16.神と呼ばれるもの
白い女の姿をしたものから、エルーカは自身を遥かに凌ぐ魔力を感じた。
その存在はまるで、この大地のすべてと対峙しているかのような、途方もない質量を持つ。
一方でエルーカは、よくわからずにいる。
女を見てマイニは「神」と口走った。いつも森に引きこもっている存在であるが、これまでに幾度かクワフ人の前にも現れたことがあり、その姿は先祖から代々伝承されてきたのである。
しかしエルーカは眉根を寄せるばかりだ。
「あれは妖精じゃないの?」
白い女を指して、マイニに尋ねるとさらに驚いた顔をされた。
「え・・・?」
何も知らない彼女は何も答えられない。
エルーカの目には、女が途轍もない魔力を有した妖精に見える。
力の差こそあれど、森の魔物や黒耀竜と本質的には一つも変わることのない存在だ。
すると、笑い声がした。
それまで貝のように無表情であった白い女が歯を見せて、嗤っている。透き通って美しく、ひたすらに冷たい声だった。
エルーカはもう一度彼女に尋ねた。
「あなたはだれ?」
「この地の主だ。聞くまでもないだろう」
「あるじ?」
その時、周囲の魔力の流れに変化が起こった。
大地の奥深くから魔力が女のもとへ吸い寄せられて、女が触れている竜の鼻先へ流れていく。すると竜のひしゃげて潰れた体が膨らんでゆくのだ。
間もなく外側の損傷は塞がり、消耗した魔力すら元通りとなり、畏怖すべき黒耀竜の姿を取り戻した。
エルーカが戦ったことは、まったく無駄になった。
「それで? お前はまだ私に挑む気なのか?」
そびえる竜を背後に従えて、白い女の問う意味がエルーカにはよくわからなかった。
「え?」
「私の土地を奪いに来たのだろうが?」
「? エルーカは神に会いに来たんだよ? ねえ、あなたが神なの? 神は妖精のことなの?」
エルーカが矢継ぎ早に質問を重ねると、やっと白い女は話が噛み合っていないことに気づいたらしく、笑みを引っ込めた。
「お前は、神と呼ばれるものがなんなのか知らずにここへ来たのか?」
「神は自分の土地で生まれた者を見分けられるものだって、ケルントラトは言ってたよ」
「ケルントラト?」
バチン、と突然何かが破裂するような音が響いた。特にエルーカの周囲では、まるで見えない裁ちバサミが空間を切り刻んでいるかのように鳴り続ける。
今一歩でも動けば、エルーカの体はバラバラにされるだろう。
白い女は最初よりもさらに鋭くエルーカを睨みつけている。
「ケルントラトがお前をここへ寄越したと? 一体なんのつもりだ?」
「えっとねー」
事情説明はもう三度目になる。
話している間に、バチバチと鳴り続けていた空間は少しずつ静かになっていき、エルーカが話し終える頃には完全に止まって、白い女も複雑そうな表情に変わっていた。
「ケルントラトに育てられた人間、か――確かにそう見えなくもない」
『馬鹿言えよセレティクス。こんなに魔力を持った人間がいてたまるか』
突如竜の喉の奥からくぐもった声がした。
それはいくらか聞き取りづらくはあるが、アスラクたちにも理解できる言葉であり、思いのほか気軽に竜が話し出したため人間たちには少なからず驚きが広がった。
「この娘の存在には揺らぎが見える。ケルントラトが人間だと判じたなら、まず間違いはないでしょう。なぜそうなったのかは奴にも見当がつかないようだけれど」
『ケルントラトって誰だ?』
「この世で最も悪しき妖精よ。私の憂鬱はすべて奴のせい。あいつは後先を考えず、無責任に人に知恵を授けて深淵へと歩ませる。この憐れな娘のように。――実際そうでしょう? この娘が神の前に立てばどんなことになるか、奴は何も考えていないのだもの」
白い妖精セレティクスは、呆れるように憐れむように、青い双眸をわずかに細めた。
「聞きなさいエルーカ。神というのは、人間たちが土地の魔力を掌握している妖精をそう呼ぶのよ。人間を襲う妖精を魔物と呼ぶようにね」
「・・・土地の魔力?」
「地上には、魔力の溢れる【泉】が各地にある。そこから魔力は湧き出て、土地を巡る。魔力の流れはお前にも見えるでしょう?」
魔力は地の底から湧き、風や水のように地上を循環する。人間には見えないが、妖精にはそれが見える。そしてエルーカにも見える。
土地の魔力は【泉】から溢れると八方に流れ、流れる間にぶつかる草木や動物、石や岩などに少しずつ吸われていく。完全に吸われて魔力の薄れるところが土地の境界であり、その地の神の統治する範囲ということになる。
「その【泉】に、妖精が自分の魔力で作った【楔】を打ち込むと、その土地の魔力の流れを自在に操ることができるようになる。つまり永遠に、好きなだけ魔力を補充できる。力を求める妖精は、誰しもこの【泉】を探して【楔】を打ち込もうとするものよ」
本来、妖精は生まれ持った魔力しか持ち合わせない。魔力は使えばなくなり、魔力がなくなれば存在することができなくなる。多少は自然に流れる魔力から補給することもできるが、妖精からすればそんなのは微々たるものだ。
