牛久保合戦
牛久保城は三河のほぼ中央部にあり、交通の要所であった。信濃国境の奥三河に割拠する山家三家にも調略の手を伸ばしているが、牛久保を押さえることで彼らの背後を扼すことができる。
牛久保を押さえる牧野氏の当主は西尾城に拠っていたが、単独の兵力では織田、松平の連合軍にかなわず、ひと当てすると撤退した。
「かなわぬとみてすぐに下がったかや」
「良き判断でや」
「うむ。城に立て籠もられては厄介だでなん」
松平衆としても決死の覚悟で攻めかかったが、抵抗はほとんどなく、敵将はすぐに逃げ去った。
吉良義昭を西尾城に入れ、そのまま東進する。西尾城はもともと吉良氏の属城であった。
幸先の良い戦勝に兵の意気は上がっていた。
牛久保城は豊川の古い河岸段丘を利用した二重の水堀を備えた平城であった。城兵の士気は高く、今川の後ろ巻きが出立したとの報を聞いている。
「よいか! 治部大輔様は我らを決してお見捨てなさらぬ! 城を固く守り、後ろ巻きを待てばよいでや。あ奴らを追い返せば三河は再び今川家のものとなるでなん。さすれば褒美は思うがままに下されるであろうず!」
「「おおおおおおお!!」」
水堀を挟んで弓矢が飛び交う。鉄砲も盛んに打ち込まれるが敵の士気は衰えない。
「後詰を叩くのが一番手っ取り早いでなん」
「朝比奈備中はなかなかの大将と聞き及ぶが親父ほどではあるまいが」
「油断はならぬでや。岡部五郎が出張っておると聞くぞ。あやつは油断ならぬ」
一気に攻め寄せれば落とせるが、我攻めで被害が大きくなったところに後ろ巻きが現れては窮地に陥る。
であればここは無理せず包囲しておき、矢玉で少しでも損害を与えるのが得策とされた。
東の方には多く物見を放つ。これで余程敵がおかしな動きをしない限りは奇襲の心配はない。
後方には次々と荷駄が届き、物資が集積されていく。
「権六様! 食いもんはこれで半月は持ちまするに」
「うむ、藤吉郎よ。殊勝でや」
木下衆の手配した荷駄が次々と到着し、陣屋が組み立てられると、周囲に堀切と柵が築かれ簡易の砦が築かれる。
喜六様の考えで、戦いを優位に進めるための準備として兵糧の確保と、簡単なものでも防御施設の普請があった。
いつ夜襲が来るかわからない野陣よりも、屋根のある陣屋で、柵に守られたところで寝るのでは、兵の体力が違ってくる。
飯もしっかり食べねば体が動かぬ。戦うための準備を確実にやるということだ。
「勝つべくして勝つというのはそういうことだよ。矢が足りなくて負けたとか腹が減って討たれたとか笑えないからねえ」
喜六様の言葉がよみがえる。
腹が減れば心がすくむ。取り合いに敗れれば兵は怖気る。そうなれば儂がいかに声を張り上げたとて何の役にも立たぬ。
城方の打ち返される矢が少なくなってきた。敵方から飛んできた矢はこちらが放ったものを拾って打ち返してきているものも見られた。
「籠城するに十分な準備がなかったようであるな」
「うむ、敵方から飛んできておる矢は拾ったものが混じってきておるでなん」
「敵の先陣はまず城に兵糧を入れようとするであろうが。それをまず潰すでや」
藤吉郎の兵を東側に配置する。彼らは戦場での普請稽古を積んだ精兵であった。
「東への道を切り取るように塁を築くでや」
東門に付け城を築く。これによって城兵を封じ込めて後詰との連絡を遮断する。東に展開した兵は後詰と城兵との間で挟み撃ちにされる危険が大きい。
その危険が大きい役割を松平衆が請け負った。
「二郎三郎殿、儂は北を請け負うでや。今川の手勢が来おったならば、儂がすぐ駆けつける故、安堵なされよ」
「うむ、権六殿が後ろ巻きに来るならば兵どもも気張ってくれようぞ」
東側に築かれる砦を突き崩さんと城兵が出撃するが、付け城の兵に阻まれて思うに任せない。付け城を落とさんと攻撃されても、小ゆるぎもしなかった。
そうして、援軍を阻む形の砦が出来上がるころ……朝比奈備中率いる援軍が到着した。
「ありゃあなんだでや!?」
松平衆のうち一千が入った砦が街道をふさぐ。背後には包囲され、矢玉を打ち込まれる牛久保城があった。
「ええい、ぼさっと見ておっても仕方なかろうが!」
先鋒の岡部五郎の兵、三千が押し寄せる。だが狭い地形を利用して堀を切っているため、まとまった兵を繰り出すことができない。
空堀であるため乗り越えることも難しくはないが、足を止めたところに降り注ぐ矢玉に手負いだけが増えていく。
「権六、いかがする?」
と言いつつも五郎様の下知に従い、門の前に築いた付け城に兵を残して東側に兵をまとめている。
「ふむ、一戦に及んでも負けはしますまいが……」
「被害も大きくなろうが。和議を結ぶにしてもややこしいことになるであろう」
「牛久保の開城を条件に和議を結びまするか?」
五郎様は少し考えこむそぶりを見せた。今も東の出城では戦いが続いている。
「ふむ、今であれば特に大きな被害は出ておらんの。牛久保の後ろ巻きにあれほどの兵を出したとして今川の顔も立つであろうが」
殿や喜六様が特殊なだけで、五郎様も織田の連枝衆を代表するほどの器量人である。ただ敵に突撃を仕掛けるだけのいくさ莫迦よりは政治向きの視点を持つ得難き才を持つ方でもあった。
故に最も難しい国境の安祥の城を任されたともいえる。
ここで一戦に及べば互いに手負い討ち死には千を超えるであろう。そこまでの大いくさとなれば損害を回復するのにも時間がかかる。そして新たな因縁が積みあがる。
「牛久保の城に使者を送るがよからあず。かの城が開いたとなれば後詰の意味もなくなるでや。少なくとも後ろ巻きは一兵たりとも城に入れておらぬ。なれば和議の余地もあるであろうが」
「されば……」
松平衆より石川与七郎数正が使者に立ち、和議をまとめてきた。
こうして牧野氏は松平に降り、牛久保城は開城したのである。
今川とも和議を結ぶことに成功したが、これも間一髪であった。背後で吉良義昭が反乱を起こすという密約を今川と結んでおり、もう数日戦闘が続いていれば、背後を遮断され、軍が崩壊していた恐れもあった。
「今川治部はなかなかに手ごわき相手であらあず」
「左様にございまするな。義昭めはいかがいたしまするか?」
「すでに隠居しておるでなん。出家して本証寺にあずかってもらうがよかろうず」
牛久保の城は牧野で安堵となった。開城の条件にも記されていたため、そこはそのま守られた。
西尾の城には大久保忠員が入る。松平二郎三郎の腹心が入ることで、牛久保の城をけん制し、また背くことがあればこちらの城で食い止めることができるという意図である。
このいくさののち、今川を離反する豪族が増えていった。松平衆は最前線で岡部の精兵と渡り合い、その武名を高めたのである。
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