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21.音楽の神

「新たな神が出現したのは三日前。砦の兵が見張り中に湿原の向こうから黒い影のようなものが現れ、この地の新たな神を自称したそうだ」


 砦に向かう道中、エルーカの杖の上でネロイは事の経緯を語った。


「その時は兵士らがなんとか影を追い払った。言うまでもなくダタル湿原はムジカの国の領土内、この国の神の領域のはずだ。その神が倒されたという話もない。近頃は神々の領土争いも落ち着いてきているからな、そんな大事があれば誰もが知る。ならば、新たな神を自称する者は何者か? 砦の兵士らは、彼らの神の無事を確認するとともに、先行して湿原の調査を始め、そこにたまたま訪れた僕が協力してやることになったのだ」


「ムジカの国の神は、確か【音楽の神】だったっけ。争いごとを好まない温厚な神様だって噂だよね。案外、人知れずもうやられちゃったのかもよ?」


「まだ確認が取れていない以上はその可能性も否めん」


 薄笑いを浮かべるアスラクの発言に対しても、この国の人間ではないネロイは冷静に頷いていた。


「僕は調査隊に加わり、黒い影がやって来た湿原へ向かった。はじめは何事もなかったが、ある地点で得体の知れぬ泥に襲われた」


「泥?」


「なんと言うのが正しいのかわからん。僕たちを襲ったのは黒い泥のような何かだ。あれが新たな神なのか妖精なのかは判別できなかった。泥に触れた者は次々と溶かされ、僕はストックしていた魔力も尽きて逃げた」


 ネロイの腰のベルトには、魔術師であることを表すエンブレムの他に、ごく小さなランタンの形の飾りもぶら下がっていた。

 そのランタンは、妖精と違って魔力の少ない魔術師が、日々己の魔力をこつこつ溜めておき、いざという時に使用するための道具なのだという。魔術師は大抵これを所持している。


「途中で穴に落ちたがむしろそれが良かったのだろう。泥は僕に気づかずに消えたようだ」


「ってことは、俺たちももう少しでその変なのに遭遇するところだったんだな。危ない危ない」


 経緯と状況は大体把握できた。

 アスラクはおどけてみせた後で、ふと目を細めた。

 

「ところで、先生は神の正体を妖精だと思ってるんだよね? さっき、さらっと言ってたけど」


「それが事実だ。貴様らも知っているようだな」


「俺らは神のもとを巡ってるんでね。それなりに知ってることはあるよ」


「僕も研究テーマの一つを魔法の解明としているがゆえに、付随して神と妖精には普通の人間よりも詳しいほうだ。よって僕の前では構わんが、砦では決して神の正体を口にするなよ。良くて袋叩きに遭うぞ。普通の人間にとって妖精とは善も悪もない得体の知れぬもの。神とはひれ伏し崇めるものだ」


「重々承知してるよ」


 北の地で神の正体を聞き知ったダンテ・ロヴェーレも、その話題に触れることは一切なかった。彼のような現実主義の商人であれば、動揺を胸の内に秘する程度で済むだろうが、信仰心の厚い者にはその現実を受け止めることなどできない。


 神か化け物か。人々にとってそれは単なる呼称の違いに留まらない。

 国家の成り立ちに深く関わる神の権威が失墜すれば、国の崩壊に繋がるだろう。


「――ん?」


 前を歩いていたエルーカは、遠くのほうでかすかに聞こえる音に気付いた。

 はじめは鈍く、どん、どん、と地に響く音。

 近づいてゆくと、他にも様々な太鼓や金属をリズミカルに打ち鳴らす音がした。


「これは?」


「魔除けだ。砦の兵が湿原に現れた自称神を警戒し、交代で打楽器を叩いている」


 どうやら砦が近づいてきているらしい。

 音に乗せられ、エルーカはわくわくしてきた。


「この国で奏でられる音楽には神の恩寵、平たく言うと魔法によってあらゆる効果が付与される。それほど強力なものではないが、この魔除けの音楽で例の自称神を追い払うことができたらしい」


