観音寺騒動
公開から日によっては30分ほどで誤字報告が上がることがあって大変驚き、誤字を見落とす作者のいろんなアレと、熱心に読み込んでくれている読者様に胸が熱くなります。
わずか一日で箕作山が落ちた。険峻な山城に六角の精兵が立てこもっていたはずで、陥落そのものは織り込んでいたのだろうが、まさか一日でと言うのは相手にとっても衝撃であっただろう。
ちなみに殿も予想外であったようで、一瞬ぽかんとした後大笑いし、「あっぱれ」と扇子を開いていた。裏表が逆だったのは誰も言わなかった。
「和田山の城を取り抱えよ!」
殿の命に従い、美濃衆より一手が差し向けられた。率いるは稲葉良通、ほか、尾張衆からも兵を出す。
和田山の兵は大きく動揺していた。やや後方に位置する箕作の城が落ちたため、背後を断たれたと考えたのだ。
そこに包囲していた美濃衆が坂を駆け上がりだす。
「搦手は塞ぐな、窮鼠となっては厄介だでのん」
「はっ!」
稲葉の指示によって搦手には見えるところに兵は置かれていなかった。
しばらくすると搦手から兵が逃げ出し始め、伏せていた尾張衆が一斉に襲い掛かる。
「伏勢でや!」「迎え撃て!」「敵は少ないぞ!」
混乱しつつも迎撃しようとしたその背後からもう一手が襲い掛かった。
「挟み打ちじゃ!」「これはいかん、逃げるぞ!」「うわああああああああああああああ!」
四分五裂のありさまとなった六角の兵を、囲み立てた上で殲滅する。そしてあえてわずかな兵を逃がすことで、観音寺の兵は恐慌状態に陥った。
箕作の城を守っていた吉田出雲守は六角家中でも名うての武辺者であったが、明智十兵衛の陣に目付として派遣されていた太田牛一に眉間を射抜かれて絶命した。この一矢によって箕作のいくさは趨勢が決まったと言えるほどの武勲である。
そうして観音寺に向けて陣を敷いていた浅井長政が観音寺に兵を進めると、城の中では何を血迷ったか、親子が対立していた。
血気に逸った現当主の義治が、兵を率いて野戦に及ぼうとし、甲賀山中に撤退して機を待とうとする先代の義賢がそれを引き留めようとしていた。
それこそ、一方は打って出て一方は逃げればよいものを、お互いがお互いを非難し合って貴重な時間を食いつぶしていく。
「捕らえた兵がおったであろうが。それを城に逃げ込ませるでや。城門を開けば篤く報いると言い含めよ」
長政は捕虜とした兵を解き放ち、観音寺の城に逃げ込ませた。
「お助けくだされえええ!」
「背後より織田の兵が追ってきており申す」
「味方じゃ、門を開け!」
「もう大丈夫じゃ!」
逃げる兵を追う芝居をしていた遠藤喜右衛門は信ぴょう性を出すために叫んだ。
「門が開くでや! これより付け入って城に討ち入れ!」
「迎え撃て! 味方を死なすな!」
城門が開いて敵の一手が打って出る。
「迎え矢を放て!」
弓衆が矢を射込むと、先頭の武者数人が倒れる。
「いかん、敵わぬ。ひけ、ひけえい!」
ひと当てして遠藤は兵を下がらせた。敵が深追いしてくるようであれば本隊の横を通るように逃げて攻撃させようとしたが、思ったよりも冷静に対処されたようで、こちらが逃げ出すと追ってはこないようだ。
「六角親子を逃がしては厄介なことになるでなん。今のうちに城を取り巻くがよからあず」
甲賀の山中に逃げ込まれてはいつ背後を脅かされるか分かったものではない。殿が下命すると軍は素早く展開し、観音寺の山を取り巻いた。
「大手は我らが受け持ちまする。六角とは色々ありましたゆえ」
「任す」
殿に願い出て大手の先鋒はそのまま浅井に任された。
「権六、長政の脇備えに付くがよからあず」
「はっ!」
城が完全に取り巻かれたことを理解すると、六角もさすがの古強者。覚悟を決めて城の守りを固めた。
石垣造りの城郭は堅固なつくりであったが、大手より先の通路は広く、おおむねまっすぐな造りとなっている。
「もともとこの城でいくさをすることは考えておらぬでありましょう。幾度も落ちております故な」
「うむ、箕作も和田山も堅固な城であった。それに比べればさしたる要害ではないでや」
「攻め太鼓を鳴らせ! 仕寄りじゃ!」
長政殿の命によって兵がじりじりと進む。城壁の上からは兵が雨あられと矢を降らせるが、鉄砲は少ない。
「川尻衆、前へ……撃てい!」
殿の命によって馬廻りの川尻与兵衛が鉄砲衆を率いて前に出る。
打ち込まれた銃弾は城壁上の弓衆をなぎ倒す。
「いまじゃ、かかれい!」
長政殿は機を読むに敏であった。侍大将としての才は織田家中でも並ぶものは少ないであろう。
じりじりと進んでいた兵たちが盾を持ち上げて一斉に駆けだす。
「破城槌を出せ!」「おう!」「走れえええええ!!」
先をとがらせ、鉄の覆いを付けた破城槌が城門に叩きつけられる。ずんと腹に響くような音を立てて巨大な丸太を叩きつけられた城門はぎしりと軋む。
背後より鉄砲隊が射撃を繰り返し、顔を出した弓衆が顔面を打ち抜かれて断末魔を上げることなく息絶える。
砕かれた頭蓋より飛び散った脳漿を浴びた兵が悲鳴を上げて腰を抜かす。
へたり込んだところに矢が突き立って叫喚して城壁の下に転げ落ちた。
「鉤縄、投げよ!」
軽装の鎖帷子を着込んだ足軽どもが陣笠だけを頼りに空堀に駆け入り、鍵縄を投げ込んで城壁をよじ登ろうとする。
城壁上の兵は縄を切って回ろうとするが、針金を仕込んだ縄はなかなか切れず、顔を出したところをこちらの弓衆に打ち抜かれて転げ落ちる。
「そおおおおおれえええええええい!」
都合五度目の破城槌の一撃で、城門に亀裂が入った。
「もう持たぬ!」「退け、退けえええい!」
大手門が落ちればあとは速かった。一気に本丸まで攻め寄せると、変事が起きる。降伏を進言した重臣、後藤賢豊を義治が怒りに任せて切り捨てたのだ。
そしてここに一つの偶然があった。先だって長政が観音寺に放った捕虜は後藤の配下であった。
主を理不尽な理由で討たれた兵は周囲と語らって本丸の門を開けはなったのだ。
「なんたる……」
白旗を振るう後藤の手勢に引き込まれ、本丸は修羅場と化した。
六角親子は、名もなき足軽に討たれるという醜態をさらしたのである。
大敵を前に内輪もめを起こし、冷静さを失って自落したこの一連のいくさをのちに観音寺騒動と呼ぶこととなった。
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