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第1章 壊体屋の少年

 帝国暦757年、春の始まり。

 獣が左を向いて咆哮しているような地形をした大陸の、東に連なる山脈の向こうを知る者は少ない。

 かつて勇気ある者が船でもって海を渡り、持ち帰ったのが錬金術なのだという。

 石ころから黄金を生み出すことは未だ叶わないが、付随して編み出される様々な技術は、この世界に確かな発展を与えた。




 草原を渡る風に、鉄の匂いが混じる。

 長身の青年・エリツィオ=トルファーダは、外套のフードを脱ぎブルネットの髪をかき上げて、匂いの先を捜した。

 今日の目的地である街はすぐそこで、街で何かが起きているのか、あるいはその手前か――

「お兄さん、旅の人かい」

「ああ、うん。まあね」

 恰幅のいい商人が、荷馬車を止めてエリツィオへ呼びかけた。優男然としたエリツィオの風貌に、声をかけやすいと感じたらしい。

「あの街へ入るなら、急いだ方が良い。陽が落ちると悪い狼が出る」

「ふむ」

「ゴロツキどもが賞金首に仕立てるほどの獣だよ。恐ろしい、恐ろしい。ここ2週間、血の匂いが絶えたためしがない」

「街の傭兵団は何をしているのさ?」

「そんなの、まっさきに喰われたよ。市民もなりふり構っちゃいられない、酒場のゴロツキ共へ依頼をしたが……結局はお手上げだ」

「ふむ」 

「ワシは頼んでいた品が届いたから、街を離れるが……お兄さん、悪いことは言わないよ。できるかぎり早く逃げた方が良い」

「ご忠告、どーも」

 そうして街道をゆく荷馬車の車輪の音が、遠のいてゆく。

「賞金首……ね」

 路銀が尽きかけてきたところに、それは実に良い話だとエリツィオは口の端を上げた。




 大陸の西の果ては確認されているが、東はどこまで続いているのかわからない。

 険しい山脈により切り離されたとも思える地域には、8の公国から成る北の帝国と絶対的な支配力を持つ中央の王国を中心として権力争いや同盟関係が結ばれていた。

 ここは東部地域、15の都市国家が同盟関係を結び2つの大国の脅威へ備えている。

 300年も前から街を守っているのだという城壁。城門の両脇には門番が2人いて、エリツィオは慣れた手つきで通行許可証を示す。

 門をくぐると、商業都市国家の名にふさわしい煌びやかな世界が広がっていた。

「ワオ! テンション上がるね。と、はしゃいでる場合でもないんだが」

 人工池と緑に彩られたアプローチ。

 白い石畳の向こうには、赤煉瓦屋根の建物が幾つも見える。

 小さな丘に建つのは教会だろう。

 山が近く、この辺りは春が遅い。ところどころに雪の残りも見られるが、屋内へ入れば大した問題ではない。

 早いところ今夜の宿を決めてベッドへ飛び込みたいが、エリツィオにはそれより先に向かうべき場所があった。


 商業の街は、他国家から傭兵を借り入れている。

 彼らが壊滅したとあっては、恐らく傭兵国家より強力な一団が派遣されるのも時間の問題だろう。

 ならば彼らより先に『悪い狼』を倒して賞金を頂きたい。

「狼退治は、ここが受付けかい」

 エリツィオが酒場へ顔を出せば、店主と客数名すべての眼がこちらへ向けられた。

「街の外で、商人から話を聞いた。次の傭兵団が到着するのも待てないくらい、困っているんだろう?」

「……あんたは?」

「旅の傭兵だ。得物はナイフだが、一通りなんでも使えるぜ。狼に有効な手立てがあるのならなんでもね」

 狼。

 その一言で、更にどよめきが走る。

「やれやれ、口の軽い商人は信用されないんだ。しかたがないね。兄さん、神官の手配はサービスしてやる」

「それはどーも」

 狼とはもちろん比喩で、なんでも面倒なならず者が郊外に居座っているらしい。

「からかい混じりに街のゴロツキが手を出したんだが、翌朝、体中の骨という骨が砕かれた状態で発見されたのさ」

「……骨が?」

 狼と比喩されるのだから、鋭い牙で切り裂かれたのだとばかり。

「街の騒ぎに気づいたならず者は、どんな道具を使ったものだか城壁を飛び越えて街から出て行った。しかし近隣に寝泊まりしているらしくてね。その数日後、夜間巡回中の傭兵が戻って来ず……」

