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第3章 古城

 ひとりには慣れていた。

 日常に戻っただけだ。


 東の森へ近づくほどに街道の荒廃は酷くなり、やがて形を保てない低級の魔物が出るようになった。

 大剣で叩き潰し進むうちに深い霧に包まれ、その先に深緑が浮かび上がる。

「……スピリットの森、か」

 鉄塊の刃が、全体に光を纏っている。街で充電の必要などないほどに、ここには濃い『思念』が渦巻いている。

 意識を持っていかれないようゴーグルを装着し、クリストファルトは奥へ奥へと進んでいった。



   ◆



「東の山脈を超えることは常人がすることではない」

 世界を分断するそれは、古くから語られてきた。

 凄腕の冒険家ならまだしも――その冒険家とて、商人や伝道師のように物資や知識の受け渡しは担えない。

 かといって、南北共に海流は荒く、東方と交流らしい交流など行なえないまま歴史は重ねられた。

「唯一、道を拓くのならば東南にある深い森だ。古城があると聞いたが、それこそ東方との交流の要だったのではないか」

 時の皇帝が、そう言った。

 かつて心を寄せた乙女の面差しを残す男は、クリストファルトへ勅命した。

「『壊体屋』クリストファルト。彼の地を解体し、この世界へ新たなる風を呼びこんでくれないか」

 森から遠く離れた帝国にとって、直接的な利のある話とは考えにくかった。

 交易が始まったなら、まっさきに近くの都市同盟があらゆる手を尽くすだろう。

 知識の解読は、隣接する王国が。

 しかし『壊体屋』を有するのは帝国しかない。

「わたしが玉座を離れることはできない。しかし、知りたいと思うのだよ。断絶された壁の向こうを」

 断絶された理由があるのなら、それもまた。

 国家としての大義ではなく、一個人としての好奇心。

 損得勘定だけでは語れない、未知の領域との接触。

「朗報を待っている」



   ◆



 送り出されてから、既に半年近くが経過していた。

(朗報と言っても)

 森の奥から水音が響いてくる。恐らくは滝だ。

「……ここが、古城」

 木々が切れると先は石の橋が繋がっており、街の城壁とは比較にならない高さの石門が光を浴びていた。

 森と一体化しているようにさえ見える城壁の一部は上から水が流れ落ちて、なるほど滝を造り上げている。

 飛び散る飛沫が霧となり、橋上の視界に煙る。

「なんだ、この場所は……」

 深い深い森の中の、静かな城。

 魔物の咆哮は絶えず後方より響いているが、生命反応はまったくない……はずなのに。

 どれほどの過去に、どれほどのことが起きたなら、ここまで酷い『スピリット』が貯まるのだろう。

(これを破壊したとして、大剣で吸収しきれるか?)

 あふれだしたスピリットは、どうなるのだろう。陸の東西を問わずあふれだし、厄災を振りまくのではないか。

 或いはそれを止めるための装置として、古城が建てられたのではあるまいか。

 そんな考えすら思い浮かぶ。

「血の匂い?」

 滝の音や飛沫で気づきにくかったが、緑の香りの中に異質なモノが混ざっている。

 剣を手にしたまま、クリストファルトは一歩、石橋へ踏み出した。


 無謀な旅人の多くは、スピリットの集合体である魔物に喰われて命を落とす。

 命の消えた亡骸もまた、あとかたなく喰われる。

 ただし流れ出した血液や、生命の宿らない鉄鎧などは放置される。

 これまでの道のりでも、幾多の残骸を目にしてきた。

(……一般の人間が、ここまでたどり着いていた、だと?)

