6.冒険商人
「せぇーのっ!」
まるで誰かとタイミングを合わせるような掛け声とともに、エルーカは杖を振りかぶり、前方から這い寄る二匹目の蛇の頭を粉砕した。
巨大な魔物の長い体を縦に割りながら衝撃が走り、土煙が辺りを包む。そんな様子を、商人と護衛の団体は後ろから遠巻きに見つめていた。
本来なら二匹目の地潜り蛇の登場という危機的な状況であったにもかかわらず、もはや誰も驚きの声すら上げない。「もうあいつ一人でいいんじゃないか」と集団の誰かが呟いたのを皆で聞くともなしに聞いている。
「お疲れー」
土煙が風に流され、視界が晴れると馬に乗ったアスラクがエルーカを回収し、また商隊が進んでゆく。道中、魔物が出るたびにその繰り返しであった。
毎回、護衛たちが戦闘態勢を整えるよりも先に飛び出したエルーカが、勢いそのままに一撃で粉砕してしまうのだ。
ほとんど一人で道中を守りつつ、それでもエルーカはまだまだ余裕だった。
「ねえねえアスラク、エルーカは疲れてないよ?」
「ん? ああいや、お疲れってのはあれだ、ありがとうって意味だよ」
「そうなの? お疲れはありがとうで、ええっと、妖精は魔物で? ややっこしいなあ。どうして同じことを違う言葉で言うの?」
「そんなにややこしいか? わかった気をつけるよ。ところでエルーカは魔力切れにならないのか?」
「え?」
背中越しにアスラクが尋ねてきたことに、エルーカが答えるまでやや間があいた。質問の意味を理解するには少し時間がかかる。
「魔力、うん、魔力だいじょぶ。エルーカにはすっごくたくさんの魔力があるんだって。それにベールたちもエルーカに魔力を貸してくれるの」
「ベールたちって?」
「エルーカの家族! 妖精!」
春夏秋冬の妖精たちは、エルーカに合計二十の魔法の加護を授けており、その魔力がエルーカのもとへ常に流れ込んできている状態であった。
ゆえにエルーカはどれだけ強力な魔法を連発しようとも、これまで魔力切れを起こしたことはない。
「つまり底なしなわけだ? そりゃますます頼もしい」
アスラクは乾いた笑いを漏らす。
一方、頼もしいと言われエルーカは自身が誇らしくなった。どうやら地上の人間たちは妖精よりも幾分か弱い存在であるらしい。
エルーカはアスラクの両肩を掴み、鞍の後ろで器用に立ち上がった。
「エルーカにまっかせて! みんな守ってあげる!」
「どーも。おかげでほら、もうゴールだ」
平原に突き出た森を迂回した先で、密集した天幕の影が見えた。
港町とはまた趣が異なり、石や木でできた背の高い建物はない。まるで軍の野営地のような、天幕ばかりの『街』が商隊の目的地であった。
徐々に日暮れが近づいている頃にもかかわらず、広場では大きな火が赤々と焚かれ、人間たちの騒ぎ声が辺りに響いている。
馬を降りたエルーカたちが近づいていくと、輪の中心でひと際高い笑い声を上げている男がいた。
頭頂に結い上げた黒髪を縄のように編んでいくつも垂らし、鮮やかな青の羽織を肩に引っかけた派手な若者である。
周囲から一つ頭抜けた長身で、日に焼けてところどころ皮の剥けている様が船乗りのような見てくれであったが、そんな男のもとへ商隊を率いてきた女番頭は、エルーカの腕を掴み真っ先に駆け寄った。
「若、若! やっばいの見つけたわよ!」
「なんだ!?」
なぜか男はすぐさまその琥珀色の瞳を輝かせ、自らも番頭のもとへ駆け寄る。
「黒耀竜が出たか!?」
「違うわ魔術師よ! 地潜り蛇二匹、一人でぶっ倒したすんごい魔術師!」
しっかり者の番頭も、今は宝物を見せびらかす興奮した少女のようであった。
一方のエルーカは両目を皿のようにして、新たに視界に登場した男の上から下までまんべんなく眺めた。
エルーカは知らないが、この男こそ番頭や護衛たちの雇い主である商家の若主人であった。
火の周りでともに酒を酌み交わし騒いでいる者たちも彼に雇われている人々であり、番頭が口走ったことに少なからずどよめきが広がっていた。
「地潜り蛇二匹をたった一人で? ふはははマジかよ! さてはコルヌ島の魔術師か!?」
はしゃいだ男が肩を掴もうとしてきたため、エルーカは咄嗟に避けた。何を言っているのかよくわからない人間は少し怖い。
すると男のかわりに、背後からアスラクがエルーカの肩に腕を回した。
「この子はエルーカ。妖精たちの加護を受けたちょいと特殊な魔術師なんですよ」
途端に、若主人はすいと瞳を細める。
「妖精だぁ? お前は誰だ?」
「俺は営業担当のアスラクと申しまーす。いや冗談でなく、このエルーカは妖精に育てられた特別な子なんですよ。地潜り蛇を一撃粉砕するその力たるや、噂の黒耀竜もなんのその。ぜひ俺たちを若様の【試練】のお供にお連れください。必ずやお役に立ってみせますよ」
「ふははは、うさんくさっ!」
若主人は上機嫌に手元の杯を呷る。突然現れた魔術師を名乗る者たちに対し、向けられる琥珀色の瞳は決して無邪気なばかりのものではない。しかしそれでいて、何かおもしろいことを期待する少年のような顔をしている。
そこでアスラクはエルーカに耳打ちした。
「エルーカ、この人にも妖精の魔法を見せてやってくれないか? ただし誰も怪我させないように」
「この人も魔法を見たいの? いいよっ」
