比叡山の荒法師
観音寺城が落ちた後も日野城の蒲生定秀は籠城の構えを解かなかった。伊勢方面より出撃していた滝川勢の内より、縁者の神戸具盛が交渉してようやく開城と相成った。
「その気骨、まことに天晴でや」
なかなか降らなかった蒲生には厳しき沙汰が下されると思われていたが、もともと律儀なる者として定評があったことと、降伏の後は即座に参陣したことなどもあって、殿は機嫌よく迎えた。
その際に人質として連れてこられた鶴千代は定秀の孫であったが、利発な振る舞いに殿はその場で小姓衆に加えた。
「蒲生が子息目付常ならず、只者にあらずでなん。我婿にしようず」
ガシガシと頭を撫でつつ放った一言に、周囲の家臣は驚きを隠せなかった。
「はい、お殿様の名を辱めぬよう励みまする!」
物怖じすることなく平然と返答したことに、殿はさらに相好を崩していた。
観音寺よりそのまま西へ進み、大津へ差し掛かるころ、比叡山の僧兵が三好の援軍として現れた。
神輿を前に押し立て、これに触れなば神罰がくだらんと言い放つ。
「偽御所をここで討ち取ってくれん!」
先だっての上洛の際に、こてんぱんにされたことで延暦寺の僧兵どもが復讐の気勢を上げていた。かつて白河法皇は、意のままにならぬものは賽の目、鴨川の水と荒法師と嘆いたという。
何かあれば強訴と称して神輿を担いで洛中に押し入り、時には皇居にまで押し寄せて騒ぎ立てた。その騒ぎに歴代の帝が彼らに折れてきた結果がこの有様である。
殿は陣前に立って言い返した。
「ほう、やれるものならばやって見せよ。そも百年ほど前に足利義教公が派手に叡山を焼き払っておるがや。その時に叡山は大きく衰微するも朝廷、ましてや帝は滅んでおらぬではないかや」
殿は根拠のない話を嫌う。それこそ占いや方角を気にして、今日は日が悪いので攻め込むのはやめようなどと言った家臣の言葉を無視したうえで、悪いとされる方角より攻め入って勝利をおさめたことがある。
「勝ちも八卦、負けるも八卦なれば、どちらともいえるではねあーか。されば天運なるものは人事を尽くしてのちに託すものだで。最初から占い任せでは人の出る幕はなし。さればいくさなどせずにすごろくでもして勝負すればよからあず」
常道の逆を行くこともまた兵法なりと言うが、殿の大器は年若き頃より健在であったということである。
いささか極端に走るきらいはあるが、殿の言いようは物事の本質を突いている。
唖然とする坊主どもにさらに言葉を重ねる。
「我はいくさに負けなば命を落とすこともあると思い、命がけにて戦っておるでや。大将と言えどもそこは兵と変わりなし。単騎で敵に討ち行って無傷に帰ることもあらば、後方に居って流れ矢に当たって死ぬこともあらあず。すべては天運によるものであったるが、それこそ賽を振らねば目は見えぬ。その賽の目をあらかじめ知ろうとしても無駄なることであらずか」
このあたりで、暴発するかもしれぬと殿の隣に並び、槍を持って坊主どもを睨み据える。背後には殿の馬廻りと、儂の手勢が控えていた。
「されば神仏に祈ろうとも死すべき時には死ぬ。死すべき時にあらざれば生きよう。人として生まれなば死のうは一定にてあらあず。たかが五十年の人間ならば自らの定めた道をひたすらに駆け抜けるが定めなりと思わぬかや」
天罰を下すなどと世迷言を抜かす坊主どもに殿は一息に言葉を浴びせかけた。
神仏を恐れぬ所業なりと坊主頭から頭巾を突き破って湯気でも吹きそうな顔をしておる。「そこで喚くならば今すぐにでも天罰を下すべく経でも唱えたらよいと思うがのん」
ぽかんとした顔で殿が儂を見るや否や、大笑いを始めた。
「我よりも手厳しき言葉でや。権六の言うことはいかにもその通りにあらあず」
どうやら思ったことが口から漏れ出ていたあたり、儂もあの生臭坊主どもにイラついていたようである。
「それは、天罰を下すにはどうしたらよいかというお話にございますか?」
「うむ、左様でや。権六、先ほど貴様はなんと申した?」
「はっ、天罰を下すには神仏に祈り、祈祷とか経でも唱えればよいと申しましたでなん」
「そうか、なむあみだぶつ。これで奴らに神罰は落ちるかのん? 見たところ空は雲一つなく晴れ渡っておる。これで雷の一つでも落ちれば恐れおののいて見せよう程にのう」
懐より数珠を取り出し、合掌して念仏を唱える。やや悪乗りが過ぎるきらいはあるが、ここで恐れるふうでも見せれば、上洛の軍そのものが足止めされてしまう。
故に儂も殿に相乗りして言葉を継ぐ。
「はてさて。あ奴らは仏にあらず。ただの坊主でありましょう。仏弟子が仏になるなどと言う話はトンと聞いたことはございませぬな。そもそも仏陀は衆生を苦しみから救うために貴き身分を捨て苦行に入ったと聞きまする。あ奴らのでっぷり太った腹はどう見ても苦行とは程遠いところにありますのん」
この言葉に背後の馬廻りたちからどっと笑い声が上がる。
「ぬうううう、世迷言を抜かすとはけしからん!」
先頭にいた僧兵が顔を真っ赤にして地団太を踏む。よく見ればいつぞや瀬田の橋より琵琶湖に叩き落とした坊主とみえた。
「おう、そこな坊主はいつぞや儂が水浴びをさせた者ではあらずか。風邪などひいてはおらなんだかや? すこやかに過ごせたのであらばそれは御仏のご加護と言うものであらあず」
あの時付き従っていた者どもからぶはっと吹き出す声が聞こえる。と言うか、いつの間にやら我らの背後にいた御所様が必死に吹き出すのをこらえていた。
「く、くくくくくく、ぶわははははははははは!」
無理だったようだ。天を仰いで空に向けて放たれた笑い声は周囲の者を巻き込んで広がっていく。
「ええい! 話にならぬ、されば我らが手で罰を下さん!」
僧兵どもが得物を振りかざしジリっと踏み出した。
「今宵の鬼丸は血に飢えておる、我が刀のサビとなりたいのは貴様かのん?」
真っ先に御所様が抜刀して陣前に出る。そもそも今宵と言いつつも今は真昼間なのだが。
「ちょうどよい! 偽御所を討ち取って主上の前で首実験してくれようぞ」
「ふん、仏法で殺生は禁じられておるのではないかのん」
「やかましい!」
神輿を押し立てて迫る僧兵どもに向け、矢が放たれた。
「だらっしゃああああああああああああああああ!!」
真っ先に突進すると、奴らのよりどころたる神輿に大上段から振りかぶった槍を叩きつける。
その勢いに担ぎ手の僧兵は泡を喰って逃げ出し、槍先が神輿の屋根を打ち砕いた。
「ふん、神罰を恐れるならば命がけで守らぬか!」
弱者たる町人らに威張り散らすしか能のない僧兵どもは織田の精兵にさんざんに打ち散らされた。
「あのような者どもを討っても手柄にはならぬ。だがあの無様なる有様は京にて噂になるであろうがのん」
叡山に向けて、一手が差し向けられ坂本の町を占拠した。そして本隊は津に洛中へと差し掛かる。
三好一党は洛中より退却し、京郊外にて陣を張っていた。
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