覚醒
越中国、魚津。上杉の兵と対峙していたかの日。その報を知ったのは魚津城陥落の翌日であった。
すぐに兵を返し、近江に攻め寄せるはずが、上杉の追撃を警戒して動けず、致命的な数日を費やしてしまい、光秀は筑前に討たれた後であった。
筑前の果断さと、武辺は見事である。殿の仇を討ったは家臣の鑑である。そう思っていた。
しかし、筑前は殿という重しが外れると、その異形の才を縦横に発揮しだした。丹羽五郎左や池田勝三などの重臣を抱き込み、清須での談合において織田の主流となりおおせた。
そして賤ケ岳のいくさ。儂自身は全く油断しておらなんだが、前田又左が裏切ったとて、それも乱世の習いであろう。家を残し、所領を子孫に伝えるが武家の最も大事なことである故に。
北庄で最期のいくさに臨んだ時も、無念ではあったがどこかすがすがしさがあった。そして……お市と最後の別れをかわそうとしていたその時、喜六様が現れたのだ。
「そうか……」
今、すべてが腑に落ちた。
「思い出したかい、十兵衛がなぜあのようなことに及んだかはわからない。そして、すでに今は、前世とは全く別の歴史を刻んでいる」
「殿の見ていた天下、儂もみとうござるのん」
「うん、ここで負けてしまってはすべてが瓦解しかねない。正念場だよ」
「はっ! しかし、これはいささかずるをしているようですな」
「なにがだい?」
「老将の経験と、若者の武勇が一人の身体にあるのですからな」
「権六、それだけのことがあっても勝てないのがいくさだよ」
「ですのう。ちと浮かれておったようでございますで」
「では、軍議だ。ここで今川を破れば三河を完全に制圧できる」
「ははっ!」
東三河の豪族は揺れていたが、国境まで今川の大軍が来ていると聞くと、一時的に城を明け渡してもそちらに合流するものが多くいた。
牛久保から吉田あたりはこちらの勢力圏だが、それでも予断は許さない。
「軍議を始める。意見ある者は申しでよ」
五郎様が上座で脇に喜六様が控えていた。松平一党とともに儂も最前列に座る。後ろには柴田衆の面々が居並ぶ。
松平には大久保兄弟や本多一族など、武辺者が多くいる。三河守護代の座を確固とすべく、士気が高い。
「半兵衛、策を」
喜六様が空気を読まず命じる。
「ははっ。長篠南方の設楽原、ここに布陣いたします。見晴らしもよく要害の無い土地ゆえに、今川の衆もここに向かいましょう」
「平地であれば数が少ない方が間違いなく負けるでや。こちらの兵は岡崎衆三千、尾張衆五千、牛久保党が千」
「そして我ら柴田衆二千でや」
「柴田の衆は一騎当千の武者がそろうておる。倍する兵とも互角にやり合う事ができようが、それでも総数では敵の半分であろうが」
五郎様の言葉に皆がうなずく。
「このいくさの勝利は、敵の撃退にあります。喜六様の黒鍬衆が堀と土塁の普請にかかっております。野戦築城の上での籠城戦とお考えいただきたく」
「なるほどなん。ここでいくさが長引けば、あ奴らは収穫の時が来るでの」
「さればひと月持ちこたえなばなんとかなろうがのん」
このいくさの着地点は、おそらく三河からの今川に与する者の退去であろう。であれば、ひと当てしてしばらく睨みあい、頃合いを見て和議を結ぶことになろうか。
逆に、反撃を厳しくし過ぎて大きな損害を与えてしまってはまずいか。
「権六、その方向で行って良い」
儂の考えていることを読んだのか、喜六様がニコリとしながら言ってきた。
「ほかに意見はあるかや? なければ半兵衛の策の通りといたす。陣立ては先鋒を牛久保党、二の段は松平党。三の段を柴田衆とする。采は権六に預ける」
「ははっ!」
全軍の進退を決する指揮権を預けられたが不思議と緊張はない。いつぞや喜六様が万の兵の指揮を執ることを考えておくように言っておったが、まさかそれがかなうとは思ってもいなかった。
しかし、前世では加賀、能登、越前の兵権を握り、指揮を執っていた。
さらには味方に倍する敵と向かい合って勝利をおさめたこともあった。
負けなければよいならいくらでも遣りようはある。
「儂に任せよ。みなの者、出陣じゃ!」
兵には柵木を担がせ歩ませる。先鋒の牛久保衆は、身軽な状態で戦場に急行し、陣を張る。
設楽原は原と言っても、小川や沢に沿って丘陵地が南北に幾つも連なる場所であった。見通しが悪い場所をうまく利用して兵を隠し、沢の斜面を削って城壁となし、川を堀に見立てる。
本隊が到着するころにはすでに普請は大詰めを迎えていた。
柵木を立てて横木を渡し、次々と柵を仕立てる。
「急げ! この柵がおのしらを守る盾となるでや」
敵の攻撃が集中する虎口には、矢盾を置き守りを固める。沢の緩やかなところをあえて残し、左右を柵でふさぐ。
此処を駆け上がる敵兵は、左右から射すくめられる。逆に敵が寄ってこなければ、ここから兵を出して迎え撃つ。
普請する様子を敵の物見が確認し、報告に向かっていく。兵の少なさを小細工で補おうとしているとでも考えていてくれたら儲けものだ。
かつて得意としていた山岳戦の経験を活かし、敵の攻撃経路を予測して罠や伏兵を配置する。
鉄砲隊は最前線の牛久保衆の陣に配置した。最も激しい戦いが予想されるところで、新参であっても見捨てることはないという意思表示にもなる。
「来ました!」
二つ引き両門に赤鳥紋。今川の旗印が見えた。陣の中央には赤塗りの輿が見える。陣中で輿を使うのは相応の家格がいる。
本陣では五郎様と喜六様が雲霞の大軍を見て、言葉を交わす。
「向こうが足利一門なれば、儂も吉良の名跡を継いでおる。家格では負けておらぬでや」
「そうですね、兄上」
「喜六、大事ないか?」
「権六たちが命を張っているのです。手傷を負ったからと甘えていられませんよ」
「……左様か。しかし無理はするでないぞ」
「わかってますよ。僕がここで討たれたらここまでの苦労が水の泡になりますし、信長兄が暴走しますし」
「わかっておるならばよいでや。本当は牛久保の城にとどまっておらせたかったがなん」
「それこそいまさら、ですよ。ここが敗れたら牛久保の城なんか真っ先に開城するでしょうし」
「ま、それもそうであるな。なればここから見届けようではないか。鬼柴田のいくさぶりをの」
布陣を終えた今川軍は南北に十三の陣を構えた。東三河国境の国人が先陣として一塊になっている。
牛久保衆とは顔見知りも多い間柄であろうが、宿世の縁によって敵味方に分かれてしまった。あとは覚悟を決めて戦うのみ。
今川の陣より攻め太鼓が打ち鳴らされ、地響きを立てて滝沢川を一気に渡り攻め寄せてきた。