 知能もつ高位の魔物であれば、己の領域へ獲物を持ち帰り、無機物までをも食い荒らす。その類だろうか。

(もしかして)

 自分を追ってきた、優男の青年が含まれてやいないか――


「ここから先は、何人たりとも通さない」


 クリストファルトの足は、ピンと通った少女の声によって止められた。

 巨大な石門の前に立ちはだかる、重装騎士。

 白銀の鎧に全身を包み、盾を構えている。右手に握る剣は、血に濡れていた。

「おまえも、魔物の糧となりに来たか」

 生命力を感じさせない、無機質な声。

 感情を宿さぬ金の双眸。

 黒い額当てを巻いた銀髪は、無造作に高い位置で束ねられていた。

 古城を守る装置。

 そんな単語が、クリストファルトの脳裏をよぎり――一拍置いて、思い出す。

「アンタ、あの時のガキか。こんなところで何をしている?」

「……なんのことだ?」

 少女は目を眇める。

 足元には傭兵崩れらしい男が倒れていた。今しがた、彼女に斬り捨てられた侵入者なのだろう。日に焼けた茶の髪と確認し、クリストファルトは心のどこかで安心しながら視線を少女へ戻す。

「半月くらい前か、森へ続く街道で盗賊にさらわれていた。意識が無かったから近くの廃屋へ寝かせたんだが覚えてないか」

「なんのことだ」

「上等の毛布と新鮮な水、それから果実を練り込んだパンも覚えていないか?」

「知らんな」

「なるほど」

 忘れられることには慣れている。

 それに、ここは魔物の巣窟であり悪しきスピリットの水底だ。

 何が起きても不思議ではない。自分が……否、エリツィオが助けた少女が無事であった確証が、欲しかっただけなのかもしれない。

「悪いが、この城を破壊するために俺は旅をしてきた。アンタが女だろうがガキだろうが、歯向かうなら叩き潰すだけだ」

 力の解放を望む剣を押しとどめ、クリストファルトは大剣を『鉄塊』のままに構える。

「尚のこと、通すわけにはいかない。アレンジードは、わたしが守る」

「……アレン? なんだって?」

 刹那。

 少女は装甲の重さを感じさせない速度で接近した。

「!」

 装甲のない左腕を切りつける。裂けた布の下から、鮮血が滴った。

 威力は軽いが、狙いは的確だ。

 返す刃でもう一閃、レザーアーマーの上から胴を狙ったそれは、なんとか大剣で受け止める。

「接近すれば優位だと思ったか」

 交えた刃で突き放し、構えられた盾を狙って少年は大剣を下ろした。

「……っ、ぐ」

 盾は白光を放ち、接触する前に刃を弾く。

「この聖域で、わたしの鎧へ傷をつけられると思うな」

「聖域? 魔物の巣窟を、そう呼んでるのか」

「魔物は森に生きるもの。城は全てを遮断する」

「……城、ね」

 ――彼の地を解体し、この世界へ新たなる風を

(なあ、皇帝。アンタの願いがわからんワケじゃない。だが……)

 この依頼は、厄介な案件かもしれない。

 命じられるままに、あらゆるものを壊してきた『壊体屋』クリストファルト。

 たとえば国に害なす思想団体。

 たとえば交通を遮る山。

 たとえば南の国1つ。

 壊した後のことは、知らない。興味がないからこそ壊すことができた。

「アレンジード、ってのは城の主か」

「知らない。アレンは孤独だ。独りで城を守り続けてる」

「1人って、アンタも一緒じゃないのか」

「一緒にいても、同じこと。アレンは孤独だ」

「……ふうん」

 惚れているのか。思ったが、それは口にしなかった。

 そもそも古城に人が棲みついていることすら知らなかったし、棲みついているのが『人間』とも限らない。この少女を含めて。

 高知能の魔物である可能性だってある。

(姿かたちに惑わされてる場合じゃないな)

