埋伏の計
誤字報告ありがとうございます。
物見の報告によると、井口を出た一色勢は、あえて兵を二つに分けていたそうだ。
そこで兵が少ないと思い込んだ安藤は決戦を挑み、別動隊に側面を突かれて壊滅したそうだ。
そのまま援軍に向かっている尾張衆に向けて進軍しているという。
すなわち我らのことだ。
「敵勢は七千。こちらは四千ほど。尋常の取り合いならば退くが常道なれど……」
「敵はこちらを包囲しようと分散しております。権六様の武辺ならば打ち破ることもたやすいでしょう」
半兵衛は子供らしからぬ口調で告げる。だがこやつは戦の何たるかを分かっておらぬ。耳学問や書物に書かれておらぬこと。すなわち……。
「だが多くの兵が死ぬでや」
「戦多き世ならば致し方ありませぬでありますなん」
そういうものではない。だがこやつは実際にその目で見ねばわからぬであろう。
斬り合いにも似た雰囲気に陣幕の仲は張り詰めた空気に満たされる。
そこに物見が駆け込んでくる。
「敵先陣、間もなく姿が見えまする!」
この状況で退却すればさらに多くの兵が討たれる。
「藤吉郎。おのしに後備えの兵を預ける。半兵衛、そなたも藤吉郎と共に退け」
「承知いたしましたでや。……権六様、一刻ほど持ちこたえさせてくだされ、あとはここと、ここを通って駆け抜けてくだされ」
「……よからあず。おのしが策に乗ってやろう」
地図の上で半兵衛が指し示した地点は、草むらや林があり、兵を伏せやすい。故にこやつの言に乗ってみることにした。
「敵先陣、きましたでや!」
「九郎、十兵衛!」
「合点でや!」
翼を広げるように左右に布陣した鉄砲衆が下知に従って一斉に引き金を引く。
訓練を積んだ鉄砲足軽たちはいちいち狙いをつけるのではなく、将の指し示す方向に筒先を向けて放つ。
狙い撃ちをするだけの技量を身に付けさせるには相当の修練がいるが、そこまでの訓練を課すには時間と費用が掛かりすぎる。
そして今回の布陣は十兵衛が考えに考え抜いた鉄砲隊の陣形だ。ただ、これを行うのにあたって一つ問題があった。
それは熟練した鉄砲衆を指揮できる将が二人いることだ。そして殿の直臣で鉄砲衆を率いていた塙九郎は申し分のない技量の持ち主であった。
こちらにつながる道の真ん中に、一本の槍が突き立てられている。敵兵がそこを通過した瞬間、両翼から同時に采が振られた。
「撃てい!」「撃て!」
合わせて二百の筒先が一斉に火を放つ。敵も鉄砲の備えはしていたはずだ。しかし斜め方向から、しかも十字を描くようにさらされた砲火は、敵先陣の兵を斬り裂いた。
「弓衆、防ぎ矢でや!」
最前列の足軽衆の背後に並んだ弓衆が矢継ぎ早の妙技を見せる。
砲火をかいくぐった兵が殺到しようとしてきた兵は矢で足を止められる。そこに再び鉄砲衆が射撃した。
断末魔を上げバタバタと倒れ伏す敵兵はひるんで足を止める。
「槍衆、かかれい!」
「おおおおおおおう!」
利家は兵の中央に立ち兵を叱咤する。先手大将に任じた故に先頭に立っての突撃は禁じた。
その言いつけを守って今にも走り出しそうなるのをこらえているようだった。
「くく、儂にも覚えがあるでや」
そばにいた久六が苦笑いを浮かべる。
「殿と利家は親子のように似ておるでなん」
「息子がおるならばあのような良き武者にしたいものであるがなん」
「それはいずれあ奴に聞かせてやるがよからあず。利家は殿を親父殿と呼んで慕っておるでなん」
「お、おう。まことかや。それは……うむ」
「おう、敵の先陣が崩れたでや。殿、好機にございまするに」
「うむ、突撃じゃ!」
馬廻りが突撃を開始する。
「殿、我らも行きますでや」
馬廻りに加わっていた佐々内蔵助が槍を構えて突き進んだ。
「進め、進め、進めえええええええええええええええい!」
内蔵助は先頭に立って槍を振るう。敵を追い散らした。
「敵の第二陣がうせおったでや!」
戦況を見ていた利家が叫ぶ。
「仕舞いでや! 者ども、退け!」
儂の命に従って陣鐘が打ち鳴らされる。兵たちは足を止め、手負いをかばって退いた。
「手負いは先に行け!」
「あとは任せよ!」
佐久間半介が自らの手勢を率いて槍衾を敷く。
戦場で倒れ伏す兵の姿を見て後続の兵の足が止まった。至近距離で放たれた銃弾は兵の身体を貫き、無残な死にざまを見せる。
頭蓋が吹き飛ばされた亡骸を見て兵たちは明らかにおびえた表情を見せた。
「まあ、儂とてこのような死にざまは御免被りたいものでなん」
