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25.もしもの話

 音楽の国でのエルーカの目的は存外にあっさりと果たされてしまい、あとはこの地を去る他になくなった。


 辿った道を戻ることをイムジスカが許さないと言う以上、砦に一度戻ることもできず、エルーカとアスラクはその場で砦の騎士たちとネロイに別れを告げることとなった。


「恩人にする仕打ちではありませんが、神のご意向ゆえご容赦ください。馬はどうかそのままお持ちください。大した量ではないですが食糧も積んであります」


 砦の騎士のヘルマンは終始申し訳なさそうで、行きに軽口を叩いていたディーターも別れの場では静かであった。


 エルーカも黙り込み、アスラクの後ろでぼうっとしている。


「おい、あまり気にするな」


 少女が落ち込んでいるようにも見えたためか、ネロイがわざわざ傍までやって来て、騎士たちに聞こえない小声でエルーカに言った。

 

「イムジスカは音楽ならなんでも愛す神だ。珍しい楽器や歌などを捧げれば案外ころっと態度を変えて歓迎してくれるだろう。僕もその手を使ってあの神からあれこれ聞き出したクチだ。もし、再び貴様がこの国に来たいと思った時には手土産を持参すればいい」


 エルーカはちらとネロイのほうを見る。

 一緒にいたのはたかだか二日程度であるが、ことあるごとに物を教えようとするこの魔術師が、どこかケルントラトの姿に重なった。

 ネロイが自分のために助言をしてくれている、ということだけはエルーカにも伝わった。


「僕はもう少し調べることがあるため今はここで別れるが、二週間後には南の海に浮かぶコルヌ島の魔術師学校に戻っている。近いうちに貴様もコルヌ島へ遊びに来い。いいな? 絶対に来いよエルーカ」


 いやに強く念押しされ、エルーカは二度ほど瞬きをした。


「あなたはエルーカにまた会いたいと思うの?」


「ああ」


「もしかしてエルーカのこと好きなの?」


「ああそうだ。叶うならば今すぐ僕の研究室で隈なく調べたいと思うほどには」


「でも、エルーカは覚えてられないかもしれない。エルーカは昔のことすぐ忘れちゃうから」


「ふむ。その記憶を長く保持できない性質も、何か理由があるのかもしれんな。故郷を探すのも良いが、そもそも自分が何者であるのか貴様はもっと深く知るべきだろう」


「・・・うん」


 ネロイの伝えたいことが、ようやくほんの少しだけわかった気がした。

 そんなふうに最後の会話を終えて、エルーカはアスラクの馬に乗り、砦の騎士と魔術師に手を振って別れた。


 相棒の肩に手を置き、鞍の上に立つと心地よい風が前髪を掻き上げる。


「ねーねーアスラク、エルーカね、さっき好きって言われたよ。魔術の人はエルーカにまた会いたいんだって」


「良かったね。エルーカはモテるなあ」


「モテるってなに?」


「みんなエルーカを好きになるってこと。俺もエルーカが好きだよ」


「うん知ってる」


 そう言いつつ、エルーカは浮かない顔をしてアスラクの首に腕を回す。全身で寄りかかられても、もちろん男はほとんど重さを感じない。


「・・・でも、神はエルーカのこと嫌いみたい。エルーカを殺すって言ってた」


「神は性格が悪いからな。あんな奴らに好かれなくたって気にしなくていい」


「? 性格が悪いとエルーカのこと嫌いになるの?」


「エルーカみたいな良い子を嫌いになるのは、相手の性格が悪いからだよ。後ろめたいことがある奴ほど罪のないものを煙たがるもんだ。完全に言いがかりなんだから俺たちもまじめに言うことを聞く必要はないってこと」


「え?」


 アスラクは悪そうな笑みを浮かべた。


「この音楽の国、ムジカ国は地方も栄えてて観光名所やうまい食べ物がいっぱいある。まがりなりにもエルーカはこの国の神を助けてやったわけだし、少しくらい遊んでもバチは当たらないさ。な? エルーカもせっかくなら遊んだりおいしいもの食べていきたいだろ?」


 ぱっとエルーカの顔が明るくなった。


「おいしいもの? 食べ物? 食べたい! いいの?」


「ああ。神はこう言ったろ? 辿った道を戻ることは許さないって。つまり同じ道を戻らなければ、どこを経由して遊びながら出て行ってもいいわけだ。めいっぱい楽しんだら、あのクズ神のことなんてどうでもよくなるさ」


 神が目の前にいなければ、アスラクは怖気づかず自由に言いたい放題であった。

 なお資金はアスラクが海に落ちても懐から失くさずにいたロヴェーレ商会からの報酬と、今ほど砦の騎士たちから受け取った褒賞金で十分だ。豪遊とまではいかなくとも、子供を町で遊ばせるくらいの余裕はある。


 最初からアスラクはそのつもりで、馬をここから一番近い地方都市へ向けて走らせている。湿原に辿り着いた当初は現在地がわからずエルーカの勘まかせであったが、今は頭の中の地図に沿って正確に旅路を辿っていた。

