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第4章 スピリット

 古城の中は、いつも薄暗く、少しだけ寒い。


 かさついた手のひらが少女の陶器のような肌をなぞる。

「大きなケガはないようだね、イヴァ」

 隅々まで触れたのち、真紅のガウンを背に掛けられた。

「アレン、危ない……城の外へ、出ては、守れない」

 アレンジードの膝の上に対面で座っていた少女は体を寄せ、男の胸に顔をうずめた。

 暖かなガウン。冷たいアレン。

 ――暖かい手のひらの記憶は、いつのものだろう。あれは、誰だった?

「危険な力を感じたからね。きみを喪くして私は生きていけないよ。もっと傍へおいで……ちからを注ごう」

 アレンジードは少女を優しく抱きしめる。

「……アレン」

 冷たいアレンの腕から、なにかが流れ込んでくる。少女の内側が、なにかに押し出されるような感覚。むずがゆい。

 『ちからをあげる』、アレンが言う時は、いつもそう。

「んんっ……」   

 小さく声を上げ、少女は夢に落ちるのだ。

 視界の端に、椅子に掛けてある上等の毛布が映る。あれは、いつからそこにあっただろう?

 疑問に対する答えはないまま、少女は意識を手放した。



   ◆



 目を覚ますと、砂の海の中にいた。

 自分の名を思い出すまで、しばらくかかった。

 故郷の名は、今も思い出せずにいる。

 しかし大切な存在が居たことは確か。

 前触れもなく、平穏な夜に解体されてしまった故郷<国>の、欠片を今も追っている。

 どれだけ時間を掛けても、いつか取り戻せるのではないかという願いだけが希望だった。


「ファティア。大丈夫ですか?」

 ダークブルーの瞳が、ファティアの顔を覗き込む。

 深く眠り込んでいた彼女は、吃驚して青年を突き飛ばした。

「ご、ごめんなさい……夢を見ていて」

「ええ、うなされていたから……。解放されたなら何よりです。やはり、この森は『良くない』ですね」

 ファティアを姫と呼ぶ青年は、同郷というのだがどうしても思い出せずにいた。

(わたくしは、姫などではないし)

 魔法技術は、血族の者で適正と知識があれば扱える。王家と神官一族が主だが、貴族系統にも素質は流れている。

(再会を喜べたのなら、良かったのに)

 彼が勘違いをせず、自分もまたしっかりと記憶があったなら。

 喪われた国の民同士、気持ちを重ねることができただろうに。

(スピリットの干渉を受けない……そんな存在、忘れようがないはずだもの)

 青年が嘘をついているのか、自分の記憶が壊れただけなのか。

 きっと後者なのだろうが、そう思えば悲しい。取り戻せない可能性を、考えないようにしていた。それを眼前に突きつけられた。

「……行きましょう。そうね、ちからが毒となる前に……」



 魔物は体温を持たない。

 イヴァが確かにあの時の少女なら、彼女はアレンジードに使役されているだけの人間であろう。

 邪魔をするなら相手の生死は問わないとクリストファルトあたりは平然と言ってのけるが、エリツィオやファティアは首を縦に振らなかった。

「わたくしは、古城に宿る知識が欲しいだけ。殺しは好まないわ」

「僕はファティアの手助けをするだけだ」

「使えねぇ……」

 クリストファルトは、古城破壊の依頼を請け負っている。門番を避けては通れない。

 剣の腕だけでも厄介だというのに、攻撃を寄せつけない術を施されているだと?

