近江侵攻
「出陣!」
馬揃えの儀式を終えた将兵は、その熱気が冷めやらぬまま出陣した。
稲葉山を発ち、大垣を経由して不破の関を越える。ここに城を築く話があったが、浅井との同盟が成立したため立ち消えとなった経緯があった。街道を監視する砦のみが築かれているが、近江北郡も織田の経済発展の恩恵を受けており、治安が急速に向上した。
変事があれば対応するための兵力が配備されているが、今のところ出番があったためしがないことは喜ばしいことであろう。
長比、苅安の地に築かれた境目の城も形骸化しており、先日のいくさで奪った佐和山の城に浅井の兵が集結している。
「おお、弾正忠殿!」
浅井長政が手を振ってこちらにやってくる。江北の武者は粘り強く、いったん攻めかかれば力尽きるまで荒れ狂うと評判の精兵だ。
ひと月前に、不穏の動きをしていた父を越前に追放し、北近江を名実ともに支配下におさめた。
「結局、親父殿に付き従ったのはわずかなる近臣のみにございましてのん。弱い当主はああなるという生きたる見本にございまするなん」
「あとを譲ったならば助言はしても、口出しはしてはならぬものでや。人は何をしても不満と言うものは出る。だがそれを言いあっておっても何も始まらぬからのん」
「所領を治め、家を率いるということは難しきことにございまするのう」
「うむ、さにあらず。気を遣っても力を振るうだけでもならぬ。さじ加減が大事であるでや」
「さじ加減にございまするか、なるほど」
儂も柴田の家を率いる当主にて、領地を治める殿様と言うこととなる。なかなかに身に染み入る話であった。
人を治めるということはなんとも難しきことである。
「あちらを立てればこちらが立たずと言うことは常なることでなん。唐のことわざにいう矛盾とは世にあふれておるものでや。ひとは一人一人が異なってまったく同じということはあり得ぬ。我の小姓どもであっても、派閥を作っておるでなん」
殿の威勢が増すにつれ、近臣の者も手が必要となって増えていった。
小姓衆は尾張以来の重臣の子弟が多くいるが、殿が稲葉山に動座されてのちは美濃衆の子弟も受け入れ始めた。
自らの身近に置くことで信を示す意味と、人質の意味をも含む。ただ、常に殿の目に入る場所でもあり、そこから馬廻りに抜擢されれば出世の糸口になる。
それゆえの熾烈な競争があった。常に殿の意を迎えんと神経をすり減らし、相働く姿は殊勝ではあるが、幼さの面影が残る子供が命がけの戦場に立つということには縁とはいえ悲しき思いもある。
我が柴田衆は殿の本陣の直衛である。義理とはいえ武衛様の一門として御所様の護衛を担っておる。
「権六よ、貴様の武辺を飾り物とするつもりではないが、此度は美濃衆に手柄を立てさせねばならんでや。すまぬが聞き分けてくりょう」
「はっ、かしこまってございまする。いざとなれば儂が出番もございますがや」
「うむ、しかしそれは全軍の危地と言うことであるがのん。美濃衆が敗れ総崩れと言った場面だわ」
「儂は切り札にござるなん」
「そういうことであるな」
殿は苦笑いを浮かべる。本陣の備えを担うは特段の信を置かれているという名誉である。
ただ、若い馬廻りを殿直属の目付として派遣する。そして一番目立ってしまったのが又左であった。
「おう、又左よ、貴様は我の側に居るがよからあず」
「は、ははっ!?」
もともとは殿の小姓であったが、形としては出奔して儂に仕えたこととなっておる。
これも形式上であるが、武勲を立てたことで出奔の罪は許され、儂の与力として仕えておる扱いだ。
「御所様と我の護衛として前田の衆を借り受けるでや」
「はっ、身に余る名誉にございまする」
利家自身はいいとして、その家来どもが困り果てていた。
「儂らは御所様やお殿様のお側に侍るほどの教養がないでや」「失礼があっては殿に申し訳がたたんでなん」
「命を張って我が身を守るおのしらに儀礼などは求めぬでや。その武辺をもって我が側に居るがよからあず」
殿のお言葉に利家の家来どもは色めき立った。
「儂らが働きを見せれば又左の殿に恩返しができるでや」
「うむ、いずれは城持ちとなっていただくでなん」
佐和山城下を発ち、愛知川を渡る。そこで兵を休ませ、二日後には箕作の城の前に迫る。
六角の支城網はそれそのものが長大な城壁を成す。それでも要となる城を落とせば城同士の連絡を絶つことができる。
箕作の城に攻めかかったころ合いで背後の支城から兵を出して挟み撃ちにする。それが基本の戦法であるが、そもそも城攻めをする兵の背後を衝く暇も与えないほどの速攻で織田軍が取り掛かった。
大手は明智十兵衛が采を振るい、搦手より木下衆が丹羽衆の援護を受けて攻めかかる。
大手は仕寄りを行う。矢盾を前にじりじりと進み、鉄砲で敵の弓衆を狙う。そうやって少しづつ敵に戦力を削ぎ取るのが狙いだ。
一方搦手の木下衆はすさまじい勢いの抵抗にあっていた。木々が払われむき出しとなった道には逆茂木が置かれ、頭上から矢が降り注ぐ。
「敵の抵抗は固いでや」
「うむ、後ろ巻きと挟み撃ちにする策だで」
「大手の十兵衛殿はいかがするつもりかのん?」
「派手に矢玉を打ち込んでおるが、直接攻めかかってはおらぬようでなん」
「藤吉郎よ、ここは一気に攻め落とさねばならんでのん。夕刻より攻め手を緩め、夜討ちをかけるが上策でや」
「小六殿の策はいにしえの軍師のようにてあらあず。小一郎、使いとなって十兵衛殿の陣に参って今の策をつたえてくりょう」
「承知でや」
「それには及びませぬ」
そこに現れたのは明智十兵衛の腹心である明智秀満であった。
「我が殿が今盛大に矢玉を打ちかけておるは、直接取り合いにいかぬと思い込ませるため。払暁に夜討ちを仕掛けまする故、木下殿もそれに合わせて攻めかかっていただきたい」
「うむ、同じことを考えておったでや。されば、払暁、息を合わせて仕掛けるでのん」
「うむ、よろしくお頼み申す」
夕刻より攻め手は退き、城兵の油断を誘う。そしてもっとも緊張がゆるむと言われる明け方、少数の精兵を持って夜襲を行う。
城兵は大混乱に陥り、同士討ちを始めた。
「箕作の城より火の手が上がりましたぞ!」
儂のもとにも注進が入る。ほどなくして城から勝鬨が聞こえてきた。
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