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10.黒の御使い

 背の高い針葉樹に覆われ、もともと日差しの入りにくい森の中は暗くなるのも早い。辺りが薄暗くなってくると、探検隊は足元が見えなくなる前に野営の支度を始めた。


 木々の天蓋のせいで空はほとんど塞がれている。

 周囲の影が濃くなるほど、森の奥から冷気が流れてくるようだった。


 皆が急いで支度する間、エルーカは荷車の傍に佇み、特にやることもなく、よく見えない空をぼうっと見上げている。

 アスラクと他数名の護衛たちは薪を集めるついでに辺りの偵察に出かけており、エルーカは野営地の警備を言い渡されていた。


 朝、昼と蔓の魔物に襲撃された後、他に獣や小型の魔物に遭遇することはあったが、対処できない大きなトラブルは今のところはない。


「エルーカ、魔法で明かりを出せるか?」


 ダンテに頼まれ、エルーカは頭上に光の小さな玉をいくつも生み出す。

 これらは炎よりも明るく、寒さにかじかみ火おこしに苦戦している者たちの手元を照らした。

 たまにうっすら青く、赤く、様々な色に変化する幻想的な光を見上げ、ダンテは子供のように目を輝かせていた。


「この明かりは一晩中出していられるのか?」


「うん、できるよ」


 若主人は思わず唸る。


「お前は俺の知っている魔術師たちとはなんというか、種類が違うな。奴らは俺のささやかな頼み事にも大抵嫌な顔をする。やれ魔力がもったいないだの、やれストックは無限にあるわけじゃないだのなんだの。その点、お前はできるしか言わんから良い」


「? うん」


 エルーカは自分の何を褒められているのかよくわからない。

 程なくして、魔法の明かりを目印に偵察隊は無事に戻ってきた。エルーカはすぐアスラクを見つけ、駆け寄っていく。


「こんな明るくして大丈夫なんで? 魔物が寄って来たりは・・・」


 偵察から戻って来た若い護衛の一人が、魔法の明かりを指してダンテに不安げに尋ねた。とはいえ、どこまでも闇の深い森の中で、確かな明かりは心細さを軽減してくれるものであり、消してほしいと思っている者はいない。


 ダンテは彼らのために「問題ない」と断言してやった。


「どうせ寄ってくるものは寄ってくる。俺たちが戦うには明かりが必要だろう。だからこれでいいんだ」


 経験のある護衛たちもダンテの考えに賛同した。

 一方、エルーカとアスラクの二人は隅で別の話をしている。


「ほら、偵察のお土産」


「え? あ!」


 アスラクが渡したのは、白い釣鐘がいくつも垂れ下がっているような花だった。顔を近づけると爽やかな香りがする。

 

「はー・・・花? これ花?」


「そうだよ。花好きなんだろ? エルーカにあげるよ」


「ありがとう!」


 はじめに野原で見た細かな花とはまったく形が異なるが、これも美しいには違いない。花は実に様々な形状を持ち、どれもすばらしいものだとエルーカはいつもリグナムから聞かされていた。


 垂れ下がっている花の一つを、軽く指先で弾いてみる。

 周囲の花もあわせて揺れ、かすかに花粉が降った。


「? これは音がしないね」


「へ? 音?」


「ごーん、うああーん、っていうでしょ? エルーカあの音好き。体の、真ん中のところがじーんってする」


「あー・・・残念だけどこれは鐘じゃなくて、花だから音は鳴らない。どこかで鐘の音を聞いたんだな?」


「え? えーっと・・・」


 エルーカはどこで鐘の音を聞いたのか、過去の記憶を引き出そうとするが、いつもそれは深い霧の中で、川底に沈んだ小さな欠片を拾い集めるような途方もない作業となる。


 ただ、思い出せなくとも覚えている。


 静粛な鐘の音、凍てつく夜明けの空、銀色の星のような男。

 

(名前、なんだっけ)


 断片的に拾い上げた記憶を繋ぎ合わせている最中、頭に飛び込んできた誰かの悲鳴によって、それは再びばらばらになってしまった。

 

