念仏者人を語らい企むの事
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
次の日の朝方である。源教は同じ村の七兵衛のもとを訪れると、昨晩のことを詳しく話した。
当初は眉に唾でも塗りたげな表情でいた七兵衛も、やがて源教につられるように真剣な顔になって聞き入った。
「あの様子だと、亡霊は今夜必ずくるであろう。――かように珍しきことは、信心せぬ人に語って聞かせるべき事なのだが、たしかにそうだという明らかな証でもない限り、そうそう本当だとは信ぜぬものでしてな。そう、先ほどまでのあなたのように」
「や、これは手厳しい」
七兵衛は片手でつるりと顔をなでた。
「さいわい、あなたは正直者で知られるお方。みほとけが救いのありがたさを広く知らしめるにも、どうかこの幽霊の証人になっていただきたいのですが、よろしいかな」
これもみんな衆生の後生がためになること、功徳と思ってここは一つ、などと源教は口清げに言いすましたが、それは女の思いも確かめぬまま、勝手に見世物扱いをするにも等しい仕業であった。
だがその傲慢に男たちは気づかぬ。
源教に至っては、他人に話すな、見せるなと亡霊は言わなかったのだから、こちらの好きにさせてもらおうではないかと思っている。 まして亡霊に求めた一曲は、風流であっても腹は膨れぬもの。 喜捨にも多少の余録はあって当然とすら。
ゆえに、おのが力を誇示せんがため、ちょうどいい目撃者として七兵衛に白羽の矢を立てたのだった。
亡霊に戒を授けるという、前代未聞の偉業。秘すことすら脳裏に浮かばぬほどに、僧は名誉の欲に溺れきっていた。
「御坊の頼みです。なんで断れましょう。では夕方にでも参りましょう。どこぞに身を隠してでも見届けましょうぞ」
七兵衛はもともと源教と年も近い古馴染みである。目の寄るところに玉と言うべきか、僧の同類はおもしろそうだと、一も二もなく肯ったのであった。
北国では、雪は箒で払うものではなく、木で作った鋤で掘るものである。
掘り揚げた雪は空き地へ山のように積み上げるが、道は狭く獣道のようになる。
老若男女の別なく、ただひたすら掘っても一晩で埋まる道を、雪を軋ませながら草庵まで戻った源教は、いつもより念を入れて仏の供養をし、庵の中を掃除すると経を読んだ。
源教の草庵も辺りの雪は屋根と同じ高さになり、庵の中は昼なお薄暗い。
風が雪原を吹き抜ければ、巨大な魚が波を蹴立てるように、風によって雪が飛ぶ。
その中を、背を丸めた七兵衛がやってきたのは日暮れ前であった。
「ようおいでなされました。このことは、他の人には?」
「もちろん話はいたしませんよ」
「ならばよいのです。万が一にも漏れたら、村の若者たちが押しかけて参りましょうから」
「まったく軽佻浮薄な若衆には困ったものです」
賢しらぶって愚痴を言い合いながら、二人は夕餉を摂った。
その間に山里の夕は暮れ、北国の陽は凍れる空を滑るように姿を消した。
やがて七兵衛は仏壇の下の戸棚に隠れ、源教は授戒の座を整えた。
といっても満足な道具もない。仏壇の前に新しい薦を敷き、盥に水を汲み、研いだばかりの剃刀を用意するだけのことである。
手を洗い、七兵衛がのぞき見する節穴も目立たぬよう、仏前の灯明も部屋の灯もわざと暗くしてしまえば、さしてなすべきこともない。
この夜は雪になった。
今か今かと気の逸るままに時が過ぎたが、幽霊の姿はまだ見えぬ。
源教が経も途絶え、身じろぎするほどの音も消えると、耳が研ぎ澄まされるのか、雪の音が聞こえてきた。
雪はけして無音で降るものではない。
わざと少し開けておいた戸口でも、雪簾のあたりから軽い氷の弾がぶつかるぱらぱらという音がしきりにしていたと思えば、それがさらさらと、より柔らかくかすかなものへと変じた。
霰雪から変わったのは、粉雪か、それとも乾いた綿雪が当たっては砕ける音か。
鵞毛のごとく見えれども、間断なく降りゆくものは六角の水晶の粒と選ぶところなく、風が息をつくたび向きや勢いが変わり、複雑に音色を変えてゆく。
草庵の辺りはしんと静まりかえっている。
さらに耳は敏くなりまさり、風に流された氷の粒がどこまでも雪面を転がっていく、澄明な振動すら聞き取ったかと覚えた。
積もる先から凍み、薄く儚い氷の板のようになった雪の表面は、行き交う人あらばかならずしや足音を響かせずには折れぬだろう。 その下の、霰ほどの氷粒に変じた雪は、踏み外せばずぼりと藁靴も太股まで埋まりかねぬ。
人の気配はない。ただ風花がかそけき月光のもと、銀に光るばかりであろうか。
不覚にもとろとろまどろみかけたか、ぐらりと身を揺るがせた源教は、はっと目を開けた。
見れば、いつ来たのか女の背が間近にあった。
どこから入ってきたか、すでに幽霊は用意した新薦に座り、仏壇に向かって頭を下げていたのだった。