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 深紅の花弁が空から舞い落ちる。

 白亜の神殿の上から、神官達が今日の花嫁達を祝福するために、撒いているものだ。

 花弁は白い壁の横でくるりと回転し、水面のような青硝子だけをつかった窓の前をすぃと横切っていった。


 ベールを上げて窓の外の光景に目を奪われたエミリアは、一瞬でもその光景を綺麗だと思ったことを悔いた。


「こんなこと考えてる場合じゃ……」


 うつむいたエミリアは、自分と同じように白のドレスを着た少女達の中でそっと廊下の端に寄る。

 その中でも、自分のドレスは明らかに簡素すぎた。


 生地は木綿の白いドレスだ。

 レースはあるけれど、それも木綿の糸で作られた庶民用のもの。高級品には違いないけれど、それをネックレスがないことをごまかすため、首にリボンのように巻いてつけ、なんとか装飾がなくても不自然ではない状態にした。


 だけど近くに絹のドレスを着た女性がいれば、すぐにばれてしまうだろう。

 そうしていると、女性たちを先導していた白と青紫の服を着た神官が言う。


「新郎が待つ部屋へお入りください」


 とうとうこの時がきてしまった。

 廊下にずらりと並ぶ扉。そこは控室になっていて、これから結婚する相手が待っているのだ。そして二人で、外回廊を通って、神殿の中に入り、結婚の宣誓をし、大神官から祝福を受けるのだ。

 それをもって婚姻した証明書が発行される。


 この儀式は月に一度、王都の大神殿で行われている。

 貴族はその後、改めて各家で結婚が認められた証明書を神官が読み上げて、結婚式の披露宴を行うので、宣誓と祝福は各家が希望する月に申請を出し、複数家の合同で行われるのだ。


 この時は、神前で行う結婚式として、白一色ではあるけれど豪華なドレスを着る人たちが多い。

 私は結婚したくないのと、貴族とはいえ家が貧しいので簡素な木綿のドレスになってしまったけれど。


(行きたくない……行かずにすむ方法を何か……)


 焦っても思いつかない。

 このままでは、だまして借金を背負わせた男と結婚したあげく、家督を奪われて、私もろとも父も母も売り飛ばされてしまう。


 その計画を耳にしたのは、つい一か月前のこと。

 洪水で荒れた土地を建て直すため、協力してくれた商人ロンザが口走ったのだ。


 没落した下級貴族の出だという彼は、元の地位をとりもどしたいと願っていたらしい。

 彼は結婚によって領主の地位を得ることを条件に、全面的な援助を申し出た。

 これを受けなければ、家を失った領民達に屋根もない場所で暮らさせなければならない。両親は涙ながらにエミリアに願うしかなく……。

 それでも、貧しい土地を大金を使って救おうとしてくれるのだから、根本では悪い人ではないと思っていたのに……。


 ある日領主館に宿泊したロンザが、夜中に自分の商会の副頭取や経理長と話しているのをエミリアは聞いてしまったのだ。 

 婚姻後は両親やエミリアを売り飛ばすと。


「殺したほうが後くされはないだろうが、隣国にでも売ればもう自力では戻れん。それに金もいくらか入るしな。領民? 最初の援助の時に、証文をとっておけば、いくらでも税を搾り取れる奴隷扱いができるからな」


