7.その夜
宴会は、さすがに夜が更ける前には片付けとなった。神の森の近くで騒ぎ過ぎると、試練に挑む前に神に殺されることもあるのだという。
エルーカは満腹まで人間の食事を堪能できたが、しかし天幕の寝床に向かう時にはまだ騒ぎ足りない心地だった。
妖精たちとの宴では夜通し踊り明かすのが常だった。なにせ地下世界では月の沈むのも陽の昇るのもわからない。いい加減に見かねた父妖精に寝かしつけられるか、疲れて倒れるまでが一日なのだ。
今宵は雲一つなく、星の冴え冴えとした美しい夜である。
エルーカは何か寝てしまうのがもったいなく思え、立ち止まって夜空を見上げていた。思えば昨晩は早くに寝てしまい、夜の世界を満喫していない。
「あ」
「? どうした?」
数歩ばかり先行していたアスラクが、突然何か思い出したようなエルーカの声に振り返る。
「種まかなきゃだった」
新しい土地に入ったら、必ず種を一粒まく。大事な友達との約束だ。エルーカが取り出した小さな袋の口を、戻って来たアスラクが覗き込んだ。
「なにそれ?」
「花の種」
「花の種まきながら旅してんの? 可愛らしいことー。でもここじゃ芽が出ても踏まれるかもよ?」
「え、やだ。どこにまいたらいい?」
「森の傍は? 日陰にならないところなら育つだろ」
「わかった」
「あっ、ちょっ」
すぐにエルーカが走り出してしまったので、アスラクは慌てて追った。彼としては、どうせ明日森に入るのだから、明るくなってからまけば良いと続けるつもりだったのだが、エルーカは時々人の話を待つことができない。
松明の立てられた野営地を抜け、闇の塊となって静まり返る森へ、まっすぐ向かった。
「やっ!」
エルーカは森の手前で種を一つ取り、走りながら投げ込んだ。日当たりの良し悪しなどは知らない。
闇に落ちた種はもう見えなかった。
「誰だっ」
直後、エルーカは横合いから何者かに声をかけられた。
見やれば、少し離れたところに人影が三つ。
二つは立って、一つは地面に座って見える。
エルーカが杖の先に魔法の光を灯すと、三人とも目をすがめた。
立っている二人は男。背が高い者と低い者。低い者のほうが襟のあるコートを羽織り身なりが良い。
座っている一人は毛皮を着ているクワフ人の少女だった。十七、八の年頃だろう。座っているというより、まるで突き転ばされたように尻餅をついている格好だ。
「だれ? どうしたの?」
誰何を返したエルーカに答える者はない。
かわりに「おやー?」とわざとらしい、アスラクの声が沈黙に滑り込んだ。
「まさか今から試練にご出立で? これはうちの若様も先を越されたなあ」
アスラクはエルーカの照らす範囲には入らない。顔を相手に見せずとも、自分たちがロヴェーレ商会に雇われている者であることを明かした。
身なりの良いほうの男があからさまな舌打ちをし、背の高いもう一人を連れて無言で去っていった。
状況のまるでわからないエルーカは残った少女のほうへ駆け寄った。
「どうしたの? ケガしてるの?」
少女の目線に合わせ、しゃがむと素早く彼女は立ち上がった。
魔法の光に照らされる緑の瞳が夜風より冷ややかに、エルーカを見下ろす。
「? どうしたの?」
少女もまた無言で走り去っていった。
結局誰にも何も答えてもらえず、ただ睨まれるだけ睨まれては、さすがにエルーカも眉間に皴が寄ってしまう。
「なんなのー?」
「さあなあ。二人組のほうは確か、フラッグ商会の連中だったと思うが。こんな時間まで精が出るこった」
「だれ?」
「競争相手だよ。俺たちはあいつらより先に若様を神のもとに辿り着かせなきゃならないわけ」
「え? 神に会いに行くのは競争なの?」
「若様たちにとってはな。例えば若様の願いとまったく反対のことを願う奴がいたとしたら、どっちかの願いしか神は叶えられないだろ? この野営地には若様の敵がたくさんいるんだ。なのにロヴェーレ商会は誰にでも商品を運んで来るんだから、舐めてるというか商魂逞しいというか」
ぶつぶつとアスラクは何事か言い続けるが、前半からエルーカはまだよく意味がわかっていない。
「反対の、お願い?」
「んーと、ほら、若様はここにクワフ人たちの国を造りたいって言ってただろ? でも別の奴が自分が王になりたいと願って、それが先に叶ったら、若様は若様の思う国を造れなくなる。だから他の連中はみんな競争相手になるわけだ」
「あー、そっ、かぁ?」
エルーカは頭をぐるぐる回して一生懸命理解しようと考えた。
「・・・もしかして、国は一つしか造れなくて? 王は一人しかなれないから? 競争になる?」
「そゆこと」
「エルーカは? エルーカはエルーカのこと知ってるか神に訊きたいだけ。お願いじゃなかったら競争にならない?」
「まあそうかもな。でも本当にないのか? エルーカのお願いは。神は一つだけならなーんでも叶えてくれるらしいぞ?」
「えー?」
そう言われると、エルーカも欲が出てこないわけではない。
神という存在がどういうものなのか、まだよくはわからないが、もしなんでも願いが叶うとして、望んだものがすべて手に入ると考えて、エルーカの頭に浮かんできたものは一つだった。
「だったら、エルーカは花を咲かせる魔法がほしいな」
「あ? そんなんでいいの?」
アスラクが拍子抜けしたような態度を取るので、エルーカは少しむっとした。
「そんなんとちがう。えっと、命をつくる? 魔法は、とってもとってもむつかしいんだよっ。ベールたちでもできないことなんだよっ」
「花を咲かせるってより、生み出す魔法ってことか? そう言われると確かに難しそうに聞こえるな」
「花を咲かせる魔法覚えたら、妖精の国を全部花畑にするんだ。リグナムが絶対すっごく喜ぶよ。アスラクにも見せてあげるね」
「楽しみにしてるよ」
「ねえ、アスラクは何をお願いするの?」
「俺は金の成る木を生やす魔法でも願おうかな」
「それなに?」
野営地のほうへ戻っていくアスラクの背を、今度はエルーカが小走りに追う。
本来の目的は自分探しだったため、これまでエルーカはあまり意識していなかったが、改めてなんでも願いを叶えてくれる神に会えると思うと、胸の内で小さなエルーカが昼間のダンスの続きを始めたようで、それがこそばゆい。
駆けながら、くすくす笑いがつい漏れた。
「お願い叶えてくれるといいねっ」
「そうだなー。そのためにも明日に備えてもう寝ような?」
「だいじょぶっ。エルーカは三日くらい寝なくてもいいの魔法もってる」
「なにその魔法」
結局、エルーカはアスラクの寝かしつけも虚しく、朝までくすくす一人で笑っていた。