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17.願い

 あるいは、彼女らはどこかで期待していたのかもしれない。

 たとえ狭量な神であっても、真心を尽くせばいつか報恩のあることを。その厳格さの裏には土地の者への愛着が必ずあるはずだと。


 かの神がいるからこそ、自分たちは繁栄できずとも、これまで他国に支配されずに存続できたのだ。

 かつて竜がよそ者の築いた国を焼き払った時から、そう思い込もうとしたのかもしれない。同じように自分たちの築いたものを、何度も何度も消し炭にされたことを都合よく忘却して。


 深く抉れた傷から目をそらし、霜に焼けた両手を擦り合わせ、そうして真に危うい時にはきっと神が加護を授けてくださるはずだと、まことしやかに願望を語り継ぎ、畏敬の念を捨てずに生きてきたのだ。


 だからこそ、セレティクスの言葉はマイニたちへのひどい裏切りであった。


「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなっ・・・!」


 硬く締まった地面を何度も踏み鳴らす。

 溢れる感情のどこを探しても、怒りしか見当たらない。


「私たちは、お前にっ・・・ずっっと忠実に生きてきた! 得られるはずだったものを諦めて、多くを望まず、手を伸ばさず、この地に噛り付いて必死に生きてきた私たちにっ、おまえは死ねとだけ言うのか!!」


 咽ぶマイニを咎めるように、彼女の頭上で空気がバチンと一際高く鳴った。


 マイニは歯を食いしばって睨み続ける。

 この地を支配する存在と真正面から対峙する恐怖を感じていないわけではないが、それにも勝る怒りが今はこの少女の中を占めていた。


 セレティクスは深く、溜息を吐く。


「・・・神とは人に加護を与え導くものだと、かつて人間おまえたちは思い込まされた。最初に神になった者が見せた幻想に今も世界中の人間が騙されている」


 物わかりの悪い子供に言い聞かせるように、面倒そうに白い妖精は語る。


「真実はさっき言ったとおりだ。神とは妖精。お前たちが魔物と呼ぶものと同じもの。お前たちを蹂躙することが当然の存在に向かって、なぜ助けてくれないと喚くその愚かさに、どれだけ私が失望させられているか、わからない?」


「・・・失望?」


 呆然とマイニは反問した。

 それはどちらの台詞であろう。


 父が死んだ日、マイニは祈った。弟が連れ去られた日、マイニは願った。

 しかし日々は何も変わることがなかった。

 

「・・・おまえに従おうと従うまいと、関係ない? 私たちは、殺されるのを待っていただけということ?」


 乾いた笑いが、冷たい涙とともに零れ落ちた。

 

「そう、そう・・・全部お前のせいなのね。お前がいるから、私は、いつまでも何も叶えられずに不幸なままなんだ」


 一度理解してしまえば、まったくそれまでの思い込みが馬鹿馬鹿しいことこの上ない。

 

 目の前の存在を畏れる必要はなかったのだ。


「神なんていらない! お前こそ死ね!」


 マイニは毛皮の下に隠した小刀を抜き、躊躇せず投げた。

 

 投擲用の軽いナイフだ。殺せるわけがない。

 しかし、人に刃を向けられる神は神ではないのだ。殺意を放ったこの瞬間、少なくともマイニの小さな世界の中で神というものは死んだ。


 刃はまっすぐセレティクスに向かい、彼女の鼻先で静止した。

 刀身に映る月を見て、白い妖精は美しく微笑む。


「――やっと、まともなものが生まれた」

 

 不機嫌で憂鬱な彼女が初めて、純粋な笑みを見せた。

 それは湖の氷が解けたようで、同時に水底の昏さが垣間見えたようでもあった。

 

 セレティクスは空中に静止した小刀を触れずに落とし、一歩ずつ近づく。


「マイニ。お前を認める」


「は?」


 マイニはたじろいで、半歩下がる。この白い妖精がなぜ自分の名を口にし、何を考えて笑っているのかわからない。


「私の土地に愚かものはいらない。私を崇めて求めるばかりの者には永久に何も与えない。だからね、お前は自分で求めなさい。欲しいものに手を伸ばし、この世の多くを自分の力で手に入れなさい」


 突然のセレティクスの言葉は、マイニの失笑を誘った。

 これまで何一つ許さずにいた神が、マイニに何を求めろというのだろう。


「・・・もう、私たちの邪魔をしないとでも?」


「いいえ。これからも気に入らないものはすべて焼き払う。私は何も変わらない。だが、その判断をしばらくお前に預けても良い」


「え?」


 あと三歩の距離をあけてセレティクスは止まった。

 黒い竜が後から前足を伸ばして追いつく。


 セレティクスは宙を指でかき回すと、何もない空中からマイニの手元に笛を落とした。

 それは動物の骨に穴を開けたホイッスルのようであった。紐も通されており、首にかけることができる。

 咄嗟に笛を受けとめてしまったマイニは困惑した。


「お前が使者となり、私のかわりにこの地に不要なものを判断なさい。笛を吹けばこの竜、カルブクルが現れて一帯を焼き払う。ただし私がこの子に用事を言い付けている時は行かせないけれど」


「っ・・・お前のかわりに人を殺せと?」


「今さら怖気づくこと? 森によそ者を迷い込ませて殺す――言い出したのはお前だろう?」


 マイニは押し黙った。


「家族を失ったまだ小さなお前が、一生懸命狡猾になり考えた。私に祈ることをやめ私を利用した。それでいいのよ。これからもその調子で略奪者を排除していきなさい」


「・・・私は、お前の言うことなんか二度と聞きたくない」


「では笛は捨てるがいい。お前がやらなければ今までどおり、私が命じるだけよ」


「・・・はっ」


 マイニは嗤った。


「意味がわからない。お前は、私に何を求めているの?」


「間の抜けたことを訊くのはやめなさい。ここに置いてやるかわりに役目を与えてやっただけのこと。意味などないわ」


「・・・」

 

 まがりなりにも役目を託されたマイニは、黒耀竜と同じ御使いとして、この地に存在することを認められた。しかし、セレティクスにとってはマイニの存在などさほど重要ではない。

 たまたま彼女の好みに合致した、少しばかり気に入った、ゆえに置いてやるというだけの話だ。


 屈辱である。役目など唾棄すべきである。


 そう思うマイニだからこそ、与えられてしまった。 

 どんなに嘆いても他に救いはない。


「お前の好きになさい、マイニ」


 どこまでも上から人を見て、嘲笑い、試す。神とはそういうものだった。


 自分を憎む者をこそ愛し、従順な者をこそ愚かと蔑む、性根の捻じ曲がったこの化け物とどう渡り合ってゆくか、これからよく考えねば、この地の人間たちの望む未来は手に入らないのだ。


「―――」


 マイニはそれらすべてを理解して、笛を握り締めた。


 そんな強張った背中を、エルーカは会話のほとんどを理解できないまま、大人しく眺めていた。

 セレティクスがマイニに危害を加えようとするなら守ろうと注意だけはしていたが、妖精の父の名を出した時以外で白い妖精から本気の敵意が表れることはなかった。


 エルーカが見ていてわかったのは、セレティクスがマイニを認めると言ったことと、笛を贈ったことの二つ。いずれもマイニだけがされたこと。


「――あ。あの子、神に選ばれたのかな?」


 ふと、エルーカはそのことに思い至った。


「あの子の願いが叶ったのかな?」


 そうであればいいと思う。

 しかし尋ねた相手のアスラクは、エルーカの影に隠れたままで、気の利いた返しは何もしてくれなかった。

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