長良川再び
大垣城を囲んでいた一色勢は東へ退き、長良川を前に布陣した。尾張衆を迎撃に出た軍は大打撃を受け、再編しているが物頭を多く討たれたこともあって軍勢としての体をなしていないようだ。
「柴田様の後ろ巻き、ありがたきことにて、命を拾いましてござるだわ」
安藤守就は矢傷を負い肩にさらしを巻き、血の気の失せた顔つきであった。
「うむ、我が殿よりは籠城にて下知が行っていたはずだがなん?」
「面目なき次第でや。義龍めは狡猾にもわずかな兵でこちらに現れ、さんざん此方をののしったのでございまする」
「うむ、挑発して兵を出させるが目的であろうがなん。見え透いた策でや」
一部の兵が挑発に乗って先端が開かれた。そして敵が蹴散らされる姿を見てさらに多くの兵が出た。
そして伏勢にあって四分五裂のありさまとなったという。
道三殿の申すことは当たっておると思った。こやつは小勢を率いておれば巧みだが、軍勢を率いるほどの力量はない。
「では安藤殿には先陣を任すだわ。不破殿には後ろ巻きをお願い致す。我が柴田衆は中段に構えるでや」
不破殿は城を固く守っており、大垣が持ちこたえたのは彼の仁によるところが大きい。安藤殿は不覚を取った汚名を返上するために死に物狂いで戦うだろう。
「承知仕った」
慇懃な態度をしておるが、内心ははらわたが煮えくり返っておろう。少なくとも己が失態で儂にこの戦を牛耳られることとなった。
主導権を握れなければ仮に勝利をおさめたとしても、自らの実入りを増やすことが難しくなった。
となれば、この戦いで手柄を立てるほかない。それこそ大将首を上げるほどの大手柄がいる。
一色の軍勢は義龍自らが率いる井口、加納の兵が主力だ。そして……両翼には稲葉、氏家の旗幟が上がっている。
「ふん、織田に美濃を取られたくないのであろうが」
安藤が吐き捨てるように言い放つ。こやつは何もわかっておらぬ。
「して、おのしらが反旗を翻したわけを聞こうでや」
「反旗とは……」
「安藤殿、おのしが主は誰にてあらあず」
「……山城守道三様にござる」
「なれば、なぜ尾張に参らぬ? 猪子殿などは美濃より尾張にて道三殿にお仕えしておるがのん」
「我が伝来の所領は……」
「うむ、その一所を安堵しおるは義龍でや。すなわちおのしは義龍の家来であろうがや。まあそのあたりはあいまいになっておるであろうがなん」
「左様にござる。なればここに明かしまするが、税にござります」
「ほう?」
「義龍めは税を上げおりましてなん」
「それはいかほどでや?」
聞きだした話では、土岐家が美濃を治めていたころに戻すと言うものであった。道三殿は自らに従う者にはそこよりかなり安い上納としていたようだ。
義龍の言い分は、斎藤より土岐に戻ったのであるから、土岐のころと同じ税を課すと言うものであった。
「理屈としては通っておらぬこともないがのん」
「でありますが……」
「まあ、御恩と奉公が武士のよりどころ故な。おのしの言い分はある意味もっともだがや」
「ははっ」
「なれば殿は道三殿と同じ条件でおのしの所領を安堵するとでもおっしゃられたのであろうがのう。さらに手柄次第で加増とも言われたか」
「ははっ、おっしゃる通りにて」
「まあ良い。おのしが手柄を立てれば細大漏らさず殿に言上いたそうず」
「よろしくお頼み申す!」
安藤は自らの陣所に戻って行った。
陣幕の裏に控えていた久六たちが戻ってくる。
「……哀れであるな。しかしこれも 乱世の習いでや」
儂のつぶやきに半兵衛が応える。
「清須の殿は手ぬるきことはしないお方でありまする。安藤だけに調略の手が伸びているとは思えませぬな」
「西美濃の旗頭がすべてここに集っておる。そして東美濃は犬山がにらみを利かせておる。なればそれこそ直属の手勢しか引き連れておるまいが」
久六の言に覚悟が決まる。
「ならばあの軍勢を破ればよいのでや」
「うむ」
久六が右拳を左手の平にたたきつけて気合を入れる。
「半兵衛、策でや!」
「おそらくすでに死命は決しておりまする。戦端が開かれれば、両翼の二人は寝返り、左右から本陣を突くでしょう」
「……うむ、左様にてあらあず。なれば陣を矢形にせよ。一気に突き破るだわ」
「御意」
押し太鼓が連続して叩かれる。先陣では安藤が采を振るい、自ら槍を振るって突撃した。
「かかれ! かかれ!」
義龍はすでに自らの命運を悟っていたのか、自らも槍を振るって戦う。
しかし、両翼が動かない。そして先陣が潰走すると同時に、左右から義龍本隊に向けて攻撃を始めた。
義龍は辛くも虎口を脱し、稲葉山へと退却に成功する。戦闘のさなかに深手を負ったとのうわさも聞こえてきた。そしてそれはおそらくまことであろうとも。
殿を引き受けた長井道利は討ち死にを遂げた。そのまま余勢を駆って稲葉山のふもとまで攻め寄せたが、長く城を攻囲するには準備が足りないという藤吉郎の具申を受け、退き陣を命じた。
このいくさによって長良川の西岸地域はすべて織田の支配下にはいることとなった。
「左様か、あのたわけめが」
濃尾国境付近まで様子を見に来ていた道三殿は、此度の顛末を聞いて寂し気につぶやいた。
「儂がどれほど苦労して国衆を統制しておったか、土岐の名を出して簡単に従うならば苦労せぬわ」
「人の心こそが最も厄介なものにございますなん」
「うむ、人は欲を捨てられぬゆえのん。さればこそ争うでや」
「しかしその欲は前に進むためにも必要でありますわな。より良き先行きをつかむもまた欲にてあらば」
「ああ、左様であるな。しかし人々は今しか見られぬ。明日のことなど誰もわからぬ。それこそ加賀の一揆がその最たるものであろうがなん。今生に望みがないゆえに死を厭わず、極楽浄土なるものを信じて命を捨てるでや」
「欣求浄土厭離穢土にございまするか。しかし殿は、なればこそ今生の衆生を救わんと成されておりまする。人が相争うは結局のところ生きたいがためでありましょうず」
「明日を見る。それこそ得難き資質と言うものかもしれぬなん。婿殿はこの腐りきった世を救わんと戦っておるか」
「そこまではっきりとは見えておりませぬやもしれませぬがなん。しかしながら、我欲にまみれ、人を顧みぬ振舞にことさら怒りを覚えると見えまするに」
「おお、そのとおりだがや。それを言うならば儂などどれだけの者を我欲によって滅ぼしてきたかのう。地獄行きは間違いないがや」
「されど、道三殿のやりようは百姓を救いましたでや。楽市を設け、不当なる年貢より村を救った。殿はそのやりようを真似たとも申しておりましたでなん」
「くく、悪党はのう、甘言をもって人を陥れるでや。みな儂に騙されておるわけであるというわけだがや」
ニヤリと笑みを浮かべて道三殿が告げるが、偽悪の声音が含まれておるように思えた。
ひと月のあと、一色義龍は戦の傷がもとで死んだとのうわさが届き、嫡子であった喜太郎が元服して後を継ぎ、一色右兵衛竜興を名乗った。そして織田にではなく、祖父である道三に対して降ると使者を送ってきた。
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