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5.はじまりの街(高難度)

 天を突くような山脈の上空では吹雪に遭い、吹き下ろす風に乗って山肌を下ってゆくと深緑の大森林が平地を覆っていた。


 標高が下がれば風の中に氷雪は混じらなくなる。その頃には陽が昇り、ジスランに教えてもらった目印の星は見えなくなったが、エルーカはともかくまっすぐ飛び続け、やがて遠くに海を見つけた。


 大きな帆船がいくつも停泊している港だ。

 そこに隣接した街の姿を認め、エルーカはどこかの家の三角屋根に降り立った。


「おー?」


 人々が足下の広場を行き交い、あらゆる怒鳴り声や笑い声、朝のざわめきがあちこちから湧いている。屋根の上からどこを見回しても人がいた。


「人間がいっぱいっ」


 個性的な見た目の妖精たちとは異なる、平凡な生き物たちの群れ。屋根の上のエルーカには誰も気づかず、港の船から荷を運んだり、それを店頭に並べたりと実に忙しそうだ。

 細々とした彼らの動きがおもしろく、エルーカは夢中になって見ていた。


 また、おいしそうな匂いも漂ってくる。

 広場に出ている屋台の一つから上がる煙の匂いにエルーカは唾を飲み込んだ。

 

 思えば、地上に出てからまだ湯のようなスープしか口にできていない。もともと食べ物などろくに手に入らない地下世界に暮らしていたエルーカは、ケルントラトが物の食べ方を教えるために何ヶ月かに一度用意する食事だけで平然と生きられる体を持っているが、食欲がまったくないわけではなかった。


 特に人間の料理には興味がある。妖精たちは調理などしないため、肉でも草でも生で齧るか、せいぜいが丸焼きにするかの二択しかなかったのだ。エルーカは香ばしい匂いに誘われるまま、煙立つ屋台の前に降り立った。


 屋台には庇が出ており、汗を拭いながら石の上で肉を焼く店主はエルーカが上から降ってきたところをちょうど見ていなかった。

 エルーカがカウンターに手をかけてから客の訪れに気づいた。

 

