幕間 王の資格
女王にとって、それは時々起きる些細な出来事でしかない。
その日も特別なことをしようとしたわけではなかった。
侍女が離宮の池の水面に花が咲き、とても美しいから舟遊びに行かないかと数日前から何度も勧めてきた上に、近頃よく遊び相手にしている傍付きの少女も興味を持った様子だったので、久方ぶりに気が向いて王宮を出てみただけだった。
城門を少し出たところで、唐突に暴徒が女王の乗る馬車を取り囲み、火をつけようとした。暴徒の中には魔術の心得のある者がいたらしく、護衛の騎士などほとんどが役に立たなかった。
彼らは一度も役に立った試しがない。以前、暗殺者に女王が狙われた時にもまごついて盾にもならず無駄死にしただけだった。
今回も、女王は護衛が半分ほど殺されてからゆっくり馬車を降りた。
「悪逆女王を殺せっ!!」
本日の彼女は細身の杖を持っていた。
星空のような模様の美しいドレスに似合う、上品な黒い杖で、長さは少女の身丈と同じくらいあった。杖の先には八重の花を模した可憐な飾りが付いている。
それを軽く振ると、降りかかる火の粉とわめく暴徒たちの首がいっぺんに消えた。
此度の暴徒の数はざっと見渡しても数十人はいたが、数はまったく問題にならない。いつものとおり、整備された石畳は血の水路となった。
「くそっ、くそぅっ、この化け物め!!」
怯えて逃げた者も大勢いる中で、同胞の血にまみれて女王を睨みつける人間もいた。
壮年の意思の強そうな男である。女王が無数に放った透明な刃のせいで両の足首が切断され、逃げられずに悪態をつくしかないようであった。
それでも、その胆力は感嘆すべきであろう。
一方の女王は、服の汚れだけが気がかりだった。
「丈の短いスカートにしてよかったあ。ヒールは高いやつにして正解だったよね。外のやつらはしょっちゅう汚すんだもん。可愛いノールがせっかくおしゃれしてるのに、嫌になっちゃう」
足のない男が這いつくばっている目の前で、靴の裏側などを気にしている女王の姿を、暴徒ではない群衆も悲鳴を堪えて遠巻きに窺っている。
「化け物!! 王国に災いをもたらすっ、不当に王となった反逆者め!! 貴様はいずれ生きながら業火に焼かれ死ぬだろう!!」
血を吐くように両足のない男は呪詛をまきちらす。
男のことなどまったく視界に入れていなかった女王は、そこでふと、足元を見た。
目が合うと男は喜んだ。
「この顔に見覚えがあるか? 俺は貴様が殺した偉大なる使徒、カルヴィンの息子オズエルだ!! 皆よ聞け!! 父はノールの名を神から告げられていない!! すなわちこの女王は告げる神のお認めにならぬ反逆者でしかないのだ!! それはこの者の所業からも明らかであろう!! 王になって、貴様がしたことは大義なき殺戮のみ!! 貴様の脅しに屈せずその名を告げなかった使徒のみならず、古き忠臣も功臣ものべつくまなく!! 国に死をもたらすだけの邪悪!! それが貴様の正体だ!!」
命の限り侮辱を繰り返す男を、女王は冷めた眼差しで見下ろしていた。そうして的外れな言い分を鼻で笑う。
「バカだなあ、お前」
「なっ・・・」
「ノールは知ってるよ。七人の使徒が神の声を聞き、名を告げられた者が王になるってこと。お前は知らないの? 七人の使徒がみんな口をそろえてノールを呼んだから、ノールはこの国の王なんだよ」
「だからそれは貴様が脅して言わせたのだろうが!! もともとの使徒を殺し貴様の言いなりになる者を新たな使徒に選んで己の名を告げさせたくせに!! いまに貴様には神罰が下るぞ冒涜者!! 必ずだ!!」
「? ちょっと意味わかんない」
無邪気な少女のように、女王は小首をかしげてみせた。
「神が関係あるか? お前らは使徒が告げた王に服従するんだろ?」
「・・・は?」
「だってお前らには神の声が聞こえないから。使徒が聞いた神の声をお前らは知りようがないから。だから、使徒が告げたやつを王だとするんでしょ? ちゃんとそのとおりに王になったノールにどうして従わないの? ノールはお前らと話してるとイライラする」
カン、と杖の先が石畳を突いた時、男の右の手首が飛んだ。
「人間も、神も」
カン、カン、と突くたびに、四肢が先から関節ごとに順に飛んでいく。
「ノールをいじめるやつは殺す。当然でしょ?」
最後に落ちた首が、てんてんと転がっていった。
群衆の悲鳴も耳障りで、女王はすっかり興が削がれてしまった。「帰る」とだけ馬車に告げて、杖でもう一度石畳を小突くと、空を飛んであっという間に一人で王宮へ戻った。
目についたバルコニーに降り立ち、適当に歩いていくと赤い足跡が廊下に続く。
それを見つけた従僕が慌てて宰相のもとへ知らせに走ったことで、女王は途中でいけ好かない男に呼び止められるはめとなった。
「また民衆を殺したのですか」
女王に対する挨拶すらなく、宰相は会うなり陰気な面で小言ばかり言う。それに対して女王も足を止めない。
「あいつらが悪い」
「見せしめのように殺せば民の反感が募ります。せめて直接手を下すのは控えるべきで」