「全身の骨が砕かれていた、と」

 エリツィオが続けると、店主は重々しく頷いた。

 昼間に外へ出ても、棲み処らしきものは見当たらない。

 しかし夜になれば、外へ出た者は決して帰ってこない。

「それは、女子供でも?」

「まさか! 女子供を、そんな危険に晒せるかい!」

「なるほど、たしかに」

 最初の事件以降、狼退治を目的とした者しか街の外には出ていない、と。

「街の中に居れば安全だと思いたいが、奴は城壁を乗り越えた事実がある。いつまでも手をこまねいているわけにはいかんのだよ」

「承知。『首』を持ち帰ればいいのかい?」

「『首』と『爪』だ。揃っていなければ賞金はおりないよ」

「……ふむ」

 確実に仕留めた証と、武器の両方を。

 さぞかし恐ろしい狼なのだろう。



   ◆



 うっすらとした雲が、月を覆う。

 風のない夜だった。

 血の匂いは狼が現れて以降、街へ染みついてしまったものらしい。気の毒なことだ。

 狼から街の中へ襲いに来ることはないらしいが、かといって周辺から離れる様子もない。

 この状況が続けば、物流にも影響が出る。商業都市には、これ以上のない痛手だ。

「襲われた奴らは誰も意識が戻らず、情報らしい情報も無い、と」

 エリツィオは外套の下から2本のナイフを抜き放ち、両手に構える。

 少ない情報から読み取れる確実なものは『爪』とは鈍器の類であろうこと。

 骨を砕くとは、そういうことだろう。巨大な手のひらで体ごと握りつぶすような人外だとしたら狼だなんて比喩はしない。

 ならば対するのは、剣や槍といった長物や弓などの飛び道具より、小回りの利くナイフが適している。

 懐へ入ってしまえば、むこうも『爪』を振るえないはず。

 ――遠く、狼の咆哮が聞こえた。

 否、ひとの悲鳴だ。

「僕以外に賞金稼ぎがいたのか!」

 舌打ち1つ、エリツィオが声の方角へ走る。

 血の匂いが濃くなる。

「や、やめてくれ……それ以上は……!!」

 怯え切った、情けない男の声。男の足元には数名の人影が倒れ込んでおり、口から血を流している者もいるようだ。


「助けてやったら、賞金に謝礼を上乗せしてくれるかい」


 風が吹く、月を覆う雲を払う。

 銀のナイフに月の光が反射した。

「……!!」

「狼さん、狼さん。あんたに縁も恨みもないが、僕は今、お金もなくってね。悪いが退治されてくれたまえ」

 風が吹いたと思ったのは錯覚だった。

 正確に言えば『爪』が風を切った。

 その余波が天上の雲まで動かした。

「これは無理!!!」

 受け止めることも受け流すことも無理。

 ナイフの煌めきで『爪』を目の当たりにしたエリツィオは咄嗟に左へ身を躱し、足を砕かれていた男の無残な悲鳴が再び響いた。


「……殺したのか?」

「死んではいないはずだ」

 返ってきた声は、予想よりずっとぐっと若かった。否、幼かった。

(見たとこ15、6あたりか……? こんなガキが、どうして)