「気休めではないってわけね」


 エルーカはネロイとアスラクの会話を聞いて、一瞬、何かを思い出せそうになったが、途中でやはり霧散してしまった。


 音を魔除けとする風習は他の国々にもあり、領地の境や街中に鐘塔を設置しているところも多い。ムジカの国では実際に神が魔法を使ってその効果を実現させているのだ。


 なんにせよ、エルーカはこの音が楽しい。


 砦は間もなく見えてきた。

 演奏は城壁の上で行われており、大小の太鼓や、いくつもの小さな釣鐘、シンバルなど、たくさんの打楽器が並んでいた。


 まだ城門には遠かったが、見張り兵がエルーカたちに気づき、偵察の騎馬が二頭出てきた。彼らは非常に警戒し慎重に近づいてきたが、ネロイの顔を認めるや駆け寄り、そして彼とともに出発したはずの兵士が一人もいないことに青ざめた。


 ネロイが手短に事情を説明すると、騎馬の一頭が先に報告へ戻り、残った一頭がエルーカたちを含め、一行を砦に案内した。


 その間も演奏は絶え間なく続く。

 堅牢な城門が目の前に迫る頃には、エルーカもたまらなくなって、もういいだろうとネロイを門の前で放り捨てるや、飛び上がって城壁に降り立った。


「うわ!?」


 近くで小太鼓を叩いていた若い兵士が、真横に現れたエルーカに驚き手を止めた。それが隣に伝染していき、もう数人、手が止まる。

 

「どうしたの? 続けて?」


 エルーカはにこにこしながら兵士に演奏を促す。

 単に聞いたことのない音が気になって、彼らが楽器を叩いているところを見たかっただけなのである。


「え? だ、誰だよあんた」


 自称神の出現もあって警戒している兵士たちだが、白昼のもとに現れた一見無害そうな少女には困惑してしまう。

 間もなく、「すんませーん!」とアスラクが石段を駆け上ってきた。


「その子うちの子です! エルーカこっちおいで、そこはお兄さんたちの演奏の邪魔になるから、な?」


 アスラクが割り込んだことで、さらに演奏を止める者が増え、やがては完全に音が止まり兵士らは何事かとエルーカらを見る。

 エルーカもエルーカで首を傾げていた。


「エルーカがここにいたらだめ? 邪魔しないよ?」


「いやあ、まあ・・・」


 近くの兵士は曖昧に濁す。

 それから部下を押しのけ、立派な髭を生やしたこの楽隊の隊長がやって来ると、エルーカとアスラクに詰問した。


「誰だお前たちは! なぜここにいる!?」


「まあまあ、落ち着いて。俺たちはネロイ先生を助けた旅の者です」


「ネロイ殿を?」


「ええ――」


 アスラクの説明の途中、エルーカは急に大きな魔力の気配を感じて振り返った。


 虚空に人型のものが現れる。


 その者は黄銅のように輝く色をした豊かな長い髪を持ち、トーガをまとった美麗な青年の姿をしている。外見はただの人間と変わらないが、宙に座って自分の膝に頬杖をつき、エルーカを見下ろしていた。


「だれ?」


 男が何か言う前に、楽隊の隊長が突然、その場に跪いた。


「光輝なる楽の神、我らのイムジスカに拝礼いたします!」


 その叫びに近い声を聞き、周囲の兵士たちもはっとなって、太鼓のバチを慌てて放し同じように跪いた。


「「光輝なる神に拝礼いたします!」」


 兵士らの腹からの合唱に鼓膜がびりびりと震えた。

 エルーカは驚いて目を丸くし、アスラクは「いきなりかよっ」と独り言を漏らして、急ぎ兵士らにまじって跪いた。


「やはり、ご無事でいらっしゃったのですね!」


「当たり前だ。お前たちは静かにしていろ」


 楽隊の隊長は心底安堵しているようだ。

 鷹揚に人間に応えた青年姿のこの者こそ、音楽の神と称されるイムジスカであった。


 エルーカだけが城壁に立ったまま、彼を見上げる。


「神って言った? あなたがこの土地の神なの?」


「そうだ。それでお前はどこの神だ?」


 神の言葉に周囲はぎょっとしてエルーカを見やる。

 エルーカ本人はきょとんとしていた。

 

「エルーカは神じゃないよ? エルーカは人間」


「下手な嘘はつくな。この魔力量なら義体だろうが。魔力の繋がりだってうっすら見えるぞ。湿原の奴とは別口のようではあるが」


 はあ、と神はあからさまな溜息をついた。


「どいつもこいつも、うっとうしい・・・私は、戦いなんて面倒事をするくらいならこれ以上の力を望まない。まったくなんの意味もない。義体なんぞ送ってくるなよ。どうせ敵わないのに、いちいち相手させられるほうの身になれ。どこのどいつか知らんが」


