根切り
堂洞衆は降伏勧告をはねのけた。幼い嫡子を斬り覚悟を示すなどと血迷ったことをした。族滅も辞さずとの覚悟はどこからきておるのであろうか。武士の意地と名誉とは生き延びてのちに示すものではないかと思う。
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明智十兵衛の調略によって加治田衆は寝返っていた。堂洞に降伏勧告に赴いた十兵衛がそのことを告げたことによって強硬な反抗を招いた。この失態によって普段は慇懃な態度を崩さない十兵衛は落ち込んだ風情である。
「やらかしましてございました」
「やむをえまい。そういうこともあるでや。成ってしまったことは仕方ないでなん。城攻めの算段をいたそうず」
大将を勤める森三左衛門と十兵衛は城を包囲しつつ攻撃について談じる。
「大手は儂が引き受けますでや。我が鉄砲衆が敵を引き付けまする」
「うむ、頼んだでや。儂は堂洞と関の間を切り取るがや」
「はっ、後ろはお任せいたしまする」
森三左衛門は高畑山に陣取る。ここであれば、関方面からの軍勢はすぐに見つけることができる。
介添えとして川尻与兵衛秀隆が付く。城周囲を取り巻き城方が打って出ることができない様に見張る。
大手門は明智十兵衛率いる鉄砲衆が陣取って、門が開いた瞬間一斉射撃を浴びせる。
「鉄砲を使うなど卑怯であるぞ!」
矢倉から敵の物頭が喚く。十兵衛は愛用の銃を手に取ると、早合を銃口に滑り込ませ、火蓋を切る。
よどみない動作で狙いをつけると、引き金を引く。
ダァン! 狙い過たず銃弾は喚く物頭の顔面を打ち砕いた。その死にざまを見て兵たちに動揺が走る。
矢倉の上にいた兵は慌てて盾の後ろに隠れる。再び十兵衛が引き金を引くと、放たれた銃弾は盾を貫いて背後にいた兵に命中する。
「新型の国友筒の十六匁玉だ。そのような盾などないも同然」
分厚い樫の板でできた盾は真っ二つに割れていた。
矢倉から兵が転げ落ちるように逃げ出す。斬り死にするならばともかく、矢玉に撃たれて死ぬのは恥でしかないと考えるものが多かった。
北からは加治田衆を率いて佐藤忠能が迫りくる。彼らはこの周辺を行き来しており、堂洞周辺の地勢にも詳しい。山のふもとに布陣し、攻め上る時を待っていた。
「かかれ!」
森三左衛門が采を振るう。眼下には関の兵が駆けていく。その側面を突く形になった。
「撃て!」
正面をふさぐため先陣に対して川尻与兵衛が鉄砲を打ち込む。足が止まった瞬間に森衆の先陣を率いる各務元正が喊声を上げて敵中に突き込む。
「続けええええい!」
鬼兵庫と呼ばれる武辺を存分に示す戦いざまであった。長井衆は頭役である道利がすでに亡いこともあって脆く崩れ立つ。
「援軍はすでに敗れたでや!」
長井の家老の首がさらされると城兵が動揺する。しかし開城には至らなかった。
「かかれ!」
総攻めが開始された。森勢は西側の大手から攻め寄せる。南からは川尻、明智の両名が鉄砲を打ち込む。
各務元正が槍を振るい、出撃してきた城兵と渡り合う。死兵と化した城兵は城主である岸信周を中心に荒れ狂う。
「ものども! 我らが武辺を示すは今でや!」
「おおおおおう!!」
「ちいっ、死に狂いを相手にするは分が悪いでや。鉄砲衆、撃てい!」
銃弾が叩き込まれ、城兵は将棋倒しに倒れ伏す。矢が刺さり、おびただしい手傷を受けようとも岸勘解由信周は槍を振るい続けた。
敵味方合わせおびただしい数の手負い死人が出ても戦闘は続く。
通常であれば、互いを滅ぼすまでの戦いと言うのはめったに起きない。家名を残すことが武家において最も重要なことだからだ。
故に、圧倒的不利な情勢になったらまずは血筋を残すように動く。この場合は幼い子を逃がすなどだ。
そして真っ先に嫡孫を斬って覚悟を示すとやってしまった。それゆえにもはや後には引けなくなってしまったのである。
利き手に深い傷を負い、戦いを続けられぬと悟った嫡子信房は、矢倉にあがって十文字腹を切って果てる。
北から攻め寄せた加治田衆は、搦手門を打ち破って城内に殺到する。
火の手が上がり、城館が燃え盛る中、城主夫妻は自害してようやく戦闘が終わった。
堂洞の根切りは、美濃国衆を大きく動揺させ、連鎖的に反乱を招いた。結局信長がそれらを鎮定するのに多くの時を費やすこととなった。
堂洞の戦いは信長に苦い思いを残すこととなったのである。
二年後、永禄元年。ようやく美濃中部は平定された。北部は早い段階で降り、稲葉氏が北方城に入ってその旗頭となる。
同時に三木氏とは盟を結んだ。斯波の伝手を頼り、姉小路家の家督を継ぐ添え状を書くことで、優位の盟を結ぶことに成功する。
美濃東部は遠山氏と争っていた明智氏の救援に成功した。
その際、援軍に来ていた妻木氏と縁を結ぶこととなり、十兵衛はついに妻を娶ることとなる。
「鉄砲狂いの十兵衛もついに年貢の納め時でなん」
「嫁様は東美濃一の美女と聞くがなん」
「それが疱瘡にかかってのう、あばたが残ってしまったと聞くぞ」
「それでは十兵衛と言えども難しかろうがや」
「それがのう、約束したからと言うことでそのまま嫁にしたそうでや」
「いかさま、彼の十兵衛であればそうであろうで」
「うむ、あ奴は鉄砲さえ撃てればあとはどうでもいいのであろうが」
いろいろと人々の口にあがりはしたが、十兵衛とその妻は睦まじく暮らしたという。
明智十兵衛は将才を示し、信長の絶賛を受けた。
「十兵衛のいくさの進退、まことに巧みでや。武功ひとかたならぬものにてその功を賞するものである」
これにより、十兵衛は東美濃攻略を任されることとなった。一介の馬廻りであった彼が実家の明智城を安堵され城主となり、さらには与力を任されて一軍の将となったのである。
信長の兵力を背景に遠山七党を分断し、硬軟織り交ぜた対応で、半分を降し、残りも優位な盟を結ぶことができた。
美濃一統に多大な功績があったとして、美濃中央部に広大な所領を与えられ、さらには明智家は土岐の傍流であったことより、信長の美濃支配の名分ともなったのである。
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