 ため込んでいた息を吐きだして、クリストファルトは刀身を左手でなぞった。

 緑光で大剣が包み込まれる。

 物理的に破壊できないのなら、その魂を喰らうまで。

 少女は、わずかに目を見開いた。が、すぐに剣を構え直す。


「……死ね! 『壊体屋』!!!」


 剣と剣が、ぶつかり合う。はずだった。

 あらゆる光が、爆風のもとに散らされる。

「リート!! 大丈夫か!」

「……その声は」

「あああああ、ようやく追いつけば! 無茶しないでくださいって言ったでしょう、姫!」

「わたくしは『姫』ではない、しつこい」

 眼前の標的に意識を奪われ、後方の殺意に気づかずにいた。

 背を焼かれたクリストファルトは、ゴーグルを額へ上げて振り向く。

 エリツィオが、黒衣の女を羽交い絞めにしていた。

 宝石のような美しい瞳が、憎悪に歪んでいる。なるほど、彼女があの魔法術者か。砂の国の王女。

「遅れてすまない。そっちの男は何者なんだ」

「男?」

 女の両手首を纏めて掴み、空いた左手で腰回りを拘束し。がっちり体勢を押さえたところで、エリツィオがクリストファルトへ問うた。


「聖域の周りで物騒だね」


 低く、落ち着いた声だ。

 赤髪の男が、魔法に当てられ気絶した重装騎士の少女を抱き上げてこちらを向いている。

 いつの間に、どこから。

「アンタがアレンジード?」

「ああ。……イヴァが話したのか」

 ゆったりとした白のローブを纏う男は、クリストファルトの問いへ静かに頷く。

「この娘が仕留め損ねるとは、大した腕前のようだ。しかし、くれぐれもくれぐれも、この地をどうにかできると思わないよう」

 イヴァと呼ばれた銀髪の少女の頬へ唇を寄せ、アレンジードは少女と同じ金の眼をこちらへ向けた。

「だめ、離しなさい! あの男は危険よ!!」

 ファティアが身をよじる。掌中に電撃を集め、体を密着させているエリツィオへぶつけた。

「来なさい『壊体屋』! あなたを殺すのは、わたくしなのだから」

「わけがわからん」

 片腕で少女を抱えたまま、他方の手をアレンジードが天へ掲げる。


「鉄槌を」


 静かな声だった。

 それと同時に、幾本もの剣のような雷撃が、空から降り注ぐ。

「なっ……」

「命が惜しければ伏せなさい!!」

 動揺するエリツィオの胸倉を掴み、ファティアは石橋へ叩きつけた。

 雷撃を弾くように、その背から半球体の防護壁を生み出す。なんとかクリストファルトも範囲に含めているが、広さを作れば厚みを犠牲にしなければいけない。

 幾つかの雷は壁を破り襲い掛かる。

「ほんっと、あなたはなんなのよっ」

 ファティアの背を抱くように、エリツィオが雷撃から彼女を守る。

「貴女が僕を忘れていても構わない。貴女を守るために、僕は戻ると決めたんですから」

 優男の外套が、雷の刃でボロボロになる。革鎧を割き、やがて皮膚にも至る。

「くそっ」

 大剣で防護壁を突き破る雷撃を防ぎながら、クリストファルトは2人の下へ駆け寄った。



   ◆



 雷撃が止む頃にはアレンジードと少女の姿はなく、エリツィオの腕の中でファティアは気を失っていた。力を使い果たしたらしい。

「荷物を持ち逃げされたことも待ち合わせを放棄されたことも気にしちゃいないが、話をする時間はあるかい」

「…………」

 この状況下で否とは言えない。

 舌打ちをしてからクリストファルトはゆっくりと立ち上がり、魔物の巣窟の中でも安全な場所を捜した。


 クリストファルトとエリツィオが離れるきっかけとなった、盗賊にさらわれた少女が古城の門番であった。

 名は、どうやらイヴァ。

「あの時の記憶はないのか、忘れたふりをしているのかは、わからないが」

 目を開いたところも見ていなければ声も聞いていない。しかし、肌や髪の質感、背格好から判断はできる。

「魔物が化けたわけじゃないよなぁ」

「どちらがどちらに?」

「だよな」

 あるいは、双子か。

「魔法技術をもっているのなら、体をスピリットに預けて本物の魂だけで移動することは可能だと思うわ」

「姫! 意識が戻って……」

「その呼び方、いい加減にやめないと石橋の下へ落として差し上げてよ」

「……無事でよかったです、ファティア」

