木の芽峠
泥沼のような長島での戦いは膠着状態に陥っていた。一揆勢は狭隘な長島の地形によって戦い、逆におびき出されれば包囲の憂き目にあっておびただしい討ち死にを出す。
しかしそれは織田勢にとっても同じで、狭い場所に誘い込まれれば退路を断たれて大きな損害を出す。
短兵急に攻め込むのは不利と判断した殿は、水軍の準備を始めた。街道の封鎖も網の目のように張り巡らされた水路があって効果が薄い。よって海上からも包囲を行えるよう、佐治水軍や九鬼水軍を繰り出そうとしていた。
多くの一揆衆は食うや食わずの有様でも念仏を唱えて耐え抜く。そもそも生き抜こうとしていない者ども相手にどうやって勝つのか。
武家のいくさであれば相手が滅びるまで戦うことはあまりない。よほど深い因縁があるとかでなければ、家を残すという点で妥協が成立するからだ。
しかしあの者どもはそもそも残すべき家はない。田畑も焼き払われ、帰るべき土地も失われた。
極楽往生しか道はないと思い極めてそこにいる。
「あわれなる奴ばらでや。坊主どもに騙され、生きる楽しみもなく死人となっておるがや」
「殿は彼らを憐みの目で見ておられまするが、さればこそその望みを果たしてやるべきでございましょう。あやつらは生きる限り信仰にとらわれ、現世に目を向けることはなかろうかと思いますがのん」
「……であるか。されば我もいかなる悪名を被ろうとも我が意地を通すのみだわ」
その時の殿の目には何やら昏い影が宿っていた。
儂は無言で一礼すると前線に戻ろうとする。
「権六、あそこまで凝り固まったるものは、もはや一筋縄ではいかぬ。故に一度すべてをまっさらにせねばならんでや」
「されば、儂は地獄に落ちるべき所業を成そうとものちにこの地に極楽浄土ともいうべき暮らしが参るならば悔いはありませぬでなん」
「うむ。何、貴様一人が罪を被ることはない。我が我の思うがところにあってあ奴らを根切りにする。変に言い繕うても仕方ない故のん」
数日後、明智十兵衛の策で誘い出された一揆勢は、平地での合戦におよび千を超える死者を出した。その被害を恐れてか、坊主どもは砦に引きこもり、出撃をしてこなくなる。
「門徒どもには死ねと命じおきながらも、自らが死ぬのは怖いと見ゆるのん。亀のように閉じこもりくさっただわ」
「雑賀の鉄砲衆が夜陰に紛れて砦に入っておると聞き及んでおりますがのん」
「うむ、これ以上の増援を阻むに、水軍衆の用意を急がせておるだわ。して権六よ」
「はっ」
「五郎左より若狭を平定したとの報が入ったでや。ひと月の内に観音寺に戻れ」
「はっ」
「越前討ち入りは貴様に任す。思うが儘にやるがよからあず」
「かしこまってござるだわ。されば殿。一揆衆の死に狂いにはお気を付けなされ」
「……それほどか」
「素肌を晒して戦陣に立つは我ら武士になしうるところにはあらず。あれはすでに死人でござるだわ。されば、生き延びる望みもなく、褒美も要らぬ、伝えるべき家も土地もない。すなわち現世に未練の全くない者どもにござる」
「肝に銘じおくがや。あれを人と思うてはならぬとな」
「いかに飢えようと死力を振り絞ったるものは思いもかけぬことをしでかしまする」
「うむ。権六もなん」
「殿の天下を見るまではこの権六、身命を賭して働きますで」
「頼む」
「ははっ」
儂は兵をまとめると観音寺に戻り、近江一円に動員令を出した。一度京に入り御所様の前で馬揃えをすると、湖西を北上し若狭に入る。
「権六殿。壮健そうで何よりであらあず」
「五郎左も若狭平定、見事なる働きでや」
「うむ、越前討ち入りだがのん。江北の越前国境の土豪どもには気を付けられよ」
「背後を断たれなば袋のネズミとなるゆえのん」
「本来ならば儂も加わるべきであるが、此度は二の段として背後を守るだわ」
五郎左はニヤリと笑みを浮かべる。
「うむ、動きがあったならば儂はすぐに退く故、敵味方がわかれば後は簡単な話であるのん」
「浅井には怪しき所はなし。ただ、長政もいくさは強いが家臣の仕置きにはまだまだ甘いのん」
「若い故な。なに、まだまだ先行きのある話でや」
「うむ、されば手はず通りに」
儂は八千の兵を率いて敦賀郡へと入った。背後には丹羽勢三千が控えている。若狭攻略直後のため休養と振れ回ってあるがどこまで信じ込むかはわからなんだ。
「かかれ!」
柴田衆の精兵が手筒山の城に襲い掛かる。美濃衆与力の可児才蔵は搦手の湿地より一手を率いて攻め入った。その武辺は利家に迫るものがあり、朝倉自慢の力士衆を一息になぎ倒していく。
半日かからず手筒山より勝鬨が上がった。そしてその速攻に恐れをなした朝倉景恒は金ヶ崎城を取り巻くとすぐに明け渡すと使者を送ってくる。
早朝より包囲をはじめ、昼前には使者が来るという有様であった。
「よからあず、明日までに撤退されよ。追うことはせぬだわ」
儂の返答に使者は額をこすりつけんばかりに平伏する。
恐れをなしたに相違ないが、金ヶ崎の城は山のてっぺんにあり落とすには相応の時間がかかる。
それをあえて明け渡すとなれば……。
「おそらく木の芽峠に兵力を集中しておりましょうなん」
利家が目をぎらつかせながら告げる。久六が隠居したのち、こやつは儂の副将格になっていた。
敵と見れば切り込み、猪のごとく働いておったのが、いまでは戦況を見渡しいっぱしの部将となっておる。
「儂もそう思うでや。さればいかがする?」
「一気呵成に踏み破る……とならばこちらに相応の損害が出ましょうなん。ジワリと仕寄りをかけるべきかと」
「内蔵助」
「はっ」
「物見を出せ。おそらくは山沿いに柵をかけ、我らの進軍を阻もうとするに違いなし。されば、柵の途切れしところを見抜くでや」
「はっ、かしこまってございまする」
朝倉の手勢五千ほどが立てこもっているとの報告を聞き、金ヶ崎に抑えの一千を残して前進すると……柵の内には無数の人間と、筵旗が立ちならんでした。
山間にひしめき合う一揆衆からは、どよめくような読経の声が聞こえる。
「来るぞ! 槍衾!」
あまりの光景に我を忘れかけたが、とっさに命を下す。
山肌が崩れ、山津波のような勢いで人があふれだすように押し寄せてきた。
「鉄砲隊、構え!」
「撃て!」
一斉射撃で最前列の兵がバタバタと倒れるがそれを踏み越える勢いで押し寄せてくる。最前列では佐久間盛政をはじめその弟たちが声を涸らして兵を叱咤していた。
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