エルーカが片手でくるりと長い杖を回すと、ごぉ、と風が吹き、焚火の炎とエルーカ自身を空へ舞い上げた。
「おぉ!」
足下でどよめきが立つ。
魔法で勢力を増幅された焚火が轟々と柱のように燃え上がり、先から飛び散った火の粉は小人の形となって踊り始めた。
同じくエルーカも軽快なステップを踏めば、杖が勝手に足場となるように宙を滑る。ちょうど一昨日にも誕生日の宴で妖精たちとこのようなダンスをしたばかりだった。
「あははっ!」
人々の頭上で、少女と火の小人が輪になり踊る。エルーカが宙返りするたび、噴き上がった焚き火が弾け、どんどん炎の踊り子たちが増えてゆく。
頭上に踊り狂う巨大な火の輪ができ上がる。
異様な光景であった。
「エルーカ! エルーカもういいぞ!」
夢中で遊ぶ子をアスラクが大声で呼び戻した。
我に返ったエルーカが再び杖を手に持ち一回転させると、小人たちはただの火の粉に戻り、ぱらぱら振り落ちる。
広場にいた多くの者が目を瞠っている中、若主人は一人はしゃいで手を打った。
「いいなお前! 愉快だ! 採用!」
地上に戻ってきたエルーカに、若主人は新たに酒を満たした杯を手渡した。それを飲み干すことで彼らの間では契約成立ということになるのだが、エルーカはやはり意味がわからずにいたので、かわりにアスラクが飲んだ。
若主人、ダンテ・ロヴェーレは空になった杯を確認し、頷いた。
「出発は明日の朝だ。妖精の魔法とやらでぜひ俺を神に会わせてくれよ、エルーカ」
「? あなたも神に会いたいの?」
「もちろん。今ここにいる連中は皆そのために来ている」
エルーカの問いは、少々間が抜けている。
この天幕ばかりの街は、これから神に会うために旅立つ人々のための野営地。すぐ傍の森が神の住まう神域で、彼らは神に目通りするまでの道のりを【試練】と呼んでいる。
エルーカが護衛してきた荷は明日、試練に挑むダンテ一行のための食料等々であり、なおかつ本日街に集っているその他の団体に売りつけるための商品なのだ。
――というようなことをエルーカは道中、アスラクから聞いていたはずだったが、半分以上はもう頭から抜けてしまっている。
「あなたはどうして神に会いたいの?」
鐘塔でジスランにもした問いをダンテにもすると、男はよくぞ聞いてくれたとばかりに、にかりと白い歯を見せた。
「ここに国を建てるためだ!」
「くに?」
「この土地にはまだ人間の国がないんだよ」
すかさず横からアスラクが補足した。
「昔な、よその土地から来た人間が、試練の神に断りもなく王を名乗って、ここに新しい国を建てようとしたことがあった。すると、森のほうから神の使いの竜が飛んできて、町も村もなんもかんも焼き尽くしちまったそうだ。つまり神に認めてもらえなきゃ、この土地の王にはなれないってこと」
「・・・神が人間の王を選ぶ?」
つい最近どこかで聞いた話だと思ったが、エルーカは昨日の出来事がもうだいぶおぼろげになっている。
「俺は王になりたいわけじゃないがな」
ダンテはそう続けて、なおも興奮気味にまくし立てた。
「この未踏の地を隈なく拓き、港をうんと増やしてクワフ人たちと商売をする! そのための国を造るんだ!」
「クワフ人っていうのは、この土地に昔から住んでる人たちのことだ。ほら、あそこにいる」
アスラクはエルーカに、護衛してきた荷の周りで立ち働く人々を指し示した。
クワフ人と呼ばれる人々は、顔が日に焼けた商人たちとは異なり、肌の色が淡く白っぽい。ただ長い冬の間に雪焼けした頬や目の周りだけが赤かった。
緑の双眸を時折、焚火の周りにいる人々へ向けつつも、蟻のごとく黙々と荷運びにいそしんでいる。荷の中にはこの近隣に住むクワフ人たちの生活用品をも含まれていた。
「できれば俺はクワフ人たちに国を造らせたい。今の連中は神の怒りを買わないように、一族ごとにあちこちばらけて小さな集落で暮らしてる。それじゃあ商売の効率も悪いってもんだ。よそ者の俺が何を言っても連中は腰を上げてくれんが、神の許しを得たと知ればその気になるはずだ。俺はそのために試練に挑む。商売ってのは、互いに得する関係でなきゃあな」
「さすがロヴェーレ商会のご嫡男! 懐が深い!」
調子よく合いの手を入れることもアスラクは忘れない。
ロヴェーレ商会とは大きな船を多数所有するダンテの実家のことで、本拠地はここからもっと南にある。その商売は世界の果てまで及ぶほど実に手広く、ロヴェーレの名を知らぬ者はよほどの世間知らずと思われる。
そんな彼らが近頃新たに宝の山として目を付けているのが、神により大規模な開拓を禁じられているこの土地ということなのだ。
要所要所でアスラクの嚙み砕いた解説を受け、エルーカは少しだけ人間社会の事情をわかった気になれた。
「というわけで、俺の野望のためにお前たちの命を使わせてもらう。今日は大いに飲んで食って英気を養ってくれ」
そのままエルーカたちは彼らの宴会に加わることになり、日が完全に落ちるまでよく騒ぐ彼らとともに過ごすことになった。
「ほらエルーカ。鳥串あるぞ」
甘辛いタレのかかった肉の塊をアスラクが渡してくれ、前歯で噛り付いてみると、味が濃い。鐘塔で飲んだ湯のようなスープとは大違いだ。
地上に出て二日目の夕。エルーカはようやく人間らしい食事にありつくことができた。