11.水中花
「ト、ト、タン」
杖の先で二回地面を叩き、三回目に空中へ高く飛び上がる。
するとエルーカのいたところを中心に周囲から少女を追って土の壁がせり上がり、花の蕾のように先を閉じて探検隊一行を内側に囲う。
そこへ角の生えた緑の巨人が突進した。
表面は衝撃でわずかに崩れたが、土の壁はほとんどびくともしない。
蕾の頂点で、エルーカは軽やかにステップを踏む。
「ダラララ」
くるりと杖を回すと、空中に鋭いつららが現れ、巨人の群れへ雨のように降り注ぐ。
エルーカも一緒に落ちながら、杖の先から衝撃波を放ち、つららに縫い留められた巨人たちの小さな頭を砕いた。
「ドーン、ドーン、ドーン、おわり!」
エルーカが着地する頃には、魔物たちは跡形もなく消えている。
もう他に襲ってくる者がないことを確認し、エルーカは土の壁を元に戻した。
完璧に視界を塞がれ、外の音だけ聞かされていた人々はほっとした顔を見せる。今日はもう何度かこれを繰り返しているが、まだ慣れないようだ。
「だれも死んでない?」
「ああ。よくやったエルーカ。皆、進もう」
ダンテのかけ声で、また何事もなかったかのように歩みを再開する。
アスラクの提案で始めたこの方法で、エルーカは今日、一人も被害を出さずに仕事をこなせている。エルーカとしても、人間たちがちょろちょろ動かずにいてくれるため非常にやりやすい。なにせ彼らが動き回ると、絶対に守らなければならないアスラクやマイニを見失うことがあるのだ。
他の護衛に雇われた者たちの活躍を根こそぎ奪う方法ではあるが、そのことに不満を訴える者は誰もいなかった。
昨夜の黒耀竜の襲撃後、探検隊の意気はすっかり消沈している。
今はダンテに励まされどうにか足を動かしているものの、彼らはなかなか疑念が拭えずにいた。果たして御使いの出現は神の試練か、あるいは、自分たちが何かしら神の逆鱗に触れてしまったがゆえの罰なのか。
いつの間にか、後ろを離れて付いて来ていた別の探検隊たちもいなくなっていた。黒耀竜に目を付けられている一行を見て、引き返したのかもしれない。
黒耀竜の再度の出現はまだない。
しかし、他の魔物の襲撃は定期的に途切れずにある。いずれもまるで何かに追い立てられるかのように、興奮した様子で襲いかかってくる。
そして皆がエルーカにだけわかる声で「出て行け」と伝えてきた。
「んー・・・でも、エルーカは神に会わなきゃだから、行くよ。ごめんね」
森の魔物たちが何をそんなに怒っているのかわからないまま、誰にともなく謝って、エルーカはその日も一日、大して変化のない試練の道を歩き通した。
野営でも、エルーカが敵を阻む壁を作る。また明かりを灯し、探検隊の皆に安堵を与えた。
エルーカの魔法はたとえ本人が眠りに落ちても途切れることはない。一晩は必ずもつ。それを聞いたダンテは、その夜の見張りからエルーカを外した。
「三日寝なくて平気だとしても、やはり無理はするな。今夜はよぉーく休め。俺のためにな」
もはやこの隊の生命線である少女への待遇は手厚く、肉が多めに入った暖かいスープに、ぎっしり綿の入った手触りの良い寝袋なども支給されたが、大して食べずとも動き寒さも感じないエルーカに、そのありがたみはあまり伝わらなかった。
ただ、寝て良いと言われたのなら寝る。
他の見張りと交代で食事をしているアスラクの後ろに分厚い寝袋を布団のように敷き、さっそく寝そべった。
「ねえ、アスラクは寝ないの?」
「俺はもう少し仕事。先に寝てな。おやすみ」
エルーカの前髪をなで、アスラクは手早く食べ終えると他の見張り当番たちと話しながら持ち場に行ってしまった。
仕方がないので、エルーカは明かりに背を向け目を瞑る。
ところが、いくらもしないうちに肩を叩かれた。
まだ、まどろみにも入っていない。傍でエルーカを見下ろす冷たい緑の瞳があった。
「どうしたの?」
エルーカは寝そべったまま促す。
するとはじめて、案内人の少女はエルーカの問いかけに答えた。
「――珍しい花、見たい? 案内してあげる」
「え、見たい」
ぱっとエルーカが起き上がれば、マイニはすかさずその口を抑えた。
「騒ぐな」
「? ん」
なぜかはわからないが、エルーカはひとまず頷く。
マイニはすぐ傍の土壁を指した。
「誰にも気づかれないように、静かに、ここだけ私たちが通れるように穴を開けられる?」
エルーカが言われたとおり、静かに杖の先で土壁をつつくと、その周囲の土だけが粘土のように変形しトンネルを作った。
少女二人が身をかがめて潜り抜けた後、トンネルは音なく塞がる。
「こっち」
暗い森をマイニの導きのまま、しばらく歩いた先には沼があった。
ちょうどその辺りは木々が開け、月光が水面に差し込む。
透明な水底の一面に、白い花が咲いていた。
まるで地上にある花と変わらず、時折、その蝶の翅のように幅広な花弁を楽しげに揺らしている。
