北陸管領
京の街並みは初めて目にしたその時からは大きく変わっていた。築地は焼け落ちて崩れ、公家の屋敷すら塀が崩れ落ちていた。
諸国より流民が集い、それをまかなう食料はなく加茂川は死人で埋まる。周辺国の戦乱に端を発する飢饉は悲惨と言うのがまだ控えめな状態で、地獄はここにあると思わせるほどの有様であった。
「なんとかここまでこぎつけたでや」
馬上で街並みを見ながら殿が穏やかな表情を見せる。
永楽銭の旌旗を見るや、人々が集い歓呼の声をもって迎える。
「織田様じゃ!」
「おお、我らを救ってくださったのはあの方かや!」
「今は羽柴と名乗っておられるが、木下様の施餓鬼によって我らは命をつないだのじゃ」
京の民は困窮し切っていた。次々と支配者が変わり、権力争いにうつつを抜かして民を顧みない。
そんな時世に私財を投じてまず皇居の修理を行い、さらに施餓鬼を行った。そのことによって織田の名声は高まり、畿内の統治を円滑に進めさせることとなった。
主上の覚えもめでたく、幾度となく女房奉書が下された。さらに傾くどころか倒れかけていた幕府の再興を果たし、畿内に一定の秩序をもたらした。
いつもは妙覚寺に宿泊するのであるが、此度は武衛陣に入られた。
「おう、弾正忠よ。壮健であるかや」
「ははっ、武衛様におかれましては洛中と御所様の守護の任、まことにご苦労様にございまする」
「硬い挨拶は良いでなん。かねてより言上しておった話だがのん、主上よりお許しが出たのでや」
「はっ、聞き及んでおりまする」
「うむ、これで儂の肩の荷が下りようと言うものでや」
「はっ」
武衛様と親し気に話をされる殿は意味ありげな目線を儂に向けてくる。
「おう、権六よ。北陸での武功話を今宵は武衛陣の者どもに聞かせてくりょう」
「はっ、儂が武功と言うべきものはさしたるものにございませぬが、殿の御威光によって武者どもが相働きし次第にございますでなん」
「要らぬ謙遜をいたすでない。そなた以外にあれほどの武者を従え、勝つことは難しきことでや。東海一の武辺者は今や天下に武辺を示したこと、まことによきことであるがや」
あまりに過ぎた言葉を賜り、身のすくむ思いであったが、殿が大笑いしながら儂の肩をバシッと叩いた。
「うむ、権六ほどの武者が当家の家臣であったることは、まさに天命とでも申すものだでなん。少なくとも我は貴様の働きに満足しとるだわ。まさに武家の面目たるものであるとのん」
「ははっ、ありがたきお言葉にて」
翌朝、二条の御所に出仕を命じられた。武衛様を先頭に、我らも付き従う。武衛様は、有能な家臣を信じ、功を上げさせた名君として名を上げていた。
「儂は運が良かっただけのことでや。弾正忠に権六が居ったように、よき家臣に恵まれた。それだけのことでなん」
そして御所に着くと、そこには武家伝奏を勤める飛鳥井卿が来られていた。
上座に座られると、おもむろに口を開く。
「先だって御所を通じ織田尾張守より上がった上奏について、諮った結果を伝えるでおじゃる」
「はっ」
場を代表し御所様が応える。
「斯波武衛家と、織田弾正忠家を幕府の副将軍とする。この時をもって、斯波と織田は同格の家格となす」
何やらとんでもないことが言い出された。
「新たに管領家として、柴田、丹羽、佐久間、明智、滝川、羽柴の家を任ずる。管領代の職は副将軍家に任命を一任す」
思わず悲鳴が出そうになった。
「斯波家はこれより朝廷とのつなぎ役として、武家伝奏も兼任せよ。麿と共にな」
「ははっ」
「織田弾正忠は官位を上げる。さすがに弾正忠では位階が低すぎるでな。弾正尹となれ」
「はっ!」
「悪しきを取り締まり、世に平安をもたらすが弾正台の役目である。お主には期待しておるぞよ」
「はっ、微力を尽くします」
将軍家を頂点とした構造が出来上がり、その大部分を織田家が担うこととなった。服属している大名を従えるのに、管領と言う役職が必要であったとのことであろう。
斯波家はすでに独自の武力を持たない。織田家がそれを代行していたのである。実質的な下克上に等しい沙汰であった。
それでも御所様も武衛様も表情は晴々としており、不満を持たれているような様子はない。
「さて、ご苦労であったのん」
「はっ、ちと聞いていたよりも話が大きくなっておりましたが」
「うむ、悪い話ではないでや」
「それはおっしゃる通りにございまするがのん」
「さて、権六の役目だがの、このまま能登、越中と斬り従えよ」
「はっ。加賀にて利家が現地の情勢を探っておりまする」
「うむ、畠山、神保には働き次第で元の地位に戻すと伝えよ。手柄を立てられなば、わかっておるな?」
「承知仕っただわ」
「先に貴様に申し伝える。まず佐久間は摂津、河内、和泉、大和を預ける。山城、丹波は明智に、丹後、若狭は丹羽に任す」
「はっ」
「東海は滝川じゃ。そのまま関東まで軍を進めさせる」
「適任かと」
「そしてこれは試金石であるがのん、播磨に秀吉を入れる」
「ほう」
「山陰よりは明智、丹羽が兵を進める。先日より、播磨の小寺がよしみを通じてきた。それに応じるかたちで羽柴の手勢を入れる」
「しかし秀吉の手勢は良いところ三千では?」
「現地の国人どもを糾合してなんとか八千ほどかのん」
「故に試金石でありますなん、秀吉は土地を切り取るという武功を重ねてはおりませぬゆえ」
「うむ。あやつのもとには武辺者が多くおるでなん。なんとかなろうず」
ニッと笑みを浮かべる殿はいたずらを成功させた子供のような表情が見えた。
「おう、そういえばですがのん」
秀吉より伝言を頼まれていたことを思い出し、城の名前のことについて伝えると、殿は機嫌よく笑って、普段はあまり口にせぬ酒を飲まれた。
そして、機嫌よく酔っぱらって脱ぎ始めるのをとどめるため帯にて縛り上げたところ、小姓どもの目線がやたら冷たかった。
「どええええええええええええええええええ!?」
翌月、長浜の城の居館にて、任務を伝える使者の口上を聞いた秀吉の悲鳴が響き渡ったという。




