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御内書

 三河のいくさは牛久保を開城させた織田の勝ちであった。清須の城の広間に、此度のいくさに参加した諸将が集められ、論功行賞が行われた。


「此度のいくさ。一番手柄は松平広忠殿である」

 常に先陣で戦い続け、今川の後ろ巻きを撃退した武功が認められた。これにはうなずくものがほとんどで、三河衆は喜びの声を上げている。

「牛久保の城は松平衆預かりとせよ。降った者どもも同様でや」

 牛久保衆の牧野、間瀬、真木、稲垣らの地侍衆の処遇も松平広忠殿の預かりとされた。彼らは松平衆の下座に配されており、同じ三河衆として編成されることが決まって胸をなでおろしている。


「次の功は……」

 評定の間に集った諸将が固唾を呑んで言葉を待つ。

「柴田殿であろうか」

「五郎様であろうず」

 勇戦したものは多く、名のある首を取った者もいた。儂自身は一人の敵兵も倒しておらぬが、配下の者は相応に活躍したと言ってよいであろう。

 鳴海の山口や、那古野衆の内から佐久間大学など、武辺者も多く参陣している。


「木下藤吉郎!」

 その一言に万座が静まりかえった。

「は、ははっ!!」

 藤吉郎も自らの名を呼ばれることがあるとは思っておらなんだのであろう。それでもわずかの間に我に返ると、常のような大声で返事する。


「木下、貴殿の功、万余の兵を一人たりとも飢えさせず、矢玉を途切れさせず、兵を守る普請にあい働いたこと、誠に殊勝なり。よって加増と褒美として太刀一振り、馬印の免許、ほか名物を与える。これがその目録じゃ」

 感状と共に、褒美の目録が殿自ら手渡される。通常は小姓が預かり渡すのが作法であるが、平伏する藤吉郎の前に自ら歩いてきて手渡すという厚遇ぶりであった。


 その様子に評定の間がざわつく。藤吉郎自身は一人の敵兵も討っていない。どころか刀を抜いてすらおるまい。

 

「文句がある者はおるかや! おるのならば名乗りでるがよからあず! 次のいくさでは藤吉郎と同じく兵糧奉行を任せるだわ。遺漏なく万余の糧食を調達し、矢玉を集め、それを必要なところに過不足なく送る。また普請をあれほどの速さでできるものは申しでよ! その能にふさわしき禄と地位をくれてやらあず」


 その一言に場はふたたび静まり返った。殿は再び口を開くと、思いがけないことを言われた。


「いにしえの魏武(曹操)は唯材をうたい求賢令と言うものを出したと聞いておるでや。出自を問わず、能あるものを召し抱えたのでや。おのしらだから言うがのん。今織田の台所は非常に厳しいことになっておるでなん。一人でも能ある家来を欲しておる。我こそはと思う者は名乗りでよ。もしくは能あるものを推挙せよ。よいか!」

 

 また喜六様の入れ知恵であろうか。しかし殿の側近で譜代の尾張者は実はそれほど多くないのも本当だ。伊勢に配された滝川彦右衛門一益は甲賀の生まれ、森三左衛門は美濃の豪族である。

 木下の生まれをどうのこうのと言いおるが、それを言い出したら儂も土豪ですらない庄屋の出である。

 家柄なんぞはよほどの名家でない限りは名乗ったもの勝ちで、官位なども自称がほとんどであった。

 

 そうこう考えているうちに論功行賞は進み、最後に名を呼ばれたものが褒美を受け取った。


「さて、ここで皆に申し渡すことがあるでや。公方様より御内書が来ておる。将軍家をないがしろにする不忠の臣を討ち、幕府再興の一助となれとのお言葉でや」


 殿が手にした書簡に広間にいたすべての諸将が平伏する。武衛様を盛り立て、先日京に赴いた平手殿が女房奉書をいただいてきた。殿は正式に尾張守の任官のご意向であった。


「なんにせよ、一度上洛することとするでや。供回りは追って沙汰するゆえ、支度せよ」

「「ははっ!」」

 

 能あるものを家格にとらわれず引き立てる方針は、藤吉郎と言うわかりやすい実例を見せつけることで明確にされた。

 藤吉郎は奉行職に就き、禄高は中村の郷を賜り、五十貫とされた。儂の禄高は二百貫である。藤吉郎はすでに中堅どころから上位の家臣へと昇格しておることとなる。

 

 評定を終えたのち、儂は殿に呼び出された。

「権六よ。此度の上洛、貴様の手勢を中心に百を選ぶでや」

「かしこまってございまする。儂も加わってよろしいので?」

「公方様は塚原卜伝殿より一の太刀を伝授されたと聞き及んでおるでや。貴様のごとき武辺者はさぞ喜ぶであろうず」

「ありがたきお言葉にて」

 

 三河の戦線は落ち着いており、美濃も平穏であった。信濃国境は武田と盟を結んだためこちらも平穏であった。

 そして北信濃では長尾景虎が兵を率いて善光寺に進出しており、武田晴信はそちらにかかりきりであった。

 問題は近江で、京極と六角の間がいささかきな臭い。浅井は当代の久政が小競り合いでは負けを重ね、徐々に北に境界を押し込まれている。

 朝倉は若狭に手を伸ばしつつあり、南に対する障壁として浅井を用いようとしていた。直接六角と戦うことはなかったが、出撃する兵を増やすために留守居の兵を派遣するなどの手を打っている。

 先日の戦で敗北を喫し、浅井の嫡子は半ば人質となって観音寺城に留め置かれていた。

 管領代を称する六角定頼の後を継いだ義賢は武辺や軍略に優れていたが、父親ほどの政治的手腕をいまだ発揮できずにいた。

 公方様と三好筑前(長慶)との和議の仲介に失敗し、兵を出してかえって損害を被るという有様であった。

 

「六角はつたなき采配を繰り返しておるがのん。管領代の遺訓はいまだあ奴を支えておるでなん。いまはよしみを通じるが上策にてあらあず」

 六角は公方様の後ろ盾を自任しておるゆえに、公方様の味方に付くと表明すれば、さらに軍を上洛させぬという建前であれば、少なくとも敵対はされないと言う目星であった。


「儂も共にいこうでや。さすれば名分も立つと言うものでなん」

 武衛様が同行を申し出てくださった。留守居は大殿が務められ、清須の城に居られる。

 稲葉山には道三殿が入った。三河は松平がしっかりと押さえている。

 こうして稲葉山から、上洛の一行が旅立ったのである。

読んでいただきありがとうございます。


ファンタジー戦記物です。

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