御恩と奉公
使者を送った結果は予想通りではあった。今川治部大輔は激怒し、直ちに遠江国衆に出陣を命じた。
朝比奈備中泰朝を大将に岡部、久能らを派遣。兵力は一万五千を数えた。
太原雪斎の最期の働きで、北条、武田とは盟を結んだ。この時をまるで予見していたかのように。
「いや、予見していたのであろうな。織田との大いくさがあると」
儂の独り言を、隣で歩を進めていた五郎様が聞き留めた。
「いかなる意味でや?」
「あ、ああ。おそらくは……小豆坂の戦いのあとでありましょうが」
「ああ、あのいくさじゃな。あれは激しき取り合いであったなん」
「あの戦いで雪斎は矢傷を負いましたでや。その傷の具合が良くなかったのでしょう。そして先行きをおもんばかり、武田、北条との和睦と、岡崎での戦いに及んだものと思いまする」
「ふむ、なるほどなん。今になって思えば実に拙速であるいくさであったと今になって思うところがあらあず。喜六の神がかった働きがなければと思うとぞっとする」
「そう思いまする。あの戦いの采配は神がかっておられました」
あれ以降喜六様は戦場に立つことはなかった。もともと身体が弱いこともあって病がちになっていた。
「うむ、儂にはあのようないくさは無理であるな。あれは天に愛されし才じゃ」
「まこと、左様にございまするなあ」
「美濃衆が動かぬのもそういうことであるな」
「ええ、遠山の後背ただならぬことと、信濃から武田の手が伸びるやもしれませぬ」
「うむ、殿の判断は確かである。誠に喜ばしきことでや」
我らは国境を越え矢作川を渡り、そのまま岡崎で松平衆と合流する。
「二郎三郎殿、参陣大儀でや」
「はっ、五郎様の御前で戦えると家来どもも沸き立っておりますでなん」
広忠殿の言葉に背後にいた本多平八郎が槍を突き上げる。その姿に兵たちは鬨の声を上げる。
兵の意気は高く、広忠殿が見事に彼らを掌握していることがよくわかる。
反抗する支族を一気呵成に攻め滅ぼしたこともそこにあるのであろう。父譲りの武辺を示したことで彼らの信を得た。
三河武士は頑固で扱いづらい。しかしいざ戦いとなれば結束は固く、容易に崩れないと言われる。
優秀な大将が率いればこの上もなく頼りになる者どもであった。
「権六殿。貴殿がおられるとは心強い」
本多平八郎殿が声をかけてきた。
「三河一の猛者が共にあらば如何なる敵が来たとて打ち破ってくれるだわ」
ガシッと拳を打ち合わせる。呵々大笑する姿を見た兵たちも笑みを浮かべる。
これでよい。尾張と三河は互いに相争ってきた。先の小豆坂のいくさで、親兄弟を失った者もいるであろう。縁者を失った恨みは骨髄にも達しよう。
だが恨みだけに目を曇らせても先はない。であればこの戦いで少しでも結束のきっかけができればと思うのだ。
岡崎を出て、野営を行う。松平広忠殿がやってきて儂に声をかけてきた。
「権六殿」
「おお、これは松平殿」
「二郎三郎でよい。貴殿は斯波の猶子にして織田の一門格である。家格としては当家より下と言うことはあるまい」
「うむ、では同輩と思うて話させてもらおうず」
「それでよいでや」
「うむ、して何用にあらあず?」
そう告げると二郎三郎殿は口元に笑みを浮かべた。
「ああ、我らが今後について、なん」
話の内容は簡単と言えば簡単だった。松平は織田家臣として仕えることに異論はない。美濃斎藤の行く末を見ても家は残されている。
しかし、一部の領地……桑名では所領を取り上げ、銭による禄で雇いあげる。貫高に換算すれば、損ではない。ただ戦いの手柄に応じて、減棒されたものもいた。
「儂に従っておるうちは良い。しかし織田家臣となりてのちは同じく土地を奪われるのではと考えるものも多いでなん。貫高と同じ銭を与えられるから良いとはなかなかにならぬ」
「……なるほどのん。御恩と奉公といいたいかや」
「左様でや」
「うむ、土地は残るが銭は使ってしまえば残らんでなん。いうなればまやかしにも思えるというわけじゃ」
「そこは難しきことにならあず。銭による禄も銭と言うものが残るであろうが」
「うむ、そこは貴殿が申す通りでや。しかしなかなかに急に切り替えろと言われても難しきことだでなん」
「なるほどのう。難しき談判となることもあるかのん」
「実はのう。儂が攻め滅ぼした一家は、鎌倉時代の判物を持ち出してきたでや。文永の役にて手柄あり。故に……と言うわけじゃ」
「それは本物であったかや?」
「わからぬ。紙は古めかしく、墨痕も何やら古かったようには思えたでや。紙の端は虫食いの穴も開いておった」
「うむむ、偽物と断じるにも難しきことであらあず」
「いかさま、左様なる仕儀であったでなん。やむを得ず兵を繰り出した。彼のものは先祖伝来の武辺を謳っておった。平八郎が見事に討ち取ってくれたで、多くの手負い討ち死にを出さず済んだのは僥倖ですらあったでや」
「遠き鎌倉の世から武士は御恩と奉公にて動いておる。一所懸命もそれと同じでや。しかし…‥」
儂の言葉は以前喜六様より聞かされた話であった。
「しかし?」
「地縁がある故に人はそこに閉じこもる。しかし、それでは先がない」
「いかなる意味でや?」
「鎌倉の世と比べてちごうておるところがいくらでも出ておるでや。鉄砲然り、銭もそうじゃ」
「う、うむ」
「銭が土地の代わりにならぬはなぜじゃ?」
「それは……使えばなくなるゆえであろうかなん?」
「しかし、銭はうまく使えばさらに増やせる。商人どもを見よ。一束の銭をうまくつこうてその富を増やしておるではないか。土倉に銭を借りねば我らは戦もおぼつかぬことがあったろうが」
「……そうか。殿は土倉の代わりをしておるのか」
「それも一つのことにてあらあず。銭はあらゆるものと交換が可能でや。なればもののやり取りがやりやすくなる。そうやって世間に物と銭が行き渡れば民百姓の暮らしも少しはましになる。そういうことにてあらあず」
「うむむ。時代は変わっておるか。確かにそうでや。尾張半国守護代の奉行が今や守護代であらあず。祖先の名声など頼りにはできぬのん」
「左様でや。儂など数年前は唯の庄屋であったからのん」
「ふ、武功一つで成り上がれるかや。なれば儂も三河一国のみならず、自らが守護になれる様な働きをいたすかのん」
「うむ、土地は限りがあるが、銭はひとまず限りがない。一つの土地を取り合えば血が流れるが、銭は分けることもできる。喜六様はそういうておったでや」
「なるほどのう。そういう考え方もできるかのん。うむ、家来どもにも話をしてみようず」
二郎三郎殿は最初に話を持ち掛けてきたときに比べて明るい表情で三河衆の陣屋に戻って行った。
少なくとも銭をうまく使うことで、此度の戦支度は常識外れの速さで行うことができた。少なくとも藤吉郎はそれを理解しておろう。させた殿も同様であるが、それ以外にこの速さの意味を理解している者がどれほどおるか。
これを理解出来るものこそ、大きく力を付けることができるであろう。
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