美濃平定
「一色右兵衛太夫竜興にございまする」
「で、あるか。楽にするがよからあず」
美濃国主、一色竜興が清須の城に参上した。
降伏の意を示してから数日のことで、長良川で多くの将が討たれたことと、父である義龍の遺志でもあった。
すなわち、「美濃の民をいたずらに苦しめるは国主たるもののすることではない」と言うことであった。
「稲葉山の城は明け渡し、儂は腹を切る覚悟にて」
まだ数えで八歳の子供が身を震わせながら言上する様に、広間に集った織田家臣らも痛ましさを禁じ得ない。
稲葉、氏家らは目の前の床を見つめ、旧主のみじめなる有様を見ぬようにしていた。
「喜太郎よ。おのしゃあ我が甥でや」
殿の言葉にぽかんとした表情を返す。
「それはいかなる意味にてございまするか?」
「そのままだでなん。そなたの父上とは行き違いがあり、干戈を交えることとなったが、我が妻の兄であるでや。その子たる喜太郎は我が甥である。何かおかしなことかや?」
「しかし!」
「喜太郎よ。本来ならばそなたの歳で元服やら腹を切るだのはおかしな話でや。我がそなたの歳であった頃は、津島に入り浸ってそこな小姓どもと悪さをしておったでや」
おかしそうに笑う殿と、渋面を作る平手様の対比に家臣たちからも笑い声が漏れる。
「おう、あの頃の吉法師が悪さには頭が痛かったでや」
笑いを隠さず大殿が告げる。広間の空気は和やかなものになっていた。
「おう、親父殿に甘えて好き放題させてもらっておったわ」
普段はここで親子喧嘩が始まるのだが、殿がしれっとそれを認めたため、大殿は目を白黒させる。
平手様は手拭いを取り出し目もとをぬぐい、泣き笑いの表情を見せる。
「何が言いたいかと言うとじゃ。まだ早いでや」
「は、はいっ!」
「まだ頑是ない子に責任を取らすとか詰め腹を切らせるようなことはせぬ。どこかの大将がいうておったであるが。情けは味方仇は敵となん」
それは甲斐武田の家訓のようなものと聞く。人の和を重んじることを是とするものであった。
「故にそなたは我が舅たる道三殿に預けるでや。世を学び、もののふとしてその足でしっかりと立つことができるようになってから身の振り方を考えよ。父の仇を討とうとするならばそれもよし」
「……かしこまりました。では、今の存念を申し上げまする」
「申せ」
「父のことは弓矢の家の習いなれば恨みに思うことはございませぬ。まずはしっかりと学び、叔父上の家臣となるべく努めさせていただきたく」
「で、あるか。好きにするがよからあず」
「はっ、それまで竜興の名は叔父上にお預けいたしまするに」
「なかなか気の利いたわっぱでや。舅殿の血は争えぬでなん」
ふと道三殿の方を見ると、手拭いで顔を覆って肩を震わせている。マムシと呼ばれた非情の男でも孫は可愛い。むしろこれまで情を殺して生きてきたが故かもしれぬ。
ぽんと肩を叩き、笑みを漏らす大殿も素晴らしき方であった。
「どうじゃ、うちの息子は。よき男に育ったであろうが」
「ふん、うちの孫もみごとであったろうが」
「であるな。よき嫁を貰って一皮むけたであらあず」
「まことにのう。うちの娘にふさわしき大器であるな」
このやり取りは互いの耳にしか聞こえず、また余人に話すこともなかった。
「稲葉山に拠点を移す」
唐突に告げられた一言に場がざわめく。
「いまだ美濃は情勢明らかならず、危険にございまする!」
「だから我が行くのでや。危険だと尾張に引きこもっておればいつまでも美濃は治まらぬでなん。義兄上の遺志を継ぎ、美濃の民を安堵せねばならずでや」
並みのものが言えば、ただの建前であるが、殿は本気でそれをなすべく動く。そういう方である。
「舅殿、隠居料として鷺山にお入りくだされ」
「婿殿に知恵を貸せばよいでや?」
「お頼み申す」
「よからあず。いつまで役に立てるかわからぬがのん」
「働かずにおるとボケますでや」
「くくっ、憎まれ口をたたかずともおのしが性根はわかってるでや。なにしろ日を置かずに蝶から文が届いておったでなも」
「んなっ!?」
そのやり取りに、大殿が盛大に吹き出した。
「信長よ、完全に尻に敷かれておるでや……ぶひゃひゃひゃひゃひゃ!」
「うるさいでや!」
「がはははははははははははは!!」
翌月、殿は稲葉山に入った。殿の学問の師である沢彦禅師は瑞龍寺に移り、美濃動座に付き従うこととなった。
「我に従う者は所領安堵をいたす。従わぬものは兵を挙げよ。叩き潰してくれるだわ」
西美濃の豪族どもは真っ先に人質を差し出した。稲葉、氏家、不破、安藤らがすでに織田に降っており、長良川のいくさで織田の強さを骨身にまで叩き込まれている。
そんな中、長井道利に仕えていた大島雲八が参上してきた。先日のいくさで儂に矢を射こんできた武者であった。
彼は美濃一の弓の名手として知られ、すぐに馬廻りに加えられた。殿は大喜びで、大島に弓術を学び始めた。
東美濃では木曽川沿いの城主も同じくすぐに降ってきた。川並衆とよしみが深く、その商売で利を得ている者たちは織田に従う利が大きい。少なくともそむけばすぐにでも攻め滅ぼされることも明白であった。
信濃国境沿いと、美濃北部の豪族は向背を定め切れずにいた。鵜沼、猿喰は降伏開城していたが、長井道利の関城から東のかた、加治田の佐藤、堂洞の岸が不穏の情勢をあらわす。
三家は盟を結び、独立勢力として織田に反抗してきた。
「よからあず、なれば攻め滅ぼしてくれるだわ」
殿はそう宣言すると、犬山より兵を繰り出した。先日降った鵜沼の大沢らが加わり、四千の軍勢が堂洞上に向けて迫る。
兵を率いるのは森、丹羽、金森らに加え、末森衆より明智十兵衛が参陣していた。
岸は堂洞に籠城の構えを取り、佐藤に援軍を要請した。
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