 アスラクの案内があれば、エルーカがうっかり道を戻って神の怒りに触れることもないだろう。


 目先に楽しげな予定をぶら下げられ、エルーカはやっと沈んだ心が軽くなってきた。


 それでも、ただただ楽しみで駆け回りたくなるほど浮かれた気分にまでならないのは、忘れようとも忘れられない疑問が頭にこびりついているせいである。


「ねえねえアスラク」


「ん?」


「あの子は、エルーカのことエルーカじゃないって言ってたけど、エルーカはエルーカなの」


「・・・そうだな?」


「もしかして、エルーカじゃないエルーカがいるのかな?」


 どうしても意味がわからないことの意味がわかるように、ずっと一人で考えた結果、死の沼の妖精が見たエルーカは自分ではない別のエルーカなのかもしれないと、そう思った。それが何者であるかはわからないにせよ。

 

 アスラクはエルーカの思いつきに同意も否定もしなかった。

 かわりに、やや慎重な様子でエルーカへ問い返した。


「なあエルーカ。たとえばの話、もし本物と偽物の二人のエルーカがいたとするだろ?」


「? うん」


「もし偽物のエルーカが、本物のエルーカと入れ替わって生きていたら、エルーカはどうする?」


「? えっと、本物のエルーカと偽物が入れ替わる? 入れ替わったらどうなるの?」


「んー、たとえば今、エルーカは俺と一緒に旅してるだろ? それが偽物のエルーカに入れ替わって、俺と偽物のエルーカが二人で旅をするようになる。俺は偽物のエルーカに入れ替わってるとは思いもしないで仲良くしてるんだ。それを見たら、エルーカはどんな気持ちになると思う?」


「えー?」


「たとえばの話だ」


 エルーカは想像してみた。

 自分の姿をした偽物がアスラクの隣を並んで歩く背中が思い浮かんだ。


「エルーカも一緒に行きたいって言う」


「それだけ? エルーカのふりをしてる偽物に腹は立たない?」


「どうして? 三人で旅したらきっともっと楽しいと思う」


「なら、たとえを変えよう。この先エルーカが故郷を見つけて、いざ自分の家に帰れた時、偽物のエルーカがそこにいたとする。その偽物がそれまでずっとエルーカのふりをして、好き放題に暴れて、人をたくさん殺していたら、エルーカはどう思う?」


「え?」


 エルーカは戸惑った。

 アスラクの言うことはあまりにも突拍子がなく、今度は想像するのも難しい。男がそんな話をする意図も掴めないエルーカは、


「・・・よく、わかんないけど、人を殺しちゃいけないってケルントラトは言ってたよ」


 小さな声でそう返すしかなかった。


「偽物のエルーカが人殺しだったら、エルーカは偽物を倒すか?」


「え? うーん・・・ううん。なんで殺すのって訊く」


「そっか」


 エルーカは人として人間社会に溶け込むために殺人を犯すな教わっているだけであり、一般的な倫理観を持ち合わせているわけでもない。

 まだまだエルーカの感性は人間よりも妖精側に寄ったままである。

 

 するとアスラクの不可解な質問はそこで終わった。


「変なことばっかり聞いてごめんな。忘れてくれ」


「え? 忘れていいの?」


「いいよ。ただのたとえ話だから。まあともかく、もしエルーカが二人いたとして、確実に言えることは一つだ」


「なに?」


「俺はこっちのエルーカに出会えて本当に運が良かったってこと」


 ぽんぽんと肩の上にあった少女の頭を叩く。

 その声音も手つきもエルーカにはくすぐったかった。


「エルーカに会えてよかったって言ったの?」


「言った。俺はエルーカが好きだからさ」


「うん知ってる!」


 エルーカは男からの愛情をひとかけらも疑ってはいない。

 結局、アスラクの問いかけは会話の中の些事であって、特に重要な記憶としてエルーカの印象に残ることはなかった。


 その後はアスラクが気分を変えて音楽の国の愉快な話を聞かせてくれたため、エルーカはそれまでにたくさん考え悩んだことを一度頭の隅へすべて追いやり、蒼い湿原の冷涼な風と相棒の声に無心で耳を傾けた。




 *




 遠く離れた空の下。

 湿原を通り過ぎ、海を渡った風の行き先に、指を伸ばす小さな影があった。


 目にも見えない細かな塵が、彼女の爪先をかすめる。

 わずかな魔力の気配は彼女にしか感知できない。それは同じ沼底から生まれた姉妹の残滓。


「あ・・・」


 塗り潰されたように真っ黒な手が顔を覆う。指の間からはらはら落ちる涙だけは、死の泥から生まれても透明だった。


「ぅ・・・っ、おかあ、さん・・・おかあさぁん・・・」


 こうして嘆くのは何度目になるだろう。何人の姉妹がこれまで犠牲になっただろう。

 挫けそうになるたび、地に這いつくばって母を恋うてきた。


 だが、それでも、諦めることは許されない。

 このままでは帰れない。もう生き残りは彼女しかいないのだ。


 涙を呑んで、顔を上げる。


「・・・地上の神め。ぜんぶ、殺してやる」


 呪詛を吐けば力が湧いてくる。

 憎しみと、希望が今にも溶け落ちそうな手足を未来へ向かって動かしてくれる。

 

「わたしたちを見ていて、お母さん」


 それはまるで人が神に捧げる祈りのように切実だった。

 胸に黒い棘を握り締め、一歩一歩、彼女は砂の地を歩いていった。

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