幽霊我身について語る事
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
わたくしは……生前の名はいろいろとございましたが、和上様には、真拆と。親に与えられた名を名乗りましょう。
とはいえその親に売られ、人買いの手に渡りました身にございます。
転々と流れ流れて、やがてとある街道筋で、伯楽の長者様に売られたのでございます。
それからは、かもじと呼ばれておりました。
ええ、はい。このたっぷりとした髪が、髢にするにもよいだろうと、そのような呼び名でございます。
わたくしにかもじという名をつけた女中頭には、年に一度髪を切られました。売るためにです。
かもじの髪が髢になると、なにかしらつねに不機嫌そうな女中頭も、その時だけは笑みを浮かべておりました。
それはたしかに気持ちの良い笑みではございませんでしたが、こちらは替えがいくらでもきく婢の身、言葉だけでも抗うことはかないませなんだ。
ですが、世の中とはそういうものとばかり心得ておりますれば、婢として追い回される日々は、まあ、餓えることだけはございませんでしたので。
伯楽――馬喰で財を成された長者さまは、旦那様とわたくしどもはお呼び申し上げておりましたが、たいそうな分限者でいらっしゃいました。
妾もつねに四人ほど蓄えておられましたが、いずれも美しい顔だちの、そして艶やかな、長く美しい髪をお持ちの方でございました。
色が白いよりも髪が長い方が七難は隠しやすいとか申すそうですが、ただひとえに旦那様の好みでありましょう。
旦那様は色ばかりではなく、風流も好むお方でおられました。
とりわけ管弦をお好みで、奉公人の中には、ひそかに楽狂いと陰口を叩く者さえおりましたが、妾の方々はこぞって楽器を身の回りに置いておられました。
いえ、旦那様の薫陶を受け、みずから奏し、あるいは他の者の音に耳を傾けておられるわけではございません。
隠月に蜘蛛の巣が張るままに、琵琶を投げ捨て置き、とうに調度となされている方。
投扇興の道具でもあるまいに、和琴の撥や琴柱を放り出しておかれる方。
何も考えず、旦那様からそれと押しつけられた琴の琴を、暇に飽かせてもてあそぶ方。
絃の調子もよく整えませんでぽつぽつとかき鳴らされるものですから、とんと狸の腹鼓かと思うような、なんともゆるんだ音がいたしておりましたものですが。
最も賢いのが旦那様の機嫌取りにと、お好みに合わせて我身を整える化粧の一つとわきまえ、箏の琴をことあるごとに――地口ではございませんが――さらっておられた方でしょうか。
旦那様は早くに奥方様を亡くされておりましたから、箏の琴の方も、己こそは次の内方という気概もありますれば、熱の入りが違います。
ただ、馬も驚くほどにみみかしがましく、また上達なさるのも……ええ、このあたりの雪溶けのように、まことにゆるゆるとなさったものでございました。
互いに険悪な四の方でしたが、それだけではまいりません。
女というだけで他の使用人にも辛く当たられますので、侍女もやがて一人去り二人去り、やがて婢であるわたくしまで、部屋の掃除から、時に衣服の支度にまで駆り出されることもございました。
とはいえ、ろくろく人の身の回りなど世話したこともない婢の身。
しくじりは数知れず、そのうえあかぎれささくれた指先に紗はたやすく引っかかり、時に生地を傷める事もありましたから、衣の代まで負わせられ、これではよぼよぼと杖つく老婆になっても年季が明けぬのではないかと思うものでありました。
そのような日々の調子がふと変わりましたのは、ある晩のことでございました。
酒席にて、わたくしが椀運びなどをいたしておりましたところ、どうした気まぐれか、旦那様に笛を与えられたのです。
むろん、わたくしはそれまで笛など触れた事もございません。まして持ち方吹き方すらようも知らぬ身にございます。
されども主に吹けと命じられては、奉公人にいやおうもございませぬ。
たとえ旦那様がたが、わたくしの不体裁を笑い、酒の肴になさろうとしているとしても。
笛は女の嫌うものであるらしとは、四の方が旦那様より与えられた楽器に思うことにございました。
いずれの方も弦の楽器を選ばれたのは、篳篥、笙、龍笛などは男の息でないと鳴りきらぬからと言い訳をなされておられましたか。
それも、わたくしが見よう見まねで頬を膨らませたさまに、忍び笑いにしては大きなさざめきに嘘と知れました。
おそらくは、不調法な吹き方だけでなく、笛吹く顔のおかしさを笑ってのことにございましょう。
居並ぶ方々が笑い転げんばかりの宴席で、ただ一人笑わぬ方がおられました。
旦那様でございました。
なんでも、わたくしに与えられた笛は、初めて触れる者には、音を出すにも難渋するものであったようにございます。