「これ食べていい?」


「あ?」


 カウンターには数種の肉串が並んでいる。鳥の肉に甘辛いタレをかけたものが多い。

 やや強面の髭の店主は肉を焼く手を止めず、片手だけ突き出し「銀二枚」という。


 エルーカはなんのことかわからなかったが、ここでケルントラトの教えが脳内に蘇った。


「あ、ここお店? お金払わなきゃいけないところ?」


「当たり前だ。なんだお前物乞いか? 金がないならどっか行きな」


「お金があれば食べていい?」


「そりゃあな」


「お金はどこでとれるの?」


「冷やかしなら失せな。ったく、このクソ忙しい時に。――いらっしゃい!」


 次々とやってくる客の流れに追いやられ、エルーカは屋台を離れざるを得なかった。

 魔法で無理やり奪うこともできるが、そういうことは人間社会においてしてはいけないとケルントラトに教わっている。

 しかし如何なケルントラトでも金の稼ぎ方までは教えてくれなかった。


 知らないことは知っている者に聞かなければならない。


 エルーカは広場を見渡した。


「ん?」


 視線を感じ、振り向いた先。

 広場の階段に座る身軽そうな男と目が合った。


 エルーカはその目に覚えがある。昨夕、鐘塔の上で出会った男と同じ、限界まで開かれた尋常ならざる眼差しだ。


 見つかると男は腰を浮かせたが、相手が逃げ出すより早くエルーカが駆け寄った。


「あなたエルーカの運命?」


「・・・は?」


 エルーカは今回もぴんときた。


 その男は毛先の跳ねた暗い茶色の髪に、赤の混じった黄色の瞳を持つ。鐘塔の男よりいくらか若い青年だ。

 革の胸当てをし、外套を羽織り、狩人のように矢筒を背負い半弓を持っていた。


 仕方なく浮かせた腰を下ろし、男はにこにこ顔で眼前に迫ってきた少女に半笑いを返す。


「あー・・・俺がなんだって?」


「エルーカの運命の人間!」


「このテの逆ナン初めてだなあ。光栄だけど、なんで俺?」


「運命は見たらわかる」


「一目惚れって解釈でオッケー? まいったなあ。いや本気でどうしたらいいんだこれ」


 困った青年はわざとらしく咳払いし、まず仕切り直すことにした。


「キミ、エルーカっていうの?」


「そうだよ。あなたは?」


「アスラクだ」


「アスラクアスラクアスラク」


「え、なに?」


「いっぱい言わないと覚えられないから」


「そう」


 青年アスラクは苦笑する。

 はじめにあった驚愕と緊張の気配はもうなく、今は前のめりでエルーカの話を聞く体勢となっていた。


「それで? エルーカはどこから来たんだ?」


「あっち」


 エルーカはマイペースに自分の飛んできた空を指した。


「北では神に会えるって聞いたから飛んできたの」


「神に会いたい? そりゃまたどーして。なんか叶えてほしい願いでも?」


 エルーカはここでも事情を一から話し、アスラクは終わるまで口を挟まずじっくりと聞いていた。


「――へえ。地下に妖精の国なんてものが。いや夢のある話だ。もちろん信じるとも。エルーカは自分探しの旅をしてる、と。それで初対面の俺にどうしてほしいって?」


「神のいるところに案内して。あとお金の取り方教えてほしい」


「稼ぎ方な。じゃあそのための大事な質問だ。エルーカ、キミは妖精と同じ魔法が使える?」


「うん。いっぱい使えるよ」


「戦ったことはある?」


「ちょこっとだけある」


「魔物は倒せる?」


「マモノ?」


「魔物を知らない? 凶暴な化け物だよ。魔力を持ってる」


「? よくわかんないけど、エルーカの魔法は強いよっ」


「よし。それならぴったりの仕事を紹介してやろう」


「しごと! エルーカ知ってるっ。仕事はお金をもらうためにしなきゃいけないこと」


「そのとおり。で、ちょうど俺はこれから仕事に行く。それを手伝ってくれたら、分け前をやるよ。あの屋台の鳥串くらい余裕で買える金が手に入るぞ。やってみるか?」


「やる!」


 エルーカは即決し、名前しか知らない青年に付いていった。


 広場を出ると道は複雑に入り組んでいる。様々な建物が羊の群れのように寄り集まった、雑然とした街の造りとなっており、ここを統治する者が誰なのかわかる形をしていない。


 その中をアスラクは迷わず進み、やがて建物が途切れたところで足を止めた。そこでは大きな幌馬車が並び、多くの人が立ち働いていた。


 荷が詰め込まれた幌馬車を曳く馬は、大岩に首や脚を取り付けたような、ずんぐりした筋肉の塊であった。たてがみまで見事な漆黒だ。興味本位に近づいたエルーカの額に生温い鼻息をかけた。

