三駿和議
白旗を掲げた使者が今川の陣からやってきたのは、戦闘の後始末が終わったころ合いであった。一人の供を連れ、徒歩でこちらに向かってくる。
一の段の陣に迎え入れ、突貫で陣幕を張って場をしつらえた。
「関口親永と申す。吉良五郎様にお目にかかりたく」
「うむ、参られい。おひさしゅうございまするな」
「二郎三郎殿はまことによき嫡子を持たれましたのん」
「うむ、トンビが鷹を生みましてなん」
旧知の関係である彼らは、敵味方に分かれたとしても友誼を崩すことはなかった。今日の味方が明日の敵となってもおかしくない時世である。
家同士の対立もあるが、個人としてよしみを残すことはよくある話であった。
二郎三郎殿が本陣に使者を案内してくる。
儂は五郎様の隣に座ってその助言を求められれば話すこととなる。
儂の向かいには喜六様、尾張衆より佐久間大学盛重、佐久間半介信盛らが、松平一党は二郎三郎殿を筆頭に、岡崎衆の将領たちが居並ぶ。
「お初にお目にかかりまする。関口刑部親永にござる」
「吉良五郎である。使者殿、まずは楽にするがよからあず」
勧められるままに床几に腰を下ろす。織田、松平の将領たちの目線を一身に受けても小揺るぎもしない辺り、胆は据わっておる。
「和議を申し入れたく、今川治部様より使者を仰せつかりましてなん」
「ふむ、和議の条件を聞こうず」
「されば、三河一円よりの全面撤退を」
「三河はこの吉良の分国。これでよいのか?」
「はっ、なお、今川に誼ある者どもは、残しておいても御家の災いとなりましょうゆえ、今川にて引き受けまする」
「なるほどなん。して、和議がならぬ場合はどうなる?」
「殿の舅殿が討たれておりますゆえ、一斉に我攻めを仕掛け五郎殿の首を取りに一戦いたす所存にて」
「面白いでや。この柴田権六を討たずして五郎様に指一本たりとも触れられると思うでないぞ」
「……こちらとて武門の意地がござる。権六殿の武辺を当家は骨の髄までわかっておる。それでも譲れぬものがあること、お判りいただけようかと」
抜け抜けと言うが、今川では武田の隠居を持て余して居ったように見える。関口刑部の言う通り、義元の正室は武田信虎の娘だ。現当主晴信の姉に当たる。すでに亡くなっているが、その菩提を弔うためとか理由を付けて駿河にとどまっていたことは想像に難くない。
信虎自身はまれにみる猛将であった。しかし野心強く、追放した息子の晴信が信濃に勢力を伸ばし続けていることを知ると、恨みを棚上げして今川家中に武田と協力すべきだという一派をまとめ上げていた。
それは容易に獅子身中の虫となるであろう。
今川の、むしろ義元の本音は厄介払いができたとほくそ笑んでいることだろう。
「して、ご返答はいかに?」
五郎様が儂に視線を向ける。儂は小さくうなずいた。同じく喜六様もうなずきを返す。
「よからあず。これ以上のいくさをこちらも望まぬ。三河守護として、三河一国を一統できるならばそれで良きでなん」
「ご英断、ありがたき仕合せにございまする」
「うむ。詳細は守護代と詰めるがよからあず」
「されば……」
関口刑部殿は、供の小姓の頭巾を外させた。そこにはうら若い女がいる。
「竹千代様、いえ、今は松平蔵人様にございますか」
「瀬名殿……」
五郎様の顔がにやにやとしだす。
「ふむ、関口殿。かの女性を人質とするとの申し出にあらずか?」
「ええ、儂の娘で、二郎三郎殿が駿府にいた折にはかわいがっていただいておりましての」
「ふむ、されば和議の一環として蔵人殿の正室に迎えるはいかがか?」
「ふぁっ!?」
見つめ合って顔を赤らめる男女。まあ、そうなるであろうなあ。
ちなみに、悲鳴のような声を上げたのは蔵人殿であった。
瀬名姫の方は口元をお両手で押さえ、恥じらう姿が実に艶やかではないか。
なお、唐突に背中をつねられ、必死に悲鳴を噛み殺す羽目になったのは余談である。
市は本陣より出てはならぬと申し付けていた。本当は喜六様と共に牛久保の城の留守居を任せたかったのだが……。
「ふむ、互いに異論はなさそうであるな」
「うむ、瀬名よ。蔵人殿のお側に置いていただくがよからあず。儂のことは良いゆえにな」
和議の詳細は異例の早さでまとまった。今川の重臣と松平の嫡男が婚姻によって縁を結ぶ。織田とは因縁がありすぎ、仮に婚姻を結んだとしてもすぐに水に流すとはいかないこともある。
この和議で事実上斯波家は遠江を放棄したこととなる。無論そのような条件は一切誓詞にも記されていないため、名分としてはこちらに理がある。そのことは今川も承知の上であろう。
松平を介して織田、ひいては斯波と縁を結ぶことで今川と和を結んだ。
そのことは、武田が窮地に立ったことを意味する。
舅である信虎を半ば見殺しにするかのように戦場で使いつぶしたことは、建前は色々とあるが事実である。
このことで武田とは絶縁したも同然の状況だ。
和議がなったのち、今川の嫡子、氏真殿が御所様に謁見を申し入れてきた。ここでややこしいことに、信虎殿は駿河に逗留する中で、世話役の女性との間に一人男児をもうけていた。
すなわち武田嫡流の男子を手中にしていたというわけだ。その子供を旗頭にして甲斐に兵を向ける名分を御所様より引き出そうということであろう。
先日の岩村城の戦いで、明智鉄砲衆の強さを知らしめた。柴田衆の精強さもだ。
今川が同盟相手に加わり、こちらの陣営は強化された。武田は対立姿勢を強めているが、信濃西部の豪族たちは今川が敵に回ったことで動揺している。
今川との関係が確定したことで、山家三方衆と呼ばれる、奥三河の豪族たちが正式に松平に降ってきた。
そのまま信濃南部に調略の手を伸ばすことになるだろう。
こうして、ひとたび今川とのいくさに片が付いた。今川相手のいくさに武勲を重ねた大殿は複雑な表情を浮かべていたという。
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