音の出ぬ笛を下女がもてあますさまを嗤おうという当てが外れたのは、旦那様にとっては本意ではございませんでしたでしょう。
ですが、たどたどしくも音を出せたわたくしに、笛の才を見いだしたと、旦那様はひどく満悦なされたご様子でした。
一管の笛を得たことで、わたくしの暮らしはきびしく変わりました。
婢の身分はそのままに、半日は笛を持つように強いられるようになったのです。
まれまれ旅の笛人が立ち寄れば、弟子となるよう旦那様に命じられ、膝詰めで数曲を叩き込まれることもございました。
その一方で、婢としての仕事もおろそかにしてはならぬと、女中頭からののしられることもたびたびございました。共に仕事する下働きの者にも、おまえのとばっちりで仕事が増えると嫌みを言われる始末。
ですが、それはそうだと納得してしまいましたので、わたくしはただ下を向いて黙っておりました。さすがに呼びつけるのに薪の切れ端が飛んでくるのには閉口いたしましたが。
息の足りぬ笛がうるさいとも言われましたので、ならばと吹き口を詰め、音が鳴らぬようにして、人が寝静まった夜更けに、指が動くように稽古をいたしたこともございました。
その甲斐あってかどうかは存じませんが、時々は客のつれづれを慰めよとて、宴の座興に呼ばれることもたびたびとなりました。
なに、秋の虫を籠に入れて鳴かせるようなものにありましょう。
さすがに旦那様も、四の方を集めて楽の楽しみをしようという場にはお呼びになりませんでしたから、それでようよう四の方も胸を宥められたとか。
それもまた酒宴の席でのことにございました。
所望されまして、ひとしきり笛を吹いたのち、端近に控えておりましたわたくしに目を留めた客人がおられました。
いい笛人だ、都へ連れて行こうではないか、都へ共に行かぬかとねつく誘われましても、わたくしはただの奉公人にございます。返事のしようなどありません。
旦那様も使い勝手の悪くない奉公人をそうそう手放したくはなかったのでしょう。お断りになりました。
ならしかたもない。
思いのほかあっさりと切り上げなさった客人は、都でご覧になったとかいう、珍しい外つ国の琴の話を口になさいました。
琴という琴、いえ琵琶もまた、絹をきつくきりきりと撚ったものを絃といたします。それを弾くは撥か爪。
されど、外つ国の琴の中には、馬の尾を使うものがあるのだと。
ほうと旦那様は目を輝かせました。
伯楽と、そして楽狂いと名を馳せたお方です。
どのような音であろうかと思えば、まだ聞いた事のない楽が頭の中でそれは魅惑的に響くのでございましょう。
酒宴のさなかから主人であることも忘れてか、旦那様はしんと黙ってしまわれました。
思えば、その目はひどく底光りをしていたようにございます。
それから、旦那様は奇矯なことをなさるようになりました。
四の方の髪を所望し、手持ちの琴や琵琶のたぐいに、片端から絃と張って試されるようになったのです。
馬の尾は琴はおろか、琵琶に張るのにも短いものにございます。ならば人の髪であればどうかとお考えになったのでしょうか。
それとも伯楽が馬の毛を使うのは当たり前、ならば女楽をさせる女たちの髪で楽を奏すという趣向はどうかと思いつかれたのやもしれません。
囲われている身でもありますから、四の方はこぞってふつふつと、旦那様の目の前で、自慢の黒髪を一房ふたふさと切って差し上げたとか。
嬉々として旦那様は髪を張られたとか。
ですが、髪の一本など、たやすく切れてしまうもの。
ならばと二本、三本と足したところで、爪や撥を当てればふっつりと乱離するのは物の道理でございましょう。
鳴らぬは綾の鼓か髪琵琶か。
いや、鳴らぬなら鳴らせてみよう髪の琵琶。
旦那様は、幾筋もの髪をきりきり撚り上げ、固い絃になそうと、さまざまな手を尽くされました。
絹糸は蚕の繭を煮て取ると聞けば、髪の束ごと熱湯につけてみたり。
琴糸は靱くするために染め、あるいは糊で固めてあるのだと聞けば、染料を取り寄せ、飯粒を磨り潰して煮たものにおよがせてみたり。
ですが、髪の毛と絹糸では、やはり性というものが違います。
そのころには、四の方はおろか、わたくしども奉公人の手入れのあまりよくない髪ですら、所望されるようになっておりましたが。
誰のどのような髪であっても、髪というものはどれほど強い撚りをかけても緩み、やがてはぱらりとほどけてゆくものです。
茹でたものは柔らかくこそなれ、弱くぽそぽそと切れ毛羽立つありさま。糊はひび割れ粉と散りゆくばかり。
糊が駄目なら膠はどうか、血なら馴染むかと、錯誤が続くほどに、旦那様のお振る舞いは狂気を帯びたもののようになってまいりました。
奉公人たちも、目端の利く者から一人減り二人減りし、四の方などはふっつりと尼削ぎになるほど髪を奪われ、とうとう顔すらお出しにならなくなりました。