 これらの他にも、馬車は街中から荷を満載して続々やってくる。


「これから船の荷を隣の街に運ぶんだ」


 アスラクはエルーカに山脈のそびえる内陸のほうを指し示した。だが平原には森林が張り出しており、隣街の姿は見えない。


「この人たちは商人。俺たちの仕事は、途中で襲ってくる魔物から荷物とこの人らを守って、無事に街まで送り届けることだ。わかった?」


「うんわかったー」


 生返事をし、エルーカはなおも馬や馬車を夢中で眺めていた。


 その間にアスラクは幌馬車の隊列を指揮しているポニーテールの女のもとへ行き、「悪い、少し遅れた」と声をかけた。


 女はこの荷の持ち主である商店の番頭であり、喋る時には山なりに描いた眉を吊り上げる。


「いつの間にかいなくなったと思ったら、あんた女の子ナンパしてきたの?」


 周囲に指示を出しながらも、番頭はエルーカたちにしっかり気づいていた。呆れた様子の彼女にアスラクは大真面目に言い返す。


「ナンパされたのは俺のほう。あの子、エルーカは魔術師なんだ」


「魔術師ぃ?」


「あの子も俺と一緒に雇ってくれよ。報酬は俺のを折半でいい。そのかわり、よく働いたら若様に紹介してくれ。俺もあの子も【試練】に付いていきたい」


「ああそっちが目的のやつね。ま、腕が立つんなら雇うのはやぶさかではないよ。ちょっとハインツ! 来ておくれ!」


 番頭が大声で呼ばわったのは、この商隊の護衛たちのリーダーである。馬にも負けない屈強な筋肉を持つ壮年の男だ。


「エルーカ、こっちおいで」


 同時にアスラクもエルーカを呼ぶ。幌馬車の反対側に回り込んでいたエルーカは、馬の前を通って戻り、アスラクに体当たりをした。


「っと、元気いいな」


 アスラクは笑いながらエルーカを受け止めたが、別にエルーカはふざけてぶつかったわけではない。こいと言われたもののどこで止まれとは指示されなかったため、ぶつかるまで近づいただけであった。


「アスラクが魔術師ナンパしてきたって。この子も若のお供が目的らしいから連れていってもいい?」


「へえ魔術師? 構わねえが、本物なのか?」


 番頭も護衛のリーダーも、エルーカがどんなに非力な少女の見た目をしていようと魔術師と聞けばそこまで難色を示さなかった。だが当のエルーカは話の流れをよく理解していない。


「試しに魔術っての使ってみせてくれよ」


 リーダーの男はエルーカに向けて言っているが、エルーカは魔術という言葉がわからない。ただただ疑問符を飛ばしていると、アスラクが「魔法を見せてくれだってさ」と言い直した。


「なるべく安全なやつ。例えば、そうだな、明かりをつける魔法なんか使えないか?」


「明かりの魔法? いいよっ」


 エルーカが軽く杖を振ると、光の玉が宙のあちこちに現れた。地下世界の下層で遊ぶ時にはよく使っていた簡単な魔法であるが、番頭とリーダーは大げさなほど驚いてくれた。


「おー本物だ本物。で、魔物退治もできるんだな?」


「当然。な、エルーカ。戦いの魔法も使えるよな?」


「うん。エルーカは戦える」


「若が喜びそうだ。あんたを雇うことにするよ、エルーカ。よろしく」


 番頭はよくわかっていないエルーカに握手し、これで話を終わらせ新しくやってきた荷のほうへ向かう。出発前の荷の最終点検で忙しいのだ。


 エルーカたちもリーダーのハインツに連れられ、他の大勢の護衛仲間とともに隊列の確認を行った。役割分担はざっくりと偵察の先行隊、及び前衛と後衛で荷や商人たちを守る三部隊。


 エルーカはアスラクとひとまとめにカウントされ、先行隊に加わることとなった。


「ほら、エルーカ」


 出発の際、与えられた栗毛の馬に先にアスラクが乗り、後からエルーカを引き上げようとした。

 だが、そこで普通の少女の重量を想定して力んだアスラクは勢い余り、反対側までエルーカを投げてしまった。

 比喩ではなく、まさしく羽根のように軽い。


「・・・軽すぎない? え、中身入ってる?」


「入ってるよ?」


「これも魔法?」


「? ちがうよ?」


「・・・そっか」


 アスラクはゆっくりエルーカを持ち上げ、馬の後ろに乗せた。


「じゃ、行くぞ」


「うん!」


 先行隊以外にも、馬に乗った護衛が長い荷馬車の列に並走している。中にはハインツのような店の常雇いの者と、エルーカたちのように臨時で雇った者もあり、護衛だけでその数は五十にのぼる。ちょっとした小隊の規模である。