 最初に悲鳴を上げたのは野営の支度をしていた荷運びの人夫で、腰を抜かした男は明かりの向こうの草陰をしきりに指している。


 そこには人の形をした影がある。

 影としか言いようがない。二つの目のような光も見えるが、左右の位置が大きくずれており人ではありえない。そもそも目の光る人間などいない。

 それがいくつも、後から後から湧くように増えていく。


 横から見れば薄っぺらく、まさに地面に張り付いているべき影が起き上がったような姿だ。護衛の者が矢を放ったが、すり抜けた。どうやら実体がないらしい。


「エルーカなんとかしろ!」


 ダンテの曖昧な命令はエルーカ相手には伝わらないが、エルーカは自身の好奇心に従って黒い影を見に行った。

 影たちは何もせず、少女に光る眼を向けている。


「あなたたちは、だれ?」


 妖精であることは間違いない。魔物もエルーカから見れば妖精だ。

 影たちは身を寄せ合い、上下に揺れる。影が揺れるたび、エルーカは「えー?」や「んー?」といちいち反応した。


「そいつらなんか言ってるのか?」


 アスラクに尋ねられたので、エルーカは影の言葉を人間たちにも伝えた。


「なんかねー、早く出てけって言ってる」


「は?」


「来るなって言ってる。殺すって言ってる」


「ちょっと待てエルーカ」


 ダンテも思わず前に出た。

 エルーカの通訳は最後まで続く。


「神は、一切、拒絶する」


 影が素早く奥へ引っ込み、周囲の木々一帯が大きく揺さぶられた。

 強い風が吹き抜け、枝葉の天蓋を開く。そこから見えた夜空を、さらに濃い影がよぎった。


 皮の翼を持つ黒い竜である。

 

 聳え立つ山のごとく大きな竜だった。羽ばたき一つで嵐のような風がおこり、木々が傾いだ。

 エルーカたちの頭上の空を旋回し、耳をつんざく声で吼えたてる。


 ギャアアアアァァァァ―――


 エルーカの体もびりびり震えた。その竜はまちがいなく、あの蔓の魔物よりも地下の蛇よりも、比べ物にならないほどの強い魔力を有していた。

 ともすると、妖精たちの加護を得ている自分でも敵わないのではと思えるほどの。


 エルーカは周りを確認した。

 アスラクは右手側にいるが、案内人のマイニは近くに見当たらない。


「あれ!?」


 焦るエルーカをよそに、天空にいる竜の魔力が急速に膨らんでいく。

 何か大きな魔法を放とうとしている。


「えーっと、えっとー、う~~、こうだっ!!」


 エルーカは杖を思い切り地に突き立てた。

 すると巨大な土の手が瞬時にせり上がり、エルーカたちに覆いかぶさる。


 そして間一髪、巨人の手の甲に黒い竜が炎の息を吹きかけた。


 炎は青く、熱く、また長く、指の隙間からいくらか火の粉が防ぎきれずに降ってくるのを、エルーカは急いで杖を振ってかき消す。


 結果として、エルーカが作った土の防御は竜の炎を受けきった。

 

 青い炎が指の隙間から見えなくなってから、そろそろと外を覗いてみると、竜はどこかへ飛び去っていた。


 土の手を地中に戻すと、夜風が人々の大量の汗を早速凍らせんと吹きつけた。炎自体は防いだものの、長く熱せられている間に巨人の手の内は蒸し風呂のようになっていたのだ。

 暑さも寒さも平気なエルーカだけが、涼しい顔でいる。しかし、握っていた釣鐘の花は萎れてしまった。 


「黒耀竜。ここまで間近に見たのは初めてだ」


 荷車の傍に座り込み、ぐったりとしてダンテが言った。同じく初めて竜を目にした者たちも震えていた。これは汗をさらう夜風のせいばかりではない。


 かつて神の御使いとして、国一つを焼き払った黒耀竜。

 その登場は他の魔物とは異なる意味を持つ。


「・・・どうやら俺たちは、神に特別目をかけられている、ようだな?」


「ようだな、っていうか、完全に目をつけられてるんじゃ・・・?」


 若主人の言葉を若い護衛が正しく言い直した。さすがのダンテもここまでくると、楽天家でいられないことはわかっている。


「エルーカ、今夜は不寝番を頼む。朝まで眠らずに敵が襲ってこないか見張る仕事だ。できるな?」


「寝ないで見張る? いいよ。エルーカは三日くらい寝なくてもいいの魔法持ってる」


 二つ返事でエルーカは了承し、それよりもようやく木の陰に見つけたマイニのもとへ走っていった。


「ねえねえ、ケガしてない?」


 とりあえず周囲一帯を守れば、姿の見えないマイニも守れるだろうという気でいた。幸い、マイニの体にやけどなどは見当たらなかった。


「エルーカがあなたのこと守るからね」


 笑顔で言ったが、マイニはさっさとエルーカから離れ、台無しになってしまった野営の再設営を手伝う。


「心の中では感謝してるよきっと」


 すかさずアスラクがエルーカの傍に現れ、とりなした。


「さっきの魔法良かったぞ。あんなふうに、まず魔法で壁を作ってから魔物を倒しにいけば、エルーカも戦いに集中できていいんじゃないか?」


「そー?」


「複数の魔法を同時に使えるんなら、な。まあ使えるんだろうな。ところで今の竜――あれも妖精の仲間なのか? エルーカならあいつを倒せる?」


「えー、どうだろ」


 エルーカは竜の去った夜空を見上げた。遅れて月が徐々に顔を見せ始めている。


「あの黒い妖精を倒さないといけないの?」


「神に会うためにはな。試練の最後に立ちはだかるのはあの竜だ」


「ふーん。じゃあ、倒す」


「さすが」


 無責任な相棒がおだてるその後ろで、エルーカは自分が助けた少女に冷めた目で観察されていることに気づかなかった。

 よって彼女の独り言も当然、聞こえなかった。


「・・・あいつ邪魔だな」

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