18.帰還
世界が夜明けを迎える頃、一つの冒険が終わった。
天幕の街は夜中に突如出現した探検隊と、満身創痍で生還したロヴェーレ商会の若主人の看護で大騒ぎとなっている。
エルーカはそんな最中をスキップで通り過ぎ、どこかの大きな天幕の後ろに回って、
「いた!」
人知れず街を去ろうとするマイニの毛皮のコートを引っ張った。
彼女も帰りはダンテやアスラクと同じく、エルーカに空からまとめて運ばれて来たのだが、騒ぎに乗じていつの間にか姿を消していた。
マイニは力任せにエルーカから毛皮を引き抜くが、すぐさま行く手に回り込まれ逃げられない。
マイニからすれば、神の試練の秘密を暴露してしまった以上、一刻も早くこの場を去らねば落ち着けないのだが、そんなのはエルーカの知ったことではなかった。
「エルーカね、あなたに教えてほしい」
「・・・なに」
「あなたは王になったの?」
「は?」
「神に選ばれた人間は王になるんでしょ?」
それだけは知っているとエルーカは得意げだ。普段はあまり物事を覚えていられないのに、神が人の王を選ぶという、このことだけはなぜかすんなり頭に馴染んだ。
しかし、マイニのほうはそんなことを思いも寄らずにいた。
「・・・違う」
「え、違うの? どうして?」
「どうしても何も、あの神は王だなんてことは言わなかったわ」
「でも神はあなたを選んだよ。エルーカ見てたからわかるよ」
セレティクスはダンテを黙らせアスラクを無視し、マイニにのみ使命と力を授けた。
実際、首から下げている笛を吹けば、この天幕の街も港の街もマイニの意思で滅ぼすことができるのだ。マイニにはこの地を支配する力の一端が宿っているも同義である。
「あなたは王になったんだ」
はじめに訊いておきながら、エルーカ自身はすでに理解していた。
国がなくとも、誰に知られずとも、今はこの少女がこの土地にいる人間たちの頂点に立つ。
マイニは無言で服の下の笛を握りしめた。
「あ、いた!」
また別の声が聞こえ、マイニはびくりと肩を揺らす。
それは港の街から商隊を率いてきた若い女番頭だった。
「エルーカこんなところにいたのね。あなたも、それからあなたも、若が呼んでる。一緒に来て」
「あ、そういえばエルーカ誰かになにか頼まれてたかも」
天幕で治療を受け意識を取り戻したダンテに、エルーカはマイニを連れて来るよう言われていたのだが、マイニを見つける頃には頼まれた事実ごと頭から抜け落ちてしまっていた。
ダンテも頼んだ後で、もしかしたらそんなことになるかもしれないと後から思い、エルーカを探しに別に人が寄越されたわけである。
マイニは逃げ出そうとするそぶりを見せたが、エルーカもろとも番頭に引きずられ、ダンテの天幕に連れて行かれる。
そこでほぼ全身に包帯を巻かれたダンテが椅子に座ったまま二人を迎えた。
傷は多いがさほど深くはない。出血がそこまでひどくなかったため、エルーカがここに連れ帰って来て間もなく意識は戻った。
ダンテは天幕から人払いをし、エルーカとマイニをもっと傍に呼んだ。いつもの明るくおどけた若主人の顔は今はナリを潜めている。
「お前に言いたいことは山ほどある」
琥珀色の双眸でマイニを見据える。声には静かな凄みがあった。彼は騙され大損させられたのだ、怒りも恨みも当然あるだろう。
しかしそれらをダンテはまとめて飲み込んだ。
「――が、何も言わん。あの森で聞いたことはすべて、誰にも、だ」
マイニは目を瞬き、そして訝しんだ。
「なぜ?」
「よそ者の俺はお前たちの報復にあれこれ言える立場じゃない。試練に便乗して商売していた身でもあるしな」
「・・・つまり、まだ稼ぎ足りないから黙っているということ」
マイニは納得すると、心底からダンテを軽蔑した。
彼女の目に映るのは強欲な者ばかり。この地に集う者はいずれも金だけで物事を推し量り、人命や倫理などは二の次三の次だ。相手がそんな連中ばかりだからこそ、マイニも簡単に非情になることができた。
一方で、娘の非難をダンテはまったく意に介さなかった。
「そういうことで納得するならそれでいい。間違ってはいない」
彼自身に後ろめたさは微塵もなく、まっすぐクワフの少女に語りかける。
