


「・・・俺ぁ、金のために雇われた流れ者だよ。恐れ多くも神に願うことなんぞないさ」


「? お願い、ないの? じゃあ神に会ったらなにするの?」


「神に会ったらかあ」


 まるで当然会えるものと思っている口ぶりに、男は苦笑を漏らす。


「会うまでに考えておくよ。確かに、死ななきゃ俺みたいなのの願いだって神様は叶えてくれるのかもしれん」


「うん、死なないよ。エルーカが守ってあげる。エルーカの仕事はみんな守ること」


「そうかい」


 カトゥロは朝日が眩しそうに目を細めた。


 エルーカたちが和やかに朝食を摂っている間も、辺りを忙しなく動くロヴェーレ商会の従業員たちが出立の準備を整えている。


 神の森は深い。

 そのため、食料や水などの備えも数十日分は持って行く必要がある。探検隊には主人と護衛の他、荷を運ぶ人足もいた。

 とはいえ、港町から護衛してきた人数ほどでなく、総勢は三十名程度である。あまり大人数で押しかけることを神は歓迎しないと言われている。


 やがてすべての準備ができた頃にダンテが広場に現れた。

 青地に赤い糸で模様の入った派手な羽織を表に着ており、今朝もよく人目を惹く。


「逃げずに皆いるな? よし行くぞ!」


 軽く広場の面々を一瞥した後、馬を駆る若主人を追いかける形で、ロヴェーレ商会の探検隊はぞろぞろと出発となった。

 エルーカもとりあえず動き出したアスラクに付いて行く。


「エルーカ見ろ。昨日の子がいる」


 アスラクが、隊列の中ほどにいる少女を指して、わざわざエルーカに教えてやった。毛皮のコートを着ている、緑の瞳の少女だ。いかにもつまらなそうな面持ちで、荷を曳く馬の横を黙々と歩いている。


 しかしエルーカは首を傾げてしまう。


「? だれ?」


「覚えてないのか? 昨日の夜、無視されて怒ってたろ」


「? わかんない」


 大したことのない出来事は一晩もすれば忘れてしまう。

 アスラクは拍子抜けし、自身の頬などを掻いた。


「・・・気にしてないならいいけど。あの子はたぶん、案内に雇われたクワフ人だ。神の元までなるべく安全な道を教えてくれる。試練に挑む奴は、必ず森の案内にクワフ人を雇うんだよ」


「あの人は神のいるところを知ってるってこと?」


「そういうこと。森の案内ができるクワフ人は貴重なんだ。挑戦者が多い時期は争奪戦になるらしい。昨晩、フラッグ商会の連中に絡まれてたのも、そういうことだろうな」


 森に向かう団体はダンテのロヴェーレ商会だけではない。数十人の団体から個人に至るまで、あらゆる人間が思い思いの願いを抱き、試練のスタート地点に立った。


 針葉樹の森の入り口は、下草の霜が朝日に当たって溶け始め、きらきらと眩かった。しかしその奥は薄暗く、乱立する木々のせいで見通しは悪い。


「エルーカはいるか!? 来い!」


 先頭にいたダンテが呼んだ。

 エルーカはもう若主人の名前も覚えていなかったが、呼ばれたのでひとまずそちらへ寄っていく。そしてダンテの馬に体当たりする直前にアスラクに外套を掴まれ止められた。


「お前は俺の傍にいろ。ちゃんと守ってくれよ。期待してるぞ」


「うん。エルーカ守るよ」


 もとより人間みんな守るつもりのエルーカだ。雇い主の顔を忘れても自分の仕事は覚えている。


「さあ出発だ!」


 威勢よく号令をかけるダンテだったが、はじめに森に入るのは物見の者だ。これは一度試練を経験したことのある者たちが選ばれている。

 他の者はその後を少し間をあけて続く手筈となっていたが、エルーカはその段取りを理解していない。


「どうしたの? 行かないの?」


 森の入り口で足を止めているダンテを見上げると、「焦るな」と若主人は偉そうに言った。


「神の森には多くの魔物が棲んでいる。それらをいかに凌いで神の元に辿り着けるかが試練なのだ」


「マモノ?」


「ま、さすがにこんな浅いところで出くわすのは、よほどの悪運だろうが」


 そんなことをダンテが口走った矢先のことである。

 エルーカはぱっと杖を構えた。


 木立の隙間から、緑の棘が突き出した。

 棘は一本一本が丸太のように太い。それが幾本も森の奥から飛び出し、入り口付近にたむろっていた人馬に突撃した。


 刺さるという表現は正確ではない。その棘はあまりに太く勢いが激しかったため、まともに受けた人間の体は二つにちぎれて飛び散った。


 エルーカよりも後ろにいた人々だけが、魔法で作られた風の障壁に守られ難を逃れていた。


「せぇーの!」


 エルーカはすぐさま杖を振りかぶり、前方の棘を粉砕した。

 棘は、よく見ると植物の蔓のようであった。

 勢いよくまっすぐ突き出てきた姿が棘のように見えたが、エルーカに先端を砕かれると、しなって森の奥に戻ってゆく。


「せぇーの!」


 エルーカは一度空まで飛び上がり、複数のうねる蔓を目がけて衝撃波を放つ。

 モグラ叩きのように何度か繰り返すことで、蔓はすべて森に引っ込んだ。


「いなくなったかな?」


 地に降りて、辺りをきょろきょろ見回す。

 森は何事もなかったかのように静まり、ダンテやアスラクたちは後方に下がって生きている。しかしこの一瞬で、試練に挑む探検隊は半数以上が消えてしまった。

 

 エルーカの足元にも、ばらばらになった人の体がいくつか転がっている。

 しかもその一つは、昨夜と今朝と、食事を共にしたカトゥロの顔の上半分であった。


「・・・あーあ」

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