 16歳になれば成人と見做される。ガキ、という程ではないにせよ……24歳のエリツィオにすれば充分に子供だ。

「騒がれると厄介なんだ。だから潰した。ひとは強い、骨を砕かれたくらいでは死なない」

「よく言うよ」

 何事にも程度ってものがあるでしょう。

 青年が言えば、少年は鼻で笑った。月明かりの下、彼の銀髪が柔らかに揺れる。

 ゴーグルは額へ上げており、前髪の合間から人好きのする大きな瞳が覗く。

「毎晩、こんなことをしてるのかい」

「正当防衛、という法律は都市同盟には適用されないんだっけ」

 襲われるから仕方がなかった。そう少年は答える。

「過剰防衛だと思うがね。下手すりゃ、二度と剣を握れない奴もいるだろう。傭兵だったら生きていけない」

「代わりに俺が死んでやる義理はない。……それで死ねるなら、いくらでも死ぬけどね」

 黒のレザーアーマーで覆われた右手には、予想通りのゴツイ『爪』が握られていた。

 革製の鞘に収まったままの大剣。これで叩き潰していたわけか。

「俺の攻撃を避けるとは、アンタ面白いね。ひとを傷つける趣味はない、街へ帰りな」

「そうは行かない。金がないと、旅を続けられないんだ」

「他の形で稼ぎな。俺は首も剣もくれてやるつもりはない」

「でも、狼を狩るのが手っ取り早いのさ。金もないが時間もない」

「……ワガママだな」

 風が吹く。血の匂いが動く。

「僕はエリツィオ=トルファーダ。南の生まれだ。冥土の土産に、君の名前を聞かせてくれないか」

「……」

 ――南の

 エリツィオにとって、他意のない……しかし、思いの強い言葉だった。

 それに対してなのか、少年の表情が微かに曇る。

「クリストファルト。姓はない。ただ、こう呼ぶ人間もいる――『壊体屋』ってさ」

「!!」



 壊体屋。

 理屈を超えた力でもって全てを『破壊する者』の通称。

 それは建造物に限らず、たとえば国の1つでも――……



「おまえ、が……『壊体屋』……」

「知ってるのか」

 クリストファルトは、大剣を握る手に力を込めた。

「10年前、砂漠の国に何をした」

「何をしたかな。砂漠の国って、どこのことだ。現代地図に砂漠地帯はあるが、国家など存在してないはずだけど」

「そうだ。おまえが壊したからだ。滅びた国に関する記憶は、砂のように世界のすべてから零れ落ちて消えていった」

 エリツィオもまた、ナイフを構え直す。ダークブルーの瞳には、はっきりとした殺意が浮かんでいる。

「……なぜ、アンタは忘れないんだ?」

「知らない。僕が『スピリット』の干渉を受けない体のせいだと考えているが……」

「干渉を、受けない?」

「だから祖国を追い出された。その時に事件を知ったのさ」

「にわかには信じられないな。生きとし生けるものは、スピリットを纏いスピリットの干渉を受けている。それが世界だ」

「僕だって信じたくなかったね」

「なら、試そうか」

「うん?」

 押し殺した声の応酬の最後は、突拍子のない提案だった。

 クリストファルトが、大剣を鞘から抜き放つ。

 ギラリとした金属の塊がむき出しになる。

「アンタが嘘つきだったら、自業自得で納得しろよ」

「え?」

 左手が刀身をなぞると、紋様を描くようにライトグリーンの光りが浮かび上がった。

(古代文字……? いや……)

 かつてエリツィオも学んだが、専門家ではない。何を意味するモノかは特定できない。

「安心しろ、痛くはない」

「絶対ウソだろぉおお!!」

 グン、と少年が地表を蹴り、間合いを詰める。

 水平に薙いだ刀身を、寸でのところでエリツィオは後方へ飛んで回避する。強い風圧で、着地が崩れる。

「避けると逆に辛いぞ」

 満ちた月を背景に、銀髪の少年が言う。体勢を整えながら、青年は月を仰いだ。

「まるで人殺しのセリフだね」

「死にはしない、アンタの言葉が本当なら」

 身の丈一杯に振りかぶった大剣は、予想をはるかに超える速度で下ろされた。

(どういう筋力してんだよ……!)

