安土の城
加賀一向一揆の征伐を果たしたとの報は畿内を揺るがした。
降伏した門徒宗は石山に移送される際に、次々と降って数を減らす有様を、織田家が整備した主要街道で人々が目の当たりにしたのである。
「織田に降った者どもには破門を言い渡す! 直ちに天罰が下るであろう!」
高らかに宣言したが、元門徒の者で普請場でけがをした者はいたが、死んだ者は出ていない。
「そもそも御仏の慈悲は広大無辺というが、坊主に逆らったらその慈悲を受けられないようにするというのはおかしくないかのん?」
「その理屈で言えば、御仏よりも坊主がえらくなってしまいますなん」
「うむ、そも坊主とは御仏に仕え、その教えを衆生に伝えるが役目であろうが」
石山のいくさを確認に来た殿と佐久間半介の会話は面白おかしく流布され、うわさを聞いた主上が殿を召し出され、ついには御簾の向こうで大笑いをしたと聞く。
御所様も同席されており、朝廷と幕府が今の寺社のありようについて疑問を呈されていることが広く世間に伝わることとなった。
加賀の最前線は殿の命によって尾山御坊に前田利家を入れることとなった。加賀半国を所領として与えられ、ついに大名として列した。
大聖寺はそのまま梁田広政が治め、松任の城には佐久間盛政を置いた。
「親父殿、儂がここまで来れたは親父殿の薫陶あってこそだでなん。加賀は儂が抑える故、親父殿はご凱陣して、安土の大殿にご報告にあがるべし」
「儂も我が事のようにうれしきことだでなん。このままの勢いで能登と越中も斬り従えたいものだわ」
「うむ、されどまだ加賀の地は荒れておるゆえなん。そこを越前のごとく復興させ、人心の安定を図らねばならずでや」
「おお、おお、槍を持って敵中に切り込むしか知らなんだわっぱが、一丁前のことを申すようになったでや」
「若気の至りと言うものでなん。そういう親父殿も単騎で敵の伏勢に切り込んだりしておるではないか」
「あれはまだ儂も若かったゆえになん」
「同じことにてあらあず」
これよりいつもそばに付き従っていた利家が離れた地で過ごすことになったことには寂しさもあるが、息子とも思って遇してきた若者の出世は喜ばしいことである。
北庄に戻ると、小姓、馬廻りを率いて安土へと向かった。
「儂も一度安土の城を見たきものであったがのん」
「うむ、儂が戻らば義兄上も見え来るがよからあず。勝政の仕込みもよき故、義兄上の代わりもそろそろ務まろう程に」
「ふん、あのような小童に儂の代わりが務まるものかのん」
「義兄上の子であれば必ずや」
隠居した久六は禄を辞し、その所領は長男である盛政が継いだ。利家に代わり儂の側仕えを勤めることとなった。
兄である盛政にも匹敵する武辺を備えつつも、利家より武辺のみに頼るな、思慮もなくば良き大将にはなれぬと繰り返し言い含められてきたので、視野が広く采を任せても不安がない。
「ふ、ふん、安土の土産話を楽しみにしておるでなん」
「うむ。楽しみにするがよからあず」
北国往還を下り、木の芽峠を抜けて近江に入る。このあたりの山道は険しく、秀吉の配下が街道の整備を毎日のように行っていた。
今浜に入り、城に向かうと秀吉が普段と変わらぬ笑顔で迎えてくれていた。
「権六様、ご壮健そうで何よりにございますでや」
「藤吉郎……いや、秀吉よ。おのしと儂はすでに同輩でや。役職も守護代である。まして殿のおひざ元に所領を持つ股肱の一人ではないかや」
「世間的にはそうでありまするが、儂は権六様に引き立てていただいたと思うておりまするでや。故に、官位をいただこうとも城主となろうとも、あなた様の前ではただの藤吉郎にございまする」
「いささか大げさでなん。儂が推挙したとて今のおのしがこのようにあるはおのしの手柄次第であろうがのん」
「殿のお役に立つことにかけて、藤吉郎の右に出るものは……おらぬとは言いませぬがすくのうございますな」
「よう言いよるでなん。しかし間違ってもおらぬのん」
その晩は今浜の城で藤吉郎のもてなしを受けた。
「この今浜の地ですが、名前を変えようかと」
「ほう?」
「長く栄える浜として、長浜にしようと思うておりますでや」
「殿のお名前を拝領したか」
「まだお許しをもろうておらぬで、よろしければ権六殿より言上願えませぬかのん?」
「よからあず。殿もお喜びなさるであろうがのん」
翌日、安土に着くと供回りの数名を引き連れ、登城した。大手の道はまっすぐに伸び、広い階段が目の前で天に向かうかのようであった。
山頂ではきらびやかな城館が建っている。その豪華絢爛なさまは織田の天下を示しているようであった。
「おう、権六よ。加賀征伐、誠に殊勝なる働きであったのん」
「はっ、殿のご意向により速やかなる平定ができましたでや」
「くくっ、謙遜は良い。あとで柴田の屋敷を案内させるでなん」
「はっ、ありがたきお言葉にございまする」
「これは此度が褒賞の目録じゃ。屋敷に運ばせるでなん。それと明日上洛する故、供をせい」
「ははっ!」
「この建物はのん。天守と言うそうじゃ。松永弾正が多聞山にておもしろき城を築いておったでなん」
「天の主、にございまするか?」
「さすがにそれは不遜ゆえに天を守ると書いておるがなん。天下を守る志にふさわしき城ではないかや?」
「素晴らしきお考えと思いますでや」
「貴様がそう申してくれるは重畳にてあらあず」
安土の城の北側は船着き場となっており、琵琶湖を封鎖せねばこの城を攻めることは能わぬ。
観音寺の城と同じように、守りを固めると言った城ではなく、権威を見せつけるためのものであろう。
陸と水運を組み合わせた交通の要衝であり、織田の支配領域の中心に位置する。
さらに京にも近いゆえに、主上の守りも万全であった。
殿の御座船は滑るように琵琶湖へ漕ぎだした。数刻で大津の湊について、そこからは逢坂の関を越えて都に入る。
数年前の荒れ果てた面影はなく、天下の都のふさわしき威容を整えた街並みを見下ろすことができた。