 その上、デタラメな魔法術者が控えている。

「使えない? 本当にそう思う?」

 エリツィオは悪い笑みを浮かべ、含みのある言い方をした。

「僕を見なよ。大切なモノってのは、目を曇らせるんだよ」

「自覚はあったのか」



   ◆



「今日は赤い魔法術者はは来ないのかい?」

 案の定、門前にはイヴァが立っていた。

 銀の短剣を両手に構えたエリツィオが問う。その隣では、クリストファルトが緑に輝く大剣を抜いている。

「何度きても、何人きても、同じ。わたしは、この先へ誰一人として通さない」

「かわいそうな子だね。本当は外へ出たいだろうに」

「そんなことはない。わたしはアレンの傍にいる。約束した」

「盗賊に襲われても、何もしてくれなかったアイツの傍に?」

 鼻を鳴らし、クリストファルトが言葉を挟んだ。

「何を言っている」

「左胸の下に、人差し指ほどの長さの傷跡があるな。あれは『魂抜き』の儀式だ。誰に付けられた。アレンか?」

「……!? な、にを」

 そこでようやく、イヴァの顔色が変わる。

 肌のことなど誰も知らないはずだし、あてずっぽうにしてはタチが悪い。

「言っただろう、俺はアンタを助けたことがあるって。盗賊に襲われて、服がほとんど引き裂かれてた。ケガはないか、見せてもらっただけだ」

 その後は、きちんと毛布でくるんだだろう。覚えていないようだが。

「イヴァ。アンタは人間だ。触れた俺がよく知っている。心臓が脈打ち、体温を持つ人間だ。『魂抜き』はされていない」

「違う! わたしは!!」


 ――イヴァ。かわいそうな子。ごめんなさいね。

 あの声は、誰のものか。皮膚に触れた、冷たい刃、ゆっくりと沈み込んでくる感触は。

 そして、そのあと――


 イヴァは金の眼を見開き、クリストファルトへ斬りかかった。

「基本に忠実な剣筋は見極めやすい」

 すかさずエリツィオが間へ入り込み、ナイフで剣の流れを振り払う。

「スピードだけで出し抜けるのは、一度だけだと思った方が良い」

 今まではきっと、その一度だけで倒れる相手ばかりだったのだろう。

 何しろ、この森を抜けるだけでかなり体力を消耗する。そこへきて、この少女だ。

 外見に戸惑う間に切り伏せられる。

 軍人崩れで森の空気に影響を受けないエリツィオにとっては、文字通り子供の相手をするに等しい。

 反撃はしない、ただただ流れるように攻撃を受け流すだけ。

 回避ではなく刃は確実に触れ合うことが苛立ちを募らせる。

「……っ、のらりくらりと……!!!」

 一度さがり、イヴァは間合いを取りなおす。勢いをつけて飛びかかるか、重心を低くして足元を狙うか――

「どちらにしても足元は大切よ、お嬢さん」

 遠距離から気を見ていたファティアが術式を展開し、イヴァの足元の石橋を隆起させる。


「!!!??」

 

 崩れる。落ちる。落ちる。

 滝の落ちる音が、飛沫が、頭へ響く。

 重い装甲も相まって、その速度は容赦ない。悲鳴を上げる余裕もない。

(アレン)

 浮かんだのは、赤髪の男。優しく、冷たい、主だった。

 自分がこのまま落ちてしまっては、誰が彼を守るのか。


 ――『魂抜き』の儀式よ、イヴァ

 ――あなたはこれから、東の城主様の

 ――ごめんなさいね


 記憶が真っ赤に染まった。

 血まみれの視界。血に染められた親族。村の人たち。そのなかに立つのは

「アレン」

「残念だな、おっさんじゃなくて」

 伸ばした手首に、しなった植物の蔓が巻き付いて、イヴァの身体は石橋上へと戻されていた。

「見えたか、走馬燈って奴がよ」

 鎧越しに腰を抱き、クリストファルトが口の端をゆがめている。

「……そうま」

「生きてる実感、湧いたか?」

「あ、あ……」

 至近距離で聞く、声。何かが少女の中に響く。


「――!?」


 何が起きたかわからない。

 ただ、その瞬間にイヴァの中で何かが弾け、そしてアレンジードが再び姿を見せた。


「年甲斐のない嫉妬だな」

 イヴァへ重ねた唇を離し、クリストファルトが振り返る。

「『魂戻し』の儀、知っている奴がいるとは思わなかったか」

 知っていたのはファティアで、そもそも『魂抜き』の儀も完遂されていないから、これは思い込みを解く形だけのものだ。

「貴様……!!」

「傷つくよな……。実の親に刃を突きたてられて、いけにえにされて」

「黙れ!」

「なのに……直前で一族郎党殺されて、ショックで喪った感情さえ糧にされてさ。その相手を信頼するよう思いこまされて、小さい体に鎧をまとって剣を振って。本当のことを知ったなら、更に美味しい絶望が待ってるんだろうか」

「貴様に何がわかる!」

 激高したアレンジードが、両腕に力を集め始める。先日の雷撃の比ではない何かを、起こそうとしていた。

「盗賊に襲わせたのも、意図的だったのか? 純潔を奪わせたかったのか。ひでぇな」

 何度、この娘の心を破壊すれば気がすむ?