 無駄な抵抗と知りながら、エリツィオはナイフを交差させ受け止めようとする。砕かれた。当然だ。

 両腕に痺れが走り、ああ、これで終いなのかと目をつぶり――

「わお」

 少年が、口笛を吹いた。



   ◆



「狼は人外だったようだね」

 翌早朝。

 酒場が店じまいする直前に、エリツィオが姿を見せた。

 板張りの床へ放り出されたのは、麻袋に詰められた灰と、大槌。

「首を斬り落としたが、途端に灰となった。東の森の魔物が、こんな街まで来るとは思えないが……可能性はゼロじゃない」

 そりゃあもう、恐ろしい巨人だった。人間の倍もある体に、ギョロリとした眼球は1つだけ。

 呆然とする店主へ、エリツィオが語り始める。

「1ツ目の死角をくぐって懐へ入り込み、まずは脚を一刺し。機動力を削いで、暴れまわる腕を下から斬りつけ、筋を断つ。あとは簡単だったよ」

 無茶をして愛用のナイフは壊れてしまったと、へし折れた得物も見せた。

「ま、まさか……その細腕で、そんな……」

「首は用意できなかったが『爪』はこの通り。遭遇者は全員、意識を失っているから確認しようがないけどね」

 賞金、もらえるかな?

 エリツィオは、にこりと笑った。



 酒場を出ると、彼を待っていたクリストファルトが眠い目をこすりながら顔を上げる。

「話はついたか?」

「1週間。何事も無ければ賞金を支払うだとさ。その間の滞在費だけ前払いで受け取った」

「アンタ詐欺師の方が稼げるんじゃない?」

「言うな、気にしてるんだ。……それより、あの話は本当なのか」

「俺にしちゃ、アンタの方がよほど疑わしいけど」

「僕は実証しただろう」

 抜き身の大剣で、エリツィオは両断されたはずだった。

 しかし――

 『スピリット』で構成されているという刃は、エリツィオの身体をすり抜けた。

「『スピリット』……死した魂、悪しき祈り、潰えぬ悲しみ、その他いろいろ。いわゆる『消えることのない思念の残骸』の総称で、ひとは生きるほどに雁字搦めになっていく」

 世に見えぬ形だが確かに存在し、生き物を取り巻いたり行き場を無くし漂ったりしていると、広く考えられている。

 それを言うなら『スピリットで構成されている剣』というのも、信じがたいものであるが。

「一度の使用で、かなり消耗するんだ。充電するために、古い土地や人の多い街を巡る必要がある」

「それで、ここに滞在してたのか」

「エネルギーが貯まるまでは、ただの鈍器だからね」

 それにしたって全身の骨を粉砕するのは、やはり過剰防衛だと思う。

「エネルギーを貯めてから、『東の古城』を解体するつもりだったのかい」

「壊す為にエネルギーを費やし、壊すことでエネルギーを得る。不思議な循環だ」

 会話するうちに、遠くで朝陽が昇り始める。

 薄紫を背景に、少年の白い横顔はやはり幼かったし、大剣は鉄の塊にしか見えない。

「僕も古城へ行くつもりだった。祖国のことは……まあ、追々。忘れるつもりも忘れさせるつもりもないが」

 目的地へ、着くまでは。

 当座の目的を、果たすまでは。

「同行しないか。1週間後、僕には大金が手に入る。何かと便利だと思うよ」

「腹の底から変わってるな」

 少年は苦く笑う。どこかぎこちない、不器用な笑み。

「しばしよろしく、リート」

「リート?」

「君の名は長くて呼びにくいし、二つ名で呼ぶわけにもいかないだろう。僕のこともエルで良い」

「長らく生きてきたが、ここまで気やすい奴は初めてだ。ま、金の切れ目が縁の切れ目ってことで、よろしく」

 差し出された右手を、クリストファルトは握り返した。

 何やら引っかかる発言だった気がするが、エリツィオは軽く流すことにした。

 如何せん『壊体屋』にまつわる噂は多すぎて、全ての真偽を確かめようなんて簡単にはできないからだ。




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