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4.人違い

 暖炉の中が赤々と燃え、ぼうっと口を開け炎に見入るエルーカの影を石壁で踊らせていた。


 春とはいえ夜の山頂は冷える。

 石造りの鐘塔は窓の板戸を閉めていても隙間風がひどかった。


「そんなに近づいては顔が焼けるぞ」


 暖炉の前にべたりと座るエルーカの眼前にジスランが左手を差し入れた。右手にはカップを持ち、エルーカよりやや後ろに腰を下ろす。ちょうど良い椅子などはなかった。


「エルーカ焼けないよ? エルーカには燃えずの魔法がある」


 エルーカは炎の中に右手を入れてみせた。じっくりと炙ってから、まったく無傷な手のひらをジスランの鼻先につきつける。上着の袖にも火は移っていない。


 男は努めて冷静に目の前の異常を見定めている。


「・・・先ほどの話をまとめると、君は妖精に育てられた人間だというのだな。そして地上にいた時のことは何も覚えていないと」


「うん。だからまず神に会うの。神はエルーカがそこで生まれたか生まれてないかわかるんだって」


 エルーカは絨毯の上に置いていたカップを取り、薄い味のスープをすすった。暖炉で温めたものをジスランが分けてくれたのだ。ほとんど具はなく、粗食と呼ぶにもあまりに貧しいものが男の普段の夕食であった。


「これ飲んだらエルーカを神のところに連れてってくれる?」


「・・・この国の神であれば、残念だが私は居場所を知らない」


「えっ、なんで?」


 いきなりエルーカはあてが外れてしまった。男は少女へ滔々と理由を説明する。


「この国の神は【告げる神】と呼ばれている。神は次に玉座につくべき国王の名を人間へ告げるが、人前に御姿を現したことはない。【使徒】という、選ばれた七人がその声を聞き届けるのみだ」


 話の途中からエルーカは眉間に皺を寄せ始めていた。


「・・・言ってることわかんない。どうして神のいるところを知らないの?」


「誰も神を見たことがないから、どこにいるのかわからない」


「あーそういうことかー。え、じゃあエルーカはどうすればいいの?」


 ジスランが運命の導き手ならば道を示してくれるはずである。そうでないならば、エルーカはまた風に流されるままどこかにぶつかるまで放浪するしかないだろう。


 すると男は暖炉のほうへ顔を背け、少し考える間を置いた後に、エルーカの期待に応えてくれた。


「まずは居場所のわかっている神のもとから回ると良いのではないか。たとえば、北の山脈を越えた先に【試練の神】というものがいると聞く。障害を乗り越え、自身のもとに辿り着けた者の願いを叶える神だという」


「そっちの神にはエルーカ会える?」


「難しいとは聞く。だが、君は辿り着けるのではないか」


「じゃ、行ってみる。どこ行けばいいの?」


「北だ」


「北どこ」


「・・・夜が明けたら教えよう」


 ジスランは今夜はこの部屋に泊まれという。なお男の寝室はこの階の下にある。


「明日は私が朝の鐘を鳴らす前に出発したほうがいい」


「? どうして?」


 男の横顔はわずかに緊張していた。 


「――【ノール】という名に聞き覚えはあるか」


 「ノール?」とエルーカは口内で反復するも、特に思い当たる記憶はなかった。


「知らない」


 ジスランが詰めた息を吐く。


「ならば早くこの国を出たほうがいい」


「だからどうして?」


「ここでは何も良いことは起きないからだ。巻き込まれぬうちに君は北へ発て」


「エルーカだけ? ジスランは行かない?」


 神に会うところまで導き手は詳しく案内してくれるのだろうとエルーカは勝手に思い込んでいたため、これまたあてが外れた。


「私はここで朝夕に鐘を鳴らし続けねばならない」


「どうしても?」


「それが私の仕事だ」


「しごと・・・は、人間の役割のこと。お金をもらうためにしなくちゃいけないこと。鐘を鳴らすのがしなくちゃいけないこと?」


 エルーカはケルントラトに教わったことを思い出しながら話している。

 ジスランは頷いた。


「かわりというわけではないが、もともと私はこの国で神を探していた。もし見つけられたら、何らかの方法で君に知らせると約束する。その時こそ、ともに神へ会いにゆこう」


「約束?」


「ああ。約束する」

 