「??」


 エルーカはまるで意味がわからずにいる。

 よって、同じ言葉を返すしかなかった。


「エルーカは人間だよ? エルーカはあなたに訊きたいことがあって来た。ねえ、エルーカはこの土地で生まれた?」


「は? なにを言ってる?」 


「エルーカはこの土地で生まれた子? ちがう?」


「んん? なんの話?」


「え?」


「神よ。僭越ながら」


 何も話が進まずにいるそこへ、足を引きずりながらネロイが石段を登ってやって来た。彼はエルーカの傍まで来ると、まずは空中の神に跪いて拝礼した。

 

「私はここから南、海の神の治める領域より参った旅の者で、ネロイと申します。願わくば、こちらの娘、エルーカについて上奏させていただきたい」


「許す。こいつ訳わからんし」


「では」


 ネロイは本人にかわって、先に聞いたばかりのエルーカの事情を説明した。

 

「――妖精に育てられた人間? 物好きな奴がいるもんだなあ。おい、誰がお前を育てたって? 私の知ってる奴か?」


「? エルーカに訊いてる? エルーカを育てたのはケルントラトだよ」


 途中、イムジスカが訊いてきたので、素直に父の名を告げると、彼もセレティクスと同じように目を見開いて反応した。

 ただし、イムジスカの場合は敵意ではなく、純粋に懐かしい名を聞き驚いている顔だ。


「へえ、ケルントラトの子? それか、ケルントラトの義体なのか? 奴に限って仕掛けてくるとは思えんが」


「? ぎたい?」


 聞き覚えのない言葉が引っかかり反復すると、ネロイがこっそり説明してくれる。


「義体とは、神が魔法で作った仮の体のことだ。基本的に神の本体は力の源たる場所にいて、人前に姿を現す時には義体を使うと言われている。義体は魔力を固めた人形であったり、獣や眷属の妖精に意識を同化させたものであったりするそうだ」


 エルーカの目の前にいるイムジスカもまた、神の本体ではない。その魔力の一部で作られた義体であるため、北の地で対峙したセレティクス本体のような強い力と威圧は感じられない。

 なお、よく目を凝らせばどこからか義体に繋がる魔力の糸が見える。本体はその繋がりを通じて、義体と同じものを見聞きしているのだ。


「エルーカは人間だよ。ケルントラトがそう言った。エルーカに地上で自分を探しなさいって言った。だから、エルーカは神にエルーカの生まれた場所を聞いて回ってるの」


「ふぅむ・・・」


 イムジスカは、いまいち納得していないように、鼻息を漏らした。

 

「それを信じろって言うのか? お前がケルントラトの手先ではなく、湿原に入り込んだよくわからん奴の仲間でもないと。私に信じろと?」


「? うん」


 神に何を疑われているのかはよく理解できていないが、エルーカはとりあえず頷いた。


 そんな無邪気でふてぶてしい異邦人に対し、「ならば」とイムジスカは指を鳴らすと、虚空から四弦の楽器を手元に出現させた。


 長い指が弦を掻けば、心地よい音色が響き渡る。


「戦意がないことをダンスで示してみせろ!」


「わかった!」


「わかるんだ」


 思わず口走ったアスラクの声は、神の楽の音に紛れて聞こえなかった。


 たった四本の弦からそれ以上の複雑な音色が奏でられ、心を、体をくすぐって、エルーカはその音の渦に乗るように宙返りから始めた。


 突然に浴びせられた神の演奏に、音楽の国の民は驚喜し、間もなく楽隊が太鼓を叩き始め、シンバルが要所要所で鳴る。


 エルーカは旋律をなでるように腕を振り、リズムに弾かれステップを踏む。

 どんどんテンポの上がっていく即興曲を最後まで楽しく踊りきった。


「――よし、いいだろう」


 ジャン、と切るように弦を鳴らしてイムジスカは合格を告げた。

 エルーカも楽隊の兵たちも顔を赤くし、はあはあ息を上げている。


「楽しかった!」


「なかなか良かったぞ。確かに、私と争う気はなさそうだな。ケルントラトの子らしさはある」


「エルーカは人間の子だよ? あ、ねえ、エルーカはこの土地で生まれた子に見える?」


 無事に和解できたところでもう一度、エルーカが尋ねると、イムジスカは笑みを浮かべた。


「それに答えてほしければ、一つ、私の役に立て。エルーカ」


「え?」


「湿原に現れた新たな神を殺してこい」


 ボロロン、と神は優しい音色を鳴らして言った。

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