 ゆっくりと身を起こしたファティアは、頭痛に顔をしかめてからエリツィオを睨んだ。

「スピリットを制御する魔法技術者としては、毒と薬がないまぜになった環境だけれど、力が完全に枯渇することが無いのは救いね」

 自分の技量以上を扱おうとすれば、術者に跳ね返る。そこを留意する必要がある。

「壊体屋、あなたケガは?」

「血なら止まってる。掠り傷だ」

「は!? だってお前、あれ、パックリいってただろ……!」

 左手を挙げてみせ、クリストファルトは包帯を外す。

 生々しい傷跡はあるものの、傷口はふさがっていた。

「……嘘だろ」

「そういう体質なんだ。それより俺は、アンタがこの空気の中でケロっとしてるほうが驚きだよ」

「こういう体質なんだよ」

 スピリットの影響を受けない。

 それを現在進行形で示しているエリツィオもまた、不機嫌に顔をそむけた。

「スピリットそのものの攻撃でダメージは受けないが、魔法へ転換されると有効なんだな」

「そうみたい。いざという時、壊体屋の虚を突けないかと思って同行を許したわ」

「!? そんな理由!!?」

「浅はかだな。俺が、こいつのために動くとでも?」

「酷いね!!?」

 2人の応酬に振り回され、エリツィオは最後に肩を落とした。

「……話を戻そう。古城にひとがいるとは思わなかったな。人間かどうかも怪しいが」

「魔物だとしても、厄介だと思うわ」

「あの鎧には、剣が通じない」

「え!?」

 情報を纏める中、意外な言葉にエリツィオの声が裏返った。

「触れる前に弾かれた。そういう術もあるのか?」

「彼女は魔法術者ではないのよね? だとしたら、アレンジードという男によるものでしょう。高い技術と材料が必要よ」

 材料――スピリットに関していえば、ここほど潤沢な場所も無い。

「30過ぎくらいに見えたが、あれも年食ってるのかな」

「『も』?」

「あー、いや。こっちの話」

 ファティアが小首を傾げ、エリツィオが目を逸らす。

「気づいてたか。そうだ、俺も外見通りの年齢じゃない。60過ぎたところで面倒で数えるのはやめた」

「ろくじゅう」

 男女2人の声が重なる。

「この剣の使役者となる時、魂を喰われた。器の身体は、そこで時間が止まった。不老だが不死ってわけじゃない。アッチも同じだと良いが」

 まあ、死ににくくはあるんだが。

「……『破壊の剣』ね。そこまでする理由は、わたくしにはわからないけれど」

 そこで言葉を切り、ファティアは間を置く。

「あなたを憎む気持ちは本当よ。適うなら、今すぐここで息の根を止めたい」

 祖国を壊された者として、復讐を。

「でも、それより……わたくしは国を取り戻したいの」

「二度も奇襲して、よく言う」

「可能性がないと考えていたから。けれど、あの男を見て……もしかしたら、と思ったわ」

「ファティアといったな。アンタは、国の記憶はどこまで?」

 エリツィオが特別だとばかり思っていたが、彼に『姫』と呼ばれた女もまた、記憶が残っており更には魔法技術を操る。

「……あまり。彼の話を聞いても、絵物語のようだった。それでも幾つかは、はっきりとしているの」

 国の名すら覚えていない。

 しかし、大切な従妹がいたことは確か。

 月の美しい夜に『壊体屋』を名乗る銀髪の少年が訪れたことも。

「解体された国内の生命全てが壊された……わけではない、という感覚があるの。存在を消され、記憶を消され……自覚を失って過去のないまま現在を生きているのだわ」

「それらを取り戻させて、国を再興しようってのか」

「人々が、望むなら。選択肢を与えられないまま全てを失う理不尽を覆すことができるのなら、わたくしはそれを為したいと思います」

 仇討ちより、この地で力を蓄え、知識をつけ、喪われたものを取り戻したい。

「きっと、あなたが探す『姫』も生きていると思うわ、エリツィオ」

「だから、それは……」

「そういうのは後でやってくれ。少なくとも古城攻略までは共同戦線で良いんだな」

「そのつもりで僕は君を旅へ誘ってたんだけどね。確認したいのはこっちの方だ」

 ブルネットの髪をかきむしり、エリツィオは深々と嘆息した。




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