 それだけこの地域には危険が多いということだ。


 まばらに草の生えた大地に整備された道はなく、馬車は以前の轍を辿り、森を大きく迂回して進んでいった。

 傍を通る時もとにかく皆が森を警戒している。


 だが、アスラクだけは森よりも先の地面を気にして見ていた。


「エルーカ、しっかり掴まっててな。ちょっと走る」


 ある時に、何かに気づいたアスラクが列を抜いて先頭に出た。

 そして大地のひび割れを馬蹄が駆け抜けた直後、巨大な()が地を割って飛び出した。


「止まれ! 【アーヴァン】だ!」


 間一髪で牙から逃れたアスラクが背後に警告を発する。


 地より現れたのは、角の生えた肌色の蛇のような化け物だった。地上に出ている部分だけでもその辺りの木々より大きい。口の中には鋭い牙が鮫のように並んでいる。


「うあー、でっかい」


「これが魔物だ!」


「え?」


 馬上で激しく揺られながら、暢気に蛇を見上げるエルーカに早口でアスラクが言う。

 だがエルーカはよくわからなかった。


「あれは妖精じゃないの?」


 エルーカにはこの蛇の化け物も、はじめに山の窪地で倒した狼のような者たちも皆、地下の妖精たちと同じ存在に見える。容姿に違いがあっても人間が人間であるように、妖精は妖精である。ただ言葉が通じるか通じないかの違いしかない。

 

「俺らはああいうのを魔物って言ってんの!」


「そうなんだ」


 エルーカが一つ学んでいる間に、魔物は大地ごと人間たちを喰らおうと襲いかかった。

 この魔物の姿はすでに後方の護衛部隊の視界にも入っており、彼らは荷や商人の避難路を確保する者と魔物を引き付ける者とに分かれて、それぞれの役目を果たそうとしていた。


「畜生っ、いつの間にこっちに移動してきたんだ? 運が悪ぃな!」


 誰かの悪態が聞こえた。

 彼らが放つ弓矢や、槍などの投擲武器はろくに魔物を傷つけられない。


 この大きさの魔物を倒すならば攻城兵器のような大掛かりな武器が必要であり、はじめから誰も退治しようなどとは思っていなかった。そもそもが想定外の遭遇であったのだ。

 よって前衛が気を引き、その隙に後衛が商隊を迂回させて別ルートから目的地へ到達させる。数ある作戦の中で、最も危険な魔物にあった場合の対処がまさに実行されている。

 

 だが、エルーカだけがそのことをわかっていなかった。


「あれを倒せばいいんだよね?」


 エルーカはアスラクの肩を叩いて確認した。

 持っている弓を引くことなく、魔物の前を走り回って攪乱していたアスラクは、頷いた。


「ああそうだ。できるか?」


「うん。エルーカにまかせて」


 エルーカは鞍を蹴って高く飛び上がり、人を喰らおうとする蛇の頭めがけ杖を振りかぶった。


「せぇーのっ!」


 力いっぱい、振り下ろされた杖の先がぶつかった瞬間、衝撃が魔物の頭を粉々に打ち砕いた。

 そのまま地面まで突き抜け盛大に砂塵が巻き上がる。爆発の音は広い空の遠くまで響いた。

 

 土煙が風に吹き去られ視界が戻った時、人々の目には砕かれた地に立つ少女と、すでに頭部を失い、長い体が上から順に崩壊してゆく魔物の姿が映った。


 魔物の死体は残らない。

 その体は死ねば魔力の欠片に分解され消えてしまう。妖精も同じだ。彼らは根本から普通の生き物とは在り方が異なっていた。


「できたよ!」


 エルーカは、さあ褒めろとねだる犬のように無邪気な笑顔を周囲に向ける。

 

「・・・今の魔術、か? 殴り倒しただけ? どっちだ?」


 リーダーのハインツも含め、周囲はただただ呆然とするしかなかった。

 一人、アスラクを除いて。


「――やっぱ、どう考えても人間じゃねえよなあ」


 誰にも聞こえない独り言をぼやき、褒められ待ちをしている少女を何食わぬ顔で回収した。

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