「ちっともノールを守れないやつを護衛につけたのはお前じゃないか。ちょっと前には暗殺者?とかってやつらをノールに近づけたし、この間の気持ち悪い大臣も、お前が連れて来るのは嫌なやつばっかり。ひょっとしてノールに嫌がらせしてる?」
唐突に振り返って女王は宰相を見上げた。
また真っ黒な瞳で、深淵に引きずり込まれるような恐怖心を相手に抱かせる。宰相に付き従っている側近は腰を抜かすほど威圧されていたが、宰相はじっと耐えていた。
「なあ、クスター。ノールはなんでお前を生かしてやってるんだっけ。もう忘れそう」
「・・・すべてを陛下の思い通りにすることはできません。人間は恐怖に屈する者ばかりではないのです。それはジスランのことでもおかわりでしょう」
「誰だっけそいつ」
「陛下に従わなかった元使徒の男です」
「んー・・・あ、お前がどうしても殺すなって言うから見逃してやったやつ? やっぱりあいつも殺しておけばよかった」
すると、それまで動かなかった宰相の頬がわずかに震えた。顔色がいっそう暗くなる。
「ノールに逆らうやつをみんな殺せば、ノールに従うやつだけが残るでしょ? 賢いノールは全部わかってるの。で、クスタ―、お前もそろそろ殺そうか」
口調は軽いが、当人はまったく冗談を言っているつもりがない。
それをわかっていつつ、宰相は堂々と呆れた溜息を吐いた。
「私が死ねば、この国はもう国の形をなさなくなるでしょう」
「そんなことノールはどうだっていい」
「国がなくなれば王もなくなります。陛下に着せるドレスもなくなるでしょうね」
「えー? それはイヤ」
「ならば多少は我慢をなさいませ」
「それもイヤ! なんでノールが我慢しなくちゃいけないの!」
怒りにまかせ杖を突いただけで、廊下の窓がすべて割れた。降り注ぐ破片に頬を裂かれ、顎に伝った血を宰相は袖で拭う。
「・・・では、気分転換にご旅行に行かれてはいかがでしょう。その間に陛下のご不快な人間は私が穏便に処理しておきます」
「旅行って? なんだ急に」
このまま宰相を殺してしまおうとしていた女王は、けげんそうに杖を下げた。
「近々催されるマレ王国の建国祭に、我が国も招待を受けております。マレ王国は数々の商会が身を置く重要な交易拠点であり、建国祭には各国の王族クラスの要人が出席するでしょう。つまりそれ相応の格が求められる場です。我が国で現在、その場にふさわしい格を持たれているのは陛下のみです。王族も高位貴族も陛下がほとんど殺めてしまわれたので」
「ん~? 要するにどういうこと?」
「マレ王国の宴に、我が国の王としてご出席いただきたいと申し上げています」
「宴、ねえ」
「陛下が普段より熱心に買い漁っているドレスを披露する良い場ではありませんか。他国にも陛下の愛らしさを広めてきては?」
かなり投げやりな口調であったが、宰相は女王が本当に相手がそう思っているかなど大して気にもしないことを知っているため、余計な演技もいれなかった。
「マレ王国は海の国とも呼ばれます。南の海は宝石を散りばめたように輝かしいそうです。素晴らしい景色をご覧になれば陛下のご気分もきっと晴れるでしょう」
「海かあ・・・悪くはないかも? ノールが海に遊びにいってる間に、ノールに逆らうやつを全員お前が殺しておくんだな?」
「・・・陛下のお目につかないようには致しましょう」
「じゃあ、もう少しだけ生かしといてやる」
いつの間にか殺気を消し、ころりと態度を変えた女王は上機嫌で廊下の向こうへ消えていった。
その背が完全に見えなくなるまで待ち、宰相は側近のほう振り返る。彼と同じくガラスを浴びて血を流している側近はまだ恐怖に固まっている。
宰相が声をかけると、大げさに震えて我に返った。
「ミエス。お前が海の国であの化け物のお守りをしろ」
「へ!?」
一難去ったかに思えたのも束の間、さながら死刑宣告を受けたかのように側近は青ざめた。
「そんな! 私に死ねとおっしゃるのですか?」
「殺さぬようにきつく言っておく。化け物を引率して逐一状況をこちらへ報告してくれれば良い。何も化け物の狼藉を身を挺して止めろとは言わん」
「で、ですが、そもそも、あの化け物を他国へ送って良いのですか? ベルム王国との関係も危うい中、マレ王国との交易は我が国の生命線です。もしあの化け物が問題を起こしたら、今度こそ国が終わりますよ?」
「とうの昔に終わっているさ」
側近はぎょっとして口を噤んだ。
「神が沈黙を貫く今、これまでの形のまま存続することはあり得ない。どれほど我が国が異常な状態に陥っているか他国まで知らしめた上であれば、今後起こることのすべてが許容されるだろう」
陰鬱な顔で己の手を見つめる宰相に、一体何を起こすつもりなのかと聞けるほど、側近はまだ腹を括れていなかった。
彼はただ、宰相がなぜか唯一この王宮で女王に物申しても殺されない防波堤であるため、側に残っているに過ぎない。
そのことは宰相自身も知っている。ゆえに真意を語らぬまま、側近を置いて己の務めへ戻っていった。




