代用品?
宿泊施設の一室に戻り、昼間の出来事を思い出している。
「陽那とキスしちゃった。あぁっ、唇柔らかかった!」
ベッドに倒れ込むと、枕に顔をぎゅっと押し付けた。陽那の温もりが、まだ唇に残っている気がする。目を閉じるたびにその瞬間が鮮やかに蘇る。
あの甘い吐息、頬を染めた彼女の照れた笑顔、心臓がバクバクして苦しいようなあの感覚。
ひとりでベッドの上を転がりながら、枕に何度もキスを繰り返して、幸せに浸っていた。
「新着メッセージが届きました」
突然音声アシストが聞こえて、ビクッとして我に返る。
陽那かな? 「今から部屋に来て」とかだったらどうしよう!? 有頂天で視界に映るアイコンを操作すると、メッセージは結月からだった。
「少し話がしたい、フロントまで来て」
話って何だろう? 俺は「了解」と返事してフロントまで下りて行った。
メインの照明が落とされて薄暗くなっているフロントを見回すと、壁にもたれて立っている結月を見つけた。
ポニーテールではなく、黒く艶やかな美しい髪を下ろしている。上は白の袖の短いカットソー、下は薄い水色の膝丈のフレアスカート。いつもとは違う雰囲気だがとても綺麗だ。俺は思わず息を呑んで見とれてしまう。
「来てくれたってことは、まだ負けと決まったわけじゃなさそうね」
結月は薄っすら笑ったように見えた。負け? 何のことだろう。
「ちょっと、散歩しながら話そ?」
結月に促されて宿泊施設の外に出る。人通りはまばらで静かだ。
特にどこに行くというあてもないので、なんとなくいつもの北の転移ゲートに続く道を二人で並んで歩く。
まるで整備された公園の遊歩道のような道だ。夜中なので暗いが、街灯もあり真っ暗というわけでもない。周りに人の姿はなく静まり返っている。
結月が足を止めたので俺も立ち止まって振り向く。結月は俺の目を真っ直ぐに見て、わずかに笑みを浮かべて話し出した。
「学校で樹が私を見てたのは、陽那と髪型が似てたからって言ってたよね?」
「最初は……そうだよ」
俺の答えに結月の表情が悲しげに変わる。
「私は、陽那の代用品なのかな?」
結月から投げかけられた言葉に、俺は思わず向きになって返した。
「ちがっ……! 確かに初めてポニーテールの後ろ姿を見たときは、陽那と似てる子がいるなって思ったけど、結月は陽那とは全然似てない!」
「ほとんど話もしたことなかったけど、どうやったら結月と近づけのるか、いつも考えてた」
「陽那に告白して……断られてからずっと辛かったけど、結月のことを考えるようになってからは辛くなくなったんだ!」
「高校に入ってからは、ずっと結月のことが好きだった!」
「フフッ、嬉しい。私も樹のことが大好きだよ」
結月は目に涙を浮かべて俺にそっと近づき、両手を広げたかと思うと、俺の首に腕を回して抱きしめた。
俺が気が付いた時には、結月の唇が俺の唇に触れていた。しばらくして結月の唇が離れると、涙をこぼしながら笑顔で俺を見つめている。
「キス、しちゃったね」
俺はその表情と言葉に、罪悪感を感じて胸がチクリと痛んだ。
「結月……俺……」
俺の言葉を遮るように結月が言葉を発した。
「陽那ともキスしたんでしょ?」
「なんでそれを……?」
俺は動揺して鼓動が一気に跳ね上がるが、結月は笑顔のまま俺の目を見つめて続ける。
「樹と陽那が戻ってきてからの様子を見れば、誰だってわかるよ」
俺が言葉を出せないでいると、結月は穏やかな眼差しで微笑んだ。
「と言うか、陽那を追いかけるように言った時点で、何か起こるだろうなと思っていたから。ホントは樹のファーストキス、私がもらうつもりだったんだけど、樹の二回目キスでも勘弁しておいてあげるね」
そこでまた俺はポロッと言葉を漏らす。
「二回目も陽那と……」
「え!? 二回もキスしたの?」
結月は驚いて声を上げた後、再び俺に顔を寄せて唇を押し付けた。不意打ちだったさっきのキスとは違い、結月の唇の感触、抱き合い密着することで伝わってくる体温を、じっくりと感じてしまった。
さっきよりも長く二人の唇が合わさっている。多幸感で頭の中が真っ白になった頃、唇が離れた。
「これで陽那とはあいこだね」
結月はいたずらのこもった笑みを向ける。
「あのね、樹。自分の中で私か陽那のどっちを選ぶか決まったら教えてね? 焦らなくてもいいよ、きちんと考えてほしい」
結月は俺をギュッと抱きしめて、耳元に口を寄せて囁いた。
「もし私を選んでくれたら、キスよりもっと凄いこと、してもいいよ?」
キスよりもっと凄いことだって!? 俺はごくりと唾を飲みこんだが、気管に入りゲホゲホと派手にせき込んでしまった。
「フフッ、想像しちゃった?」
結月は、せき込む俺の背中を優しくさすってくれた。
その後、宿泊施設まで戻るまでの間、結月と俺は腕を絡めながら歩いたが、何を話していいか分からず黙って歩いた。
チラリと結月の方を見ると目が合い、素敵な笑顔を向けてくれた。俺の鼓動はずっと高鳴ったままだった。