 あの声がまだエミリアの耳に残っている。

 結婚さえしなければ、ロンザの計画はくじくことができる。

 でも、弱小貴族の娘のエミリアでは、自分の結婚と引き換えに領地を復興させてくれる人がほかに見つからない。


 迷ううちに、どんどん他の女性たちは扉の向こうに消えていく。

 その時、神官がある花嫁を「早く」と促していた。

 花嫁はぎゅっと唇をかみしめて足を踏み出そうとし、また止まり、そしてようやく一歩踏み出したところで体を震わせて立ち尽くした。


「嫌……こんな、怖い相手なんて嫌!」


「お相手はラスター公爵様ですよ。あんなに美丈夫の方なのにもったいない……」


 世話役の神官は、おせっかい気質の強い人だったようだ。上から諭すような言い方をしたせいで、とうとう花嫁の我慢に限界がきた。


「それならあなたが死神公爵と結婚したらいいわ! こんなもの!!」


 花嫁は指輪を抜き去って投げ捨てた。

 そして走ってその場から逃げ出す。


「きゃっ」


「ちょっとお待ちなさい!」


「嫌っ! 絶対嫌よ!」


 花嫁はほかの女性にぶつかるようにして走り去り、神官はあわててそれを追いかける。

 回廊の先にいた神官も、慌てて逃げた花嫁を追って走り出した。


 エミリアは鮮やかに走り去った花嫁の姿に、驚き、そして感動した。

 そうかこの手があったかとさえ思った。

 式に間に合いさえしなければ良いのだ。上手くいけば、捕まっても式は終わっている。そうなれば式は次の大神殿による結婚を宣誓する日まで延期になるのだ。

 他の花嫁達も驚いて一人が駆け去った方向を見ていた。そして口々に小さく囁き合う。


「まぁ、やっぱりあの方……」


「お相手が死神公爵だから」


 ひそひそ話を聞きながら、エミリアは納得した。

 死別や離婚を次々とするため、とうとう十八回もの離婚歴がある死神公爵だったのだ。

 自分もこの混乱に乗じて逃げよう、と思った。

 が、柔らかな布の靴先が固い物に触れた。下を向くと、先程逃げた花嫁が投げ捨てたらしい、銀環の指輪だった。


 見た瞬間、ひらめきが訪れる。


 ――これだ。


 エミリアはとっさに持っていた指輪を放り投げ、拾った指輪を代わりに填めた。

 たとえ「死神公爵」でもかまわない。人違いだとわかれば相手はエミリアとの婚姻に人違いとして無効の申し立てをするかもしれないが、その混乱で、一時的にでもロンザとの結婚を避けられる。


 もしくは公爵閣下にひれ伏してでも、もし私でよければ生涯お仕えするので、領地をお救いくださいとお願いするのだ。

(もし本当に死ぬとしても、領地を救った上での死なら、売り飛ばされて領地の人々がどうなるかわからない状況よりずっといいわ)


 エミリアはこの好機を逃さないよう、急いで先ほどの花嫁が入ろうとしていた部屋に飛び込んだ。


「ようこそおいでくださいました……?」


 最初に目に飛び込んできたのは、扉の近くに控えていたらしい付き添い役をする女性だ。

 濃紺の簡素な長衣を着て黒髪を高い位置で結んだ女性は、エミリアを見て言葉を止める。


 さらにはその奥、ゆったりとした椅子に腰かけていた死神公爵だろう男性が、立ち上がる。

 ロンザのような人物を想像していたエミリアは目を見開いた。


 穏やかな印象を与える、柔らかそうな白金の髪。

 湖面のような色の瞳は涼しげで、通った鼻筋も唇の形すら申し分がない。

 田舎からほとんど出たことがないとはいえ、間違いなく今までエミリアが見てきた中で、最も綺麗な容姿の青年だった。


 十八回も結婚を繰り返し、そのたびに逃げられていたり死んだために再婚を繰り返しているせいで、死神公爵と言われていた人だとは思えない姿だ。


(どうして、あの花嫁はこの人から逃げようと思ったのだろう。『死神公爵』の噂が本当だから?)


 なんにせよ、あきらかに結婚予定の女性とは違うエミリアに気づいた二人を説得しなければならない。

 しかし状況から怒られても仕方ないのに、死神公爵はなぜか笑みを浮べていた。


「聞かせてもらおうか。なぜ君がここに来たのかを」


 エミリアは一度深呼吸し、先ほど本当の花嫁だと思われる女性が指輪を投げ捨てて逃げたこと。

 自分は結婚予定の相手に売り飛ばされ、領民が借金漬けになる憂き目を回避したくて、とにかく今日の結婚を壊したかったこと。

 その時正式な花嫁が逃げたのを見て……。


 ここまで説明したところで、エミリアは床に膝をついて詫びた。


「どうか、私を公爵閣下の花嫁にしていただけませんか?」


 とんでもない頼みだとはわかっている。だから続けた。


「式から一ヶ月以内に両家から無効の申し出をすれば、結婚の無効が認められると聞いております。そして私を不届きな女として申請していただければ、公爵閣下のご名誉を守るために最善をつくさせて頂きたいと存じます。それでもお気が治まらないということでしたら、婚儀を偽った罪人としてお手打ちにしていただいてもかまいません」


 もし本当にここで殺されても問題はない。

 自分の家で婚姻ができる娘はエミリアだけだ。エミリアが死ねばロンザはどうやっても領主になることはできず、あきらめるしかない。


 その方法でも家族と領民は一時的にでも守れる。

 猶予を作れば、家族は他の貴族に領地を譲渡し、平民となってでも穏やかな生活ができるようになるだろう。


 エミリアの言葉を聞いた公爵閣下は、ややあってから尋ねてきた。


「死んでもかまわない……と?」


 そちらの選択をしたのかと覚悟を決め、エミリアはうなずく。


「はい」


「それは思い切りのいいことだ。気に入った」



「……は?」

 意外な言葉に顔を上げると、公爵閣下の微笑む顔が見える。

 彼の口から、さらに意外な言葉が飛び出てくる。


「君の申し出を受けよう。君と今日、結婚の宣誓をしよう」

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