「んー・・・わかった」


 エルーカは両目をこすった。目が乾いてきたのだ。

 それをジスランは眠気と受け取った。

 

「話を聞かせてくれてありがとう。今夜はもう休むといい」


 ジスランは階下から分厚い毛布を持ってきて、エルーカに渡した。

 そして朝には自然と火が消えるように、火かき棒で薪と燃え殻をある程度平らにならす。


 毛布に包まったエルーカはさっさと目を閉じた。生来、寝入りは良いほうで、特に今日ははしゃぎ過ぎたため、いつもより疲れていた。


 少女の健やかな寝顔を、男は火かき棒を片手にじっと見下ろす。


「あ」


 と、エルーカが突然起きた。


「おやすみ」


 傍に立つ男へ言って、また目を閉じる。


「・・・おやすみ」


 ジスランは火かき棒を置いて階下へおりていった。



 *



 いつもより昏く静かな朝。寝返りを打ったエルーカは不意に目が覚めた。

 

 はじめは自分がどこにいるのかわからなかった。寝起きの頭は地下世界から旅立ったことをすっかり忘れており、石段を上がってきた男を見て思い出す。


 ジスランはまだ芋虫になったままのエルーカに一瞥くれ、ランタンを揺らし階段をのぼっていく。


「おはようっ」


 毛布を跳ね除け、エルーカは急いでジスランを追った。

 その背の向こうから「おはよう」と低い声が返ってくる。


 鐘の吊られた最上階。紺碧の空の隅々まで無数の星が散りばめられている。昨夕の風が雲を欠片に至るまですべて吹き去ったようだ。

 地表は霜に覆われ、小さな鐘の下から身を乗り出して見上げるエルーカの吐く息も白い。


「あちらが北だ」


 ジスランが、二つの鐘が吊られているほうにランタンを向けた。傍に寄ってきたエルーカに、輝く星を指し示す。


「あの星を目指して飛び、山を越えると、試練の神に会うために集う人々の街がある。そこにいる者の誰に聞いても神の居場所はわかるだろう。おそらく北の空はここより寒いと思うが、その服で山越えできるか?」


「エルーカ寒いのへいき。凍えずの魔法がある」


「そうか。では行きたまえ。旅の無事を祈る」


 ジスランはエルーカの左右の耳元で指を一度ずつ鳴らした。


「なに? なにしたの?」


「邪気を祓うまじないだ。悪しき声に惑わされぬように」


「魔法?」


「気休めだよ」


「? よくわかんないけど、ありがとう?」


 出発のためエルーカは杖を掲げる。風を捉え、ふわりと踵が浮いた時、ふと昨夜の会話の中で聞き忘れていたことが思い出され、エルーカは空中で振り返った。


「ジスランはどうして神に会いたいの?」


 南西から北東へ抜けてゆく風が、杖を横にして座るエルーカのおさげを遊ばせ、ジスランの銀髪を巻き上げる。エルーカをまっすぐ見上げる男の瞳は星の明かりに似ていた。


「――この国の在り方について神の御意志を聞くためだ。使徒への預言ではなく。直接。この耳で」


「んぇー・・・?」


「わからなくていい。君には関係のないことだ。・・・おそらくは。風向きが変わらぬうちに早く行きなさい」


「あ、うん。じゃあね」


 手を振って、北へ飛んでいく少女を男はランタンを掲げて見送った。行き先は照らさないが、まるで起点を示す灯台のように。


 その姿が夜明けの空に見えなくなってから、ジスランは中央の鐘の下に移動した。今朝も遅れず鐘を鳴らさねばならない。

 この五年間、男は代わり映えのない雌伏の日々を過ごしてきた。よって、不思議な少女との遭遇は大地を揺るがすほどの衝撃を彼に与えていた。

 

(・・・あれが本当に無関係であり得るのか?)


 昨夜もさんざんに思案したことを今朝も繰り返し悩む。だがその矢先、奇妙な気配を背後に感じた。


「――振り返るな」


 皺枯れた老人のような声が警告した。鐘の舌に繋がる紐を取ろうとした体勢のまま、ジスランは動きを止めた。

 すると背後の気配が満足気に笑う。


「お前は賢いね」


(なんだ?)


 ジスランはすばやく目を左右に動かし、耳を澄ませた。ミシミシと乾いた木が軋む音が背後と塔の下方から聞こえ、石柱の後ろに枯れた根か蔓のような蠢く影がわずかに見える。

 人ならざる何かがいる、ということはわかった。

 

(妖精か?)