「いいか、マイニ。この試練のブームはいずれ終わる。願いを叶えた架空の誰かの噂をお前たちがいくら流そうが、嘘はいつか必ず暴かれるぞ。そうすればどうなる? 今でさえ獣のように見下されているお前たちの罪が晒され、外の者に正義を与えてしまえば、もう略奪に歯止めがきかなくなる。それでもあの神はお前たちを助けはしない」
「・・・」
「だからその前に新しい方向へ舵を切るんだ」
ダンテは椅子のひじ掛けに置かれた拳にぐっと力を込めた。
「マイニ。お前、王になれ」
「・・・は?」
突拍子もないことだった。
先ほどのエルーカとの会話がダンテに聞こえたわけもない。また森の中で意識を失った彼が、セレティクスの言葉を聞いていたはずもない。
ゆえにマイニはひどく動揺した。
「なんで、そんなこと」
「途切れ途切れで内容はわからなかったが、俺が倒れている間にお前が神と何かを話していたのは覚えている。なのにお前は俺と違って無傷だ。つまりあの神はお前の話をまともに聞いたということだろ? ということは、お前なら神と交渉ができるというわけだ」
にやりと、ロヴェーレ商会の若主人は白い歯を見せた。
「なんでも願いを叶える神が存在しなかったのは、ああ残念だ。だが少しでも話の通じる相手なのは僥倖だ。マイニ、俺がお前に必要なことをすべて仕込んでやる。なに、やることは至って単純だ。お客様に取引を持ちかけ、契約させる。国が無理ならせめて都市を造ろう。ロヴェーレが支援してやるから、お前はこの地に世界有数の商業都市を造って俺たちを儲けさせろ」
まるで夢のような物語。マイニは開いた口が塞がらなかった。
「・・・馬鹿な。できるわけないじゃない。あの神は、そういうことを嫌って人の街を焼いてきたのよ。これからも変わらないわ」
「だからお前に商談のやり方を教えてやると言ってる。それに今でも港の街は小さいが存在してるだろ? 神にも許容範囲ってものがあると見た。それをどこまで広げられるかが商談の要だ」
「・・・仮に望み通りにその商談が成立したとしても、お前たちの支援を受けて建つその国だか都市だかは、お前たちに支配される。私たちから搾取しやすい拠点を整えさせることがお前の目的だろう」
マイニは騙されまいと一層強く男を睨む。
そのいじらしい姿にダンテのほうは目を細めた。
「――お前は賢い。だから未来がどうなるかはお前次第だよ。神の支配下で野垂れ死ぬか、俺の手の内で嬲られるか、あるいは逆にすべてを利用し尽くして、いつか自らの足で立てるようになるか。賭けでもするか?」
商家の若主人は実に楽しそうだ。
ダンテはクワフ人を破滅に陥れる秘密を握っている。一方、マイニは外の者らを残らず焼き払う力を握っている。
そしてそれらを静観している断絶の神は、マイニにこの世の多くを求め手に入れろと告げた。
森に入る前には何もなかったマイニの目の前に、今は道が複数現れている。どれも踏み外せばどこまで落ちてゆくかわからない危険な道のりだ。
手を引いてくれようとする誰かを、決して信じきることはできない。自身の選択がそのまま仲間の命にも直結する。
たった十七歳の少女に課すにはあまりに重い決断であるが、それでもマイニは奥歯をぐっと噛みしめ、踏みとどまった。
「――この地で、私たちは必ず最後まで生き残ってやるわ」
たとえ非力であろうとも、この場所で、神よりも永く大地に根付く。
執念とも呼べる決意は熱い血潮に変わってマイニの体を巡る。気まぐれな神に与えられたものではない、これこそが本当の自分の使命だと思えた。
「それでいい」
ダンテは満足した。
それから、隣でぼけっと立っているエルーカのほうを、ちらと見やる。
「できれば、黒耀竜すら軽く捻る大魔法使い様にも、ここに残ってもらえるとありがたいんだがなあ?」
「・・・ん? 今、エルーカに話しかけた?」
「ああ、お前に話しかけてる。なあ、もしよかったらここに残って、引き続き俺たちの護衛をしてくれないか? 給料はたんまり出すぞ」
「? エルーカは残らないよ? ここでエルーカ生まれてないもん。エルーカは自分の生まれたところを探さないといけない」
「生まれた場所なんて今更どうでもよくないか?」
「どうでもよくない。エルーカはエルーカを探すの」