「違う! 私は――」

「……アレン」

 クリストファルトの腕の中で、イヴァは涙を流していた。

 親に殺されそうになった。怖かった。助けてくれた、アレン。優しい人。そう思った。

 触れると冷たいけれど、本当の暖かさを知っているから大丈夫。そう、信じていた。

「……わたしが、ほんとうにたいせつなのは……」

 イヴァが手をのばす。アレンが踏みとどまる。


 今度こそ、盛大に石橋が音をたてて崩れた!!

「生きるか死ぬか、あとはアンタらの好きにしな! 俺の目的は別にある!!」



 少女を男に向けて放り出し、クリストファルトは一気に橋向こう、城門前まで跳躍した。

 曇天の隙間から陽光が差し込む。キラキラと輝く線をなぞるように『破壊の剣』を振り下ろす!

 スピリットで構成された刀身は、この地に貯まるモノを吸い込んで城壁程の長さへと変化していた。

「あああああッ!! 壊体屋のバカ――――ッ!!!」

 古城丸ごと一刀両断する姿に、ファティアが悲鳴を上げる。

 これでは、資料も何も壊されて消えてしまうではないか!!

「姫! こっちだこっち、もう限界です!!」

「姫と呼んだら叩き落とすと言ったでしょう!?」

「今はそれ、シャレになりませんて!!」

 蔓を編み上げてネットを張り、落下したアレンとイヴァを掬い上げていたエリツィオだが、成人男性と重装騎士の少女の総重量はなかなかにヘヴィで、腕力はもちろんのこと道具が保ちそうにない。

「~~っ、もう少しだけ耐えなさい!」

 風を。

 強い強い風を、巻き起こす。砂漠に吹き荒れる嵐のイメージ。それを、下から上へ上へ。

 自然の摂理に逆らい、自然を操る魔法術式。

 滝が逆流し、落下する2人の身体が浮上する。

「重い!!」

 見事に空へ上がり、そこから落下した重装騎士の下敷きとなり、エリツィオは悲鳴を上げた。

「でも、よかった間に合って……。さすが姫……。うん? あれ、あの男は……」

 イヴァの無傷を確認してからエリツィオはもう1人の救出者を捜すも、その姿は見当たらなかった。



   ◆



 音をたてて古城が崩れ始める。

「これが『解体』か……」

「スピリットの塊みたいな建物だから、影響を受けやすい……が、これが在ったから世界の穢れはこの程度で済んでいたのかもしれない」

 死した魂。

 悪しき祈り。

 潰えぬ悲しみ。

 その他いろいろ。いわゆる『消えることのない思念の残骸』。

 無意識下に生き物へまとわりつき、あるいは行き場を無くして見えぬ形で世に漂う。

 行き場のない残骸たちの行きつく先がこの城だとしたら、これから先は、どうなるのだろう。

「……立ち入ったことを聞くつもりはなかったけど。リート、君にこの城の破壊を依頼したのは……」

「それは話せない。守秘義務って奴だ」

「……そうか。この後は次の『解体』を?」

「依頼が入れば、恐らく」

「こうやって、歴史の貴重な資料や文献は消えていたのね……」

 信じられない。最低。ファティアが声を震わせる。

「壊体屋、やはりわたくしはあなたを殺すわ。こんなこと許せない」

「許してほしくてやってるわけじゃない。アンタに俺を殺せるの? こっちからお願いしたい」

「くっ……腹立つ!!」

 大型の術式を立て続けに使用した反動で、今のファティアは立っているのもやっとだ。

 エリツィオに肩を抱かれながら、歯噛みするのが精いっぱい。

「…………アレン……アレン……」

 霧のように消えてしまった主を捜すように、イヴァは虚空へ手をのばす。

 古い慣習で、落とさなくていい命を救われたのは、確かだった。


 怒りに任せ周囲を虐殺したことは、許されることではないのだろう。

 手元へ置き、手放せなくなり、それでも外の空気を吸わせてやりたいと、世界と見せてやりたいと願ったことにも嘘はない。

 自分を守ると息巻く少女の成長は微笑ましかった。

 少女の手が血に汚れることへは、何も感じなかった。

(……ああ、だから私は)

 古城が崩れる。城と共に、アレンジードの自我も崩れ始めていた。

「だから私は『スピリット』だったのだろうね」

「アレン」

 少女の眼前に、うっすらと姿が浮かび上がる。

「強すぎて、固まりすぎて、城と一体化した見上げた奴だよ」

 城と共に崩れる残留思念は、なかなか見かけない。

「俺はアンタまで斬っちゃいない。アンタの思念が残っているなら残ることはできる」

 赤銅色の双眸が、薄れゆくスピリットを見下ろした。



「アンタが、次の城になればいい」




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