念仏者欲心を起こすの事
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
髪を剃る手に慣れを生じたたためか、僧に勃然と欲心が宿った。それはこの幽霊の髪を我が物にしたいというものだった。
このまますべて髪を剃り落とし、この幽霊を成仏させなば、おのが評判は高くなるだろう。 だがそのためには、目撃者の証言だけでは足りぬのだ。
七兵衛と語らって騙りをしでかしたと思われても面白くない。
その目で見た者の言葉だけでは足りぬ。だが、もっと確たる証があれば、疑うことなどできはすまい。
ならば、この髪の毛を残しておこう。後々証だてにもなるだろう。
得手勝手な理屈だては、しかしどろどろ煮えたぎる溶けた硫黄の蓋であった。
おのれの力を示したよすがにとして、女の一部をわずかなりとも我が物にしておきたいという。いやしくも仏弟子の、いや人としても表にはけして出せぬような、だがそれゆえに根絶するも難い三毒の煩悩。
我が物とするには尼僧のような青剃りも悪くはない。禁欲を示せば示すほどに匂い立つ、ふしぎな艶めかしさがえも言われぬ。
だが。幽霊に頭をそのまま置いてゆけとは言えぬ。
ならばせめて、その髪を。
一筋ふたすじ――いや、ひとつかみほどでも我が物にしてくれよう。
さて肝心の剃りこぼした髪はいずれにと源教は辺りを見回した。
が、あれほどゆたかに薄い肩を滑り落ちていったはずの髪は、その膝にも新薦の上にもない。
いぶかしく思いながら次の一房を剃り落とし――、源教は内心仰天した。
なんと、剃り落としたはずの髪が、女の胸元へするりするりと滑り込んでいくではないか。まるで糸で引かれる絡繰でもあるかのように。
息を呑み、途切れた経を再び誦しながら、源教は気を取り直そうと努めた。
いかなるしかけかわからぬが、剃った先から懐へ髪が吸い込まれるというのなら、なんとしてでも引きとどめるまでのこと。
源教は、髪を二重三重におのが指に固く巻いた。しかし根元を剃れば、とたんに髪の束はするする指からほどけ、群れなす黒蛇のように、嬉々として女の懐へと逃げ込んでいくばかり。
それは爪できつく抑えこみ、指の血の気が止まり紫色になるほどきつく巻き上げても、どれほど複雑な絡めようをしようが益もなく。
源教はひそかに躍起となった。なにがどうでも我が物にせねばならぬと。
経文を唱えながら刃を振るうその様は鬼の形相。七兵衛は念仏者が女を襲うその姿に身を強ばらせたまま息を殺した。
――そしてとうとう、肩で息をしたまま源教が剃刀を下げた。
女の髪をすべて剃り落とし、その手を空しうしたままに。
四つの眼が凝視する中、青々とした頭を女性の幽霊は深々と下げ、白い痩せた手を合わせて、仏壇を拝みつつ次第に姿を薄くして消えてしまった。