よって、ほぼ無限に魔力の湧く【泉】を占有するということは、妖精にとって不死を得るも同義なのだ。
「今はもう地上のほとんどの【泉】は誰かのものになっている。力が欲しければ奪うしかないの。例えばこの竜も、身の程知らずによその土地の主に挑んだわ。力押ししか能がないくせに、敵うと思ったのかしらね」
『だから反省したんだってぇ』
セレティクスの輝く髪に、竜はピスピス鳴きながら鼻先を擦りつける。
『ぼろぼろにやられて逃げて、この森に落ちた時、オレはセティクスに助けられた。だからオレはセティクスの眷属になった。セレティクスが嫌いなもの、セレティクスから力を奪おうとするものは、オレが全部焼く』
セレティクスと同じ青い瞳で竜はエルーカを見据える。牙の隙間から炎がちろちろと漏れていた。
それをなだめるように、セレティクスは竜の顎をなでてやる。
「わかった? エルーカ、お前の存在は何も知らない者からすれば妖精に見える。それも半端ではない強い力を持った妖精よ。そんなものが土地に入って来れば、【泉】を奪いに来たのだと警戒する。私が何度もお前に警告を与えてやったのはそのせい。――あとは、どこかの性質の悪い妖精が私の眷属たちを焚きつけていたようね。どうやらあれもお前が連れて来たもののようだけれど」
一瞬だけ、セレティクスの視線はエルーカのポケットへ向けられた。しかし、それ以上の言及はなかった。
エルーカは、ここまで大人しくセレティクスの話を聞いていたが、理解度はせいぜい半分といったところである。
「えーっと、あなたは神だってことでいいの? だったら教えて。エルーカはこの土地で生まれた?」
「いいえ違う。お前の魔力はこの土地のものではない。よってお前はこの土地で生まれていない」
「? 魔力が違うから、違う?」
「魔力は土地によって匂いが変わる。神が自分の土地で生まれた者を見分けられるというのはそういうことよ。お前の体には複数の魔力が流れているが、どれもこの土地のものではないわ」
「ふーん、そうなんだ。わかった。ありがと」
ここでの目的は達成された。
故郷は見つからなかったものの、試練の神もとい断絶の神と呼ばれる者は、案外に親切で知りたいことを教えてくれたため、エルーカは満足し、折れた木々を越えてアスラクのもとに戻っていった。
「エルーカの生まれたところはここじゃないって」
「ん、そうね。だろうね」
アスラクは相槌を打ちながら、ダンテを離すと木々の間に下がる。
「次はどこ行けばいい?」
「あぁ、そう、だな。どうしようか」
どうやらエルーカを追ってセレティクスや黒耀竜の視線が己に向けられることが、アスラクは落ち着かないらしく、じりじり後退していく。
しかし、間もなく妖精たちの視線は別のものに移った。
「神は、妖精だと?」
声の主はすぐ近く。
離れたアスラクのかわりに、倒木に寄りかかって立つダンテだった。
食い入るように白い妖精を見つめ、先ほどからずっと我慢してきた問いを発した。
「神は神ではないというのか? この土地も、他の土地の神も?」
間の抜けた問いであった。
動揺する人の姿が無様であるためか、セレティクスは冷笑を浮かべた。
「お前たちが何を神と呼ぶかなど知ったことではない。この土地は私のものだ。妖精の私が主だ」
「・・・そう、か」
ダンテは倒木に置いている両手を握り締め、懸命に恐れを飲み込んだ。
「ここがあなたの土地であるなら、土地で生まれたものはあなたのものだろう。ならばどうか、この地で生まれた人間に豊かな暮らしを許してやってくれないか。このままでは、あなたのものたちは貧しく死んでゆく。他の土地で生まれた人間に搾取されるばかりなのは、この土地のものを、他の土地の主に奪われることと同じだとは思わんか」
バチンと再び空気が破裂した。
セレティクスからは冷笑すら消え、人間たちの周りを見えない刃で切り裂きながら、憂鬱そうに額を押さえる。
「もう口を利くな。私は心底うんざりしているんだ」
人間たちは沈黙する。エルーカでさえ、セレティクスの魔力で満たされたこの空間では下手に動くことができなかった。
「妖精と同じ言葉を話す、気色の悪い生き物よ。さっさと死ねば良い。私はずっとそう言っている。にもかかわらず、理解しようとしない愚かなものどもを、なぜ愛せる? 私は人間も妖精も何もかもが大嫌いよ」
「っ、か――」
「だから喋るな、よそ者」
思わず何かを口走ろうとしたダンテが弾き飛ばされた。
エルーカの足元に落ち、死んではいなかったが、体中を浅く斬り刻まれ、なおかつ衝撃で意識を失っていた。
「二度と来るな」
死ねと告げながら、セレティクスは命を奪う気まではないようだ。
それはわずかばかりの慈悲なのか、あるいは、死すら与えてやることを惜しんでいるのか。
その時、エルーカはセレティクスの魔法とは別に、どこかで何かがふつりと切れる音を聞いた気がした。
「――ふざけるな!」
月光のもと、まるで置物のように無視され続けていたクワフ人の少女が、震えながら土地の主へ怒鳴りかかったのだった。