 言葉の通じる人外のものといえば、男はそれしか知らない。先に出会った少女が真に人の子であったのならば、妖精に遭遇するのは初めてだ。


「お前はあの娘を、エルーカを知っているな?」


 黒い枝が左右から男の身を挟むように、ゆっくりと伸びてくる。そのうちの二本の枝が顎の下にかかった。ささくれたそれを横に引けば喉元を裂くこともできるだろう。


「教えておくれ。教えてくれたらお前の願いをなんでも叶えてやろう」


 そう聞いてジスランは一瞬、神を思い浮かべたが、すぐ己で否定する。この深淵から湧いたような禍々しさが神であるものか。


(あったとしても、邪神だろう)


 昨夜に引き続き、なおジスランは冷静であろうとした。


「・・・私はエルーカという娘のことは知らない。ただ、よく似た顔の者を知っているだけだ」


 すると背後の邪気がにわかに興奮した。


「語れ人間! すべてを、すべてだ!」


「ではそちらも語れ。お前は何者だ?」


「何者か、だと? さぁて、何に成り果てたのだろうな、私は。醜く落ちぶれたこの身を、お前たちはなんと呼んでくれる? ・・・なあ、人間」


 急に声を低める。一方でジスランに甘えるような、粘りつくような声色であった。

 

「お前はあの娘を殺そうとしたろう。私もあの娘を殺したい」


 枯草の先がかさかさと肩に触れた。

 ジスランは何も答えず、この化け物がいつから塔に隠れていたのかを考える。

 

「とびきり惨たらしく。救いようのない苦しみの中で死んでゆく娘の叫びを聞きたい。――あの無邪気な悪性を私は決して赦さん。なあ、そうだろう? 人間。お前は何を奪われた?」


 とめどなく溢れる呪詛が風にも拡散されず、背後の影の存在に汚泥のようにこびりつき、永遠にわだかまる。

 気を抜けば我を見失いそうな暗黒が周囲を覆っていった。


(この妖精は少女を追ってきたのか)


 そこまで理解したジスランは、闇に吞み込まれる前に大鐘のペダルを力いっぱい踏み込んだ。


 真上からの大音に背後の影は驚き退いた。さらにジスランは振り返りざま、ランタンを影に投げつける。

 灯のもとに枯れ木の化け物のような姿が一瞬、見えた。


 枯れ木の化け物は塔の下へ消えていった。柱や、床を這っていた根もするりと引いて、ジスランが下を覗き込んだ時にはもう、枝の一本も視界のうちに残っていない。


 気配だけは恐ろしいほどであったが、あまり力のある妖精ではなかったらしい。


(――この国の外でも何かが起きている。少女の正体を突き止めねば)


 ジスランの中で予感は確信に変わった。

 だが、まずは麓に異変を気取られぬよう、朝の鐘を鳴らし始める。リズムもテンポも昨夕と同じ。しかし最後に一回余分に小鐘を鳴らした。


 多くの者が単に終わり時をまちがえたのだろうと思う。この鐘塔の奏者はたまにそういうことがあり、また日に二度も聞こえる鐘の音のことをいちいち気にする者は滅多にいなかった。

 ゆえに町に潜伏している彼の仲間だけが合図に気づく。


 それから間もなくして、完全に陽が昇る前の薄闇にまぎれ、ニ、三の影が人知れず塔に入り込んだ。





 また同じく山陰に隠れた暗い場所で、火から逃れた枯れ木の妖精が恨めしそうに塔と、北の空を見上げた。


(・・・人間を惑わすより魔力の回復が先か。もどかしいが、まあいい)


 目鼻のない顔を両手で覆い、恍惚とした笑みを浮かべる。


「どうやら、ここが当たりだ。――きっとやってくれると信じていたよ、エルーカ。お前は世界中にどんどん種をまけ。私を増やし、私の復讐を助けておくれ」


 枯れた色の根の先を土に潜らせ、決して土地の者には気づかれぬよう、静かに、慎重に、這わせてゆく。

 根が張り巡らされる分だけ、彼の望みはより大きく花開くだろう。

 

 空飛ぶ少女は、地上の薄暗がりで起きたこんな出来事を知るよしもなかった。

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