その不可思議さにエルーカは思わず悲鳴を上げそうになった。
「これ、これ花? 水の中で咲くの? ひああぁ・・・っ」
震えるほどに驚いて、エルーカは無意識に沼へ足を踏み入れた。
しかし、沈みはしない。水面に立ち、水底で揺れる花を覗き込んで、興奮してはぴょんぴょん跳ねる。
「うわあ、うわあ、すごいねえ、きれいだねえ。花は土の上で咲くんだと思ってた。エルーカ知らなかったー」
マイニは当たり前に水の上を歩くエルーカに驚いた顔も見せない。
ただ睨むように目を細め、佇んでいた。
「水の中に種をまいたら妖精の国でも咲いたのかな? リグナムは知ってるかな? 知らなかったらエルーカが今度は教えてあげよ。見せてくれてありがと!」
「・・・好きなだけ見ていたらいい。明日にはもう咲いてないから見れるのは今夜だけ」
「そうなんだ。わかった、いっぱい見る」
エルーカは水面につま先を立て、静かに沈んだ。
まだ冬の気配が残る森だが、水の中は地上よりもいくらか温かい。ちょうどその辺りはエルーカの身長ほどの深さであり、そこから沼の中心へ向かうほどに深くなってゆく。一番深いところは闇が滞留し何も見えない。
エルーカは水底の花々の上を、歩いてみる。
水流に花は揺られ、少し靴先がかすめると取れた花びらが浮き上がり、エルーカの周りを漂う。
月光の作る青い影とともに、ゆらゆらと踊っていた。
「たのしい!」
勢いよく水から上がった頃、マイニは岸辺の木に寄りかかり座っていた。
エルーカも水気を払い、傍に行く。
ずぶ濡れの体は妖精たちの魔法によって数歩の間に乾く。
「あげる」
一本だけ、摘んだ花をマイニに差し出した。水滴が白い花弁を滑り、彼女のまとう毛皮に落ちてわずかに染みた。
「・・・いらない」
「え、どうして? きれいなのに」
「きれいじゃない。水の中で咲く花なんて気持ち悪い」
「え~?」
エルーカにはマイニの考えが理解できない。
水の外に出すと花はほのかに甘酸っぱい香りがした。
「エルーカはきれいだと思うけどなー。あなたは何をきれいだと思うの?」
「何も」
「ナニモ? ってなに?」
「きれいなものなんか、この世にはない」
「そうなの? ふーん・・・でも、エルーカはきれいだと思うな」
摘んだ花を様々な角度から眺め、月光に透かし、やはり間違っていないと思う。空も、花も、風も、妖精の国にはないあらゆるものがエルーカの目には輝かしく映る。
しばらく、沈黙が流れた。
そういえばアスラクにもこの花を見せてやらねばと、思い出してエルーカが立ち上がろうとすると、マイニが外套を引っ張った。
「魔法は、どういう人が使えるもの?」
エルーカは浮かせかけた腰を下ろす。
「えー? エルーカみたいな人?」
「あんたはどうして魔法使えるの」
「エルーカは魔力があるから。ケルントラトに教えてもらったから」
「魔力のあるなしはどうやってわかるの」
「見ればわかるよ」
「そう。私に魔力はある?」
己を指すマイニをエルーカはじっと見た。
彼女は焦げ茶色の髪を耳の下まで短く切り、緑の瞳は一重で薄く、立つと他の娘たちよりも背が高く中性的である。他のクワフ人たちと同じように頬骨や鼻の頭が雪焼けしていて痛そうに見えた。
エルーカの答えに別に何を期待している顔でもない。
「あるよ」
「私も魔法を使えるってこと?」
「え? ううん。ちょっとしかないから使えない。人間も花も石も、世界にあるものはみんな魔力をちょっとは持ってるんだよ。でも魔法使うには魔力を多く持ってないといけない」
妖精の父の教えがふと頭をよぎり、エルーカはそれをただ声に出して説明した。
「エルーカはものすごくいっぱい魔力を持ってるから魔法使える。あなたは魔法使えないと思う。アスラクはたぶん使える」
「あっそう」
マイニは本当にどうでもよかった、そんな横顔で相槌を打つ。
「魔法使いたいの?」
「・・・そうね。使えるものなら、なんでも使いたいわ」
「魔法がほしいから神に会いに行くの?」
そう尋ねると、マイニは我慢できなかったように舌打ちをした。だがエルーカにはそれが何を意味する所作なのかわからない。
「エルーカはねー、花を咲かせる魔法がほしいと思う。あなたはなんの魔法がほしいの?」
「・・・黙れ」
「え?」
エルーカは胸倉を掴まれた。
額が触れ合うほど近くで、マイニは歯を食いしばって言う。
「神に、願う、ことなど、一つだって、ない」
そして乱暴に手を離す。
エルーカはゆっくり二度瞬いた。
「ふーん」
それからまた、しばらくどちらも喋らなかった。
マイニはすっかりエルーカへ背を向け、エルーカは月光に透かした花をくるくると回していつまでも楽しむ。
そして月が傾いた頃、マイニが再び思い出したように口を開いた。
「・・・三日眠らなくていい魔法は、三日眠らなかった後、四日目にはどうなるの?」
「すっごく眠くなる」
「そう」
不機嫌な少女の口元が、少しだけ笑みを作った。