その姿に覚悟を決め、とうとうわたくしは一管の笛だけを持って逃げ出したのでございます。
髪は頭巾に隠し、男のなりで。
女が男のなりをすれば、ふしだらみだら、お国ものとも呼ばわれましょう。
そこでわたくしは尼寺に逃げ込みました。なんとしても旦那様の、あの血走った目から逃れたかったのでございます。
寺に入らば俗世の縁が切れるとは、もはや親兄弟など所縁のある者のもとへ戻ることもかなわぬということだと、庵主様には深々と念を押されましたが、否やはございません。そもそも子を売る親にございます。長年音沙汰もない相手に助けを求めたとて、救われるはずなどがありますまい。
お屋敷から出たこともないわたくしではありましたが、こまごまとした下働きをすることはもとより苦ではございませんでしたし、着の身着のまま逃げ出した身に与えられました小袖は、なんともこざっぱりと気持ちのいいものでございました。
その上庵主様のお計らいで文の読み書きを教わることも、たびたびは笛を吹くことも許されておりました。
まこと清福の日々にございました。
そのまま細々と、尼寺の下女として暮らしていくことがかないましたら、どれほどよかったのでしょう。
わたくしは愚かにございました。
ある年の秋のことです。月の明るい夜に、わたくしは笛を吹いておりました。
そこへ琵琶の音がいたしました。これまでになかったことです。
驚いてわたくしは吹き止めました。尼寺近くに琵琶を奏するような、風流を解する方が住んでいるとは、ついぞ聞いたことがなかったからにございます。
聞き違いかとも思いましたが、わたくしの吹き止めたのちも、数曲をその琵琶は奏したのです。
多少風変わりな音色に聞こえましたが、それでも琵琶は琵琶。旦那様が髪に狂う前の屋敷で、虫の音同様に耳慣れておりました音は、なんともなつかしく耳に響きました。
その後もたびたび琵琶は聞こえ、時に笛と合わせ奏され、それは楽しいものにございました。
どのような方が弾いておられるのだろう。
いつしかわたくしは、顔も人柄も知らぬ琵琶の方に、ひどく心惹かれておりました。
秋も深まり夜は冷え、それでも琵琶の音は月の光に絡むように聞こえて参ります。
身もわきまえずひとたびお目にかかれたら、笛の者でございますと申し上げたら、どのようないらえをいただけるのだろう。
思えば思うほど思いは募り、ようよう髪が人並みに伸び揃いましたわたくしは、ひそかに尼寺を抜け出したのでございます。
庵主様には何くれとなく気に掛けてくださいましたものを、後足で砂を掛けるような所業でありました。
その夜は、満月にございました。
琵琶の音を辿り辿り、わたくしは知らず遠くにまで足を伸ばしておりましたようです。
まもなく街道へも出ようかという時になって、ようよう音の主を見いだしました。
琵琶を弾いていた向こうもまたわたくしの足音に気づいたのか、顔を上げました。
月の光に照らされた、その面立ちにわたくしは息を失うかと思いました。
旦那様だったのです。
わたくしを見るや、旦那様はこれまで聞いた事もないような、やさしげな、粘り着くような声音でおっしゃるのです。
かもじや、ようやくお前も満足に髪が伸びたのだね。これでわたしの琵琶が完成する。
あやつをたよって都へ逃げたかと思ったが、ちゃんと近くにいたのは感心だ。
さあ、戻っておいで。
四の弦までは張れたが、五の弦がまだなのだと。
わたくしは旦那様に背を向けて逃げ出しました。
脇街道の枝道細道獣道、どこをどう走ったかはよく覚えておりません。
わずかに覚えておりますのは、川を渡ろうとこの橋にかかった時のことにございます。
とうとう橋の上でわたくしは追いつかれそうになりました。
が、葛橋は板橋などよりはるかに揺れるものにございます。
足音も荒らかに追ってくる旦那様の勢いに橋板ははずみ、よろけたわたくしは河面へと投げ出されておりました。
山の谷川、速い流れにみるみる流れてゆき、わたくしはと申しますと、月光に晒した水晶のような水に凍え、どうすることもできず水底へと沈み込んだのでございます。
その後、旦那様がどうなさったかは存じません。
非業の死。不慮の死と申さば申せましょう。
ですが庵主様をはじめ尼寺の方々には不義理をいたした身、その悪業因果がめぐってのことと思わば諦めもかないます。
肉を失い、骨の髄まで凍る水にさらされておりましたこの身も、和上様がたびたびここに来て回向してくださいました。
ですが、この髪が、わたくしを水底までひきずりこんだこの髪が障りとなり。いまだに黄泉路を辿ることができぬのでございます。
お願いでございます、和上様。さまようこの身を哀れと思し召しならば。
死してなお、しだいしだいと伸び増えまさる、この髪をなにとぞ剃りこぼち、戒をわたくしにお授け下さいませ。
小ネタ
・真拆=定家葛