「そうか」
はじめからあまり期待していなかったダンテは、あっさり諦め、話題を切り替えた。
「次はどこの神のもとに行くんだ? 場所によっては商会の船で送ってやれるぞ」
「次行くところはアスラクが教えてくれる」
「あの胡散臭い兄貴分ね。あいつ、本当に付いて行って大丈夫な奴なのか? それより商会の護衛になってあちこち回るほうがよっぽど安全だと思うが・・・人間離れしてるお前さんには余計な世話かねえ」
「?」
ぶつぶつとダンテの言うことがエルーカにはまったく意味がわからなかった。
「——まあいい。それより、神の試練についてあいつにもよくよく口止めしておかねばならん。エルーカ、アスラクをここに連れて来てくれ」
「なんで? アスラクはエルーカに後で迎え行くから待っててって言ったよ。連れて来なくても来るよ?」
「ほう。アスラクはどこに行ったんだ?」
「オンナのとこ行くって言ってた」
「わかった。今すぐ連れて来させる」
それから複数人の従業員が青年を探し回ったが、結局、誰も見つけることができなかった。
*
エルーカたちが天幕の中で話し合っていた頃、どこかの物陰で男女が逢引きをしていた。
服の上から互いの体を擦りつけるように密接に抱き合い、絡み合うので、傍からは情事の最中かその直前のように見える。
女のほうは、命を懸けた試練に挑む男たちのために呼ばれている娼婦の恰好で、厚い外套の隙間から白い太ももが露わとなっている。
男のほうは最終的に一本しか放たなかった弓矢を携えた傭兵だ。
ロヴェーレ商会が帰還したことに沸き立っている街中で、運よく生き残った傭兵がさっそく隠れて娼婦とよろしくやっている、と通りすがりの者は解釈し、そそくさとその場を去るだろう。
男女が頬を寄せ合って何を話しているかなど、わざわざ聞き耳を立てる者は一人もいない。
「——結論から言えば、人の願いを叶える神はいなかった。全部クワフ人の嘘だった」
「やっぱりそうなの。少しは期待してたのに」
「それでも収穫は意外にあったよ。神は自分を妖精だとはっきり言っていた。魔力の源たる【泉】に【楔】を打ち込んで土地の魔力を掌握すると妖精は神になると。そして一度手に入れた【泉】でも他の妖精に奪われることがあるらしい。神は力の強い妖精が土地に入ってくることを何より警戒してる」
「神と土地の魔力を繋ぐものを消すことができれば、神は神ではなくなる?」
「そういうことだろうね。ようやく仮説に根拠が付いた」
女に唇を重ね、息を交わしながらアスラクは報告を続ける。
「もう一つの収穫はエルーカだ」
「噂の魔術師? 魔法使いだったかしら? 一人で地潜り蛇を二匹倒したっていう。普通の魔術師だって数人がかりで倒すものだと思うけど、その子本当に人間なの?」
「言動はほぼ人外。それも含めてあれは絶対に無関係じゃない」
本人は生まれた場所も何もわからないと言い、手がかりもないため各地の神を訪ねようとしているわけだが、あることを知っている者には、その外見こそが身元を暗示していた。
「エルーカは女王ノールとまったく同じ顔をしてる」
その名に人々は息を呑む。
抱きしめている女の背の筋が強張るのがアスラクにもわかった。
「【殿下】に持ち場を離れることを伝えてくれ。なぜエルーカと女王が同じ顔なのか、エルーカは何者なのか、あの子に付いて行って調べる。それがわかれば女王の正体もきっとわかるはずだ。俺たちの殿下なら他国の弱みは絶対知りたがるだろ?」
「・・・事後承諾でいいの? もしお許しが出なかったら、あなた今度こそ処刑されるわよ」
「そこはうまく伝えてくれよ。頼りにしてるからさ」
胸の谷間に顔を埋めて甘えると、女は仕方がなさそうに青年の頭をなでた。その手つきからは確かな愛情が窺える。
そうなるように、アスラクはこれまで伝令役の彼女と必要を超えて懇意にしてきた。魔法で影に潜るように、人の懐に潜り込むことは彼にとってさほど困難ではない。
(化け物の正体なんてどうだっていいさ。もっと完全に手懐けて、あいつの力を利用すれば俺は自由になれる)
仄暗い期待と姑息な思惑は夜闇の濃い影のように、地に潜んで決して表には出ないのだった。