追手は長井道利の旗を掲げている。
先頭にいる兜の武者が長井であろうか。怖気づく兵を叱咤しているようであった。
向こうからもこちらが見えたのであろう。儂を指さして何事かを告げると、数名の武者が前に出る。
弓に矢を番えて放つ。矢はこちらに届かず途中で勢いを失って落ちるが……一本だけこちらに届きそうな矢があった。
「ぬん!」
槍を振るって矢を叩き落とす。
「なんたる弓勢……」
普通は届かないような距離から矢を放って届かせるうえ、あの矢がそのまま進んでいれば儂の眉間を貫いていた。
「那須与一がごとき腕前でなん」
「うむ、斯様なる武者がおるとは、油断ならぬでや」
敵はそこに足を止めたため、そのまま兵を退かせる。すると、なにやら勢いづいたか、敵は追撃を始めた。
「走れ! 敵にかまうな! 走るでや!」
足軽どもは息を切らせて走る。算を乱して逃げるように見せかけるのは、岡崎のいくさの時に喜六様に仕込まれた通りであった。
「かかれええええい!」
藤吉郎の大音声が響く。手槍をかざして叫ぶ姿は、いっぱしの将領のように見えた。
敵は側面に攻撃を受け、迎え撃つため足が止まる。
「敵は小勢でや。一気に蹴散らせ!」
長井が兵を叱咤する。藤吉郎の率いる手勢は荷駄隊の護衛に付いていた武者どもで、百に満たない。
最初の戦いで数百は討ち果たしたが、それでも一色の兵は五千以上いる。
前衛部隊が前に出て、藤吉郎の兵が飲み込まれようとする寸前、横合いから矢を射かけられて混乱した。
「兄者を討たすな! 者ども、いけええええ!」
普段あまり声を荒げぬ小一郎が必死に矢を放ちつつ足軽を叱咤する。
「ここです。馬廻り衆は権六様の命令として敵の背後に回しておりまする」
いつの間にか儂の背後にいた半兵衛が声をかけた。
「うむ、よかろうず。この場はいかがいたすでや?」
「佐久間様の兵で正面を遮断します。のちに、背後に回った馬廻りと呼吸を合わせて本陣備えでとどめを」
「うむ、そなたはいかがいたす?」
「能うならばおそばにて采を振るいたく」
「儂の側と言うのは刀槍入り乱れる場でや?」
「はっ」
「いくさ場で一番多く死ぬ理由は知っておるかや?」
「……いいえ。刀か槍でございましょうか」
「矢でや。討ち死にのほとんどは矢傷にてあらあず。そして前に出るということは流れ矢に当たることも増える」
「……承知。さればそこまでの武運とあきらめますれば」
「わっぱのくせに分別臭いことを言うでや」
「我らのような土豪はそうならねば生きていけませぬ。故に兵書に親しみ軍略を身に付けましてございまするに」
「よう分かったでや。そなたはいくさが嫌いであるかのん」
「はい、それゆえに、いくさを終わらせることのできるお方を探しておりまするに」
「なれば我が殿に仕えよ」
「はい。この戦いは、我が試金石と考えました。なればこの不利な情勢を覆してこそ、清須の殿に面目を立つることが能いまするに」
「よからあず」
そのとき、敵勢から見えぬ草むらを迂回した馬廻り衆が敵の側面を突いた。先陣は半介の手勢に遮られ、左右より木下兄弟の攻勢を受けて半ば包囲された格好になっている。
それゆえに後詰を出そうとするが、道は狭く、林と草むらが進軍経路を阻んだ。逆に言えば遮蔽物が多く、鉄砲はその効果が見込めない。故に後ろ備えに残してある。
「儂も参陣いたすでや」
「九郎殿。貴殿は十兵衛と共に川の渡しに伏せるように申し伝えてあったがのん?」
「十兵衛殿なら一人でその任を果たせましょうず。儂は武功稼ぎに参ったでなん」
「なればこやつを引き受けてくだされぬか?」
「うむ……? いくさ場に稚児を連れ込むは趣味がようございませぬぞ?」
「わしゃあ妻一筋だでや!」
「っと、こやつは竹中の息子にてございますな。なにやら漢籍や兵書を読み漁るとか」
「この手回しはこやつでや」
「なるほど……なれば権六殿は兵の指揮に専念されよ。儂は残った馬廻りを率いて合戦いたすでや」
こうして敵先陣に向け塙九郎殿が突撃をかける。鉄砲のみならず槍を振るっても見事なものであった。
狭いところに押し込められ、身動きが取れないままに包囲された敵勢は、わざと開けてあった一点より退却を計る。しかしそれこそが最後の伏勢の真ん前を通ることになった。
「長井は討ち漏らしたが、兜首が……うむ、数え切らん」
兜首百以上を数え、こちらの損害はわずかと美濃衆相手にここまで一方的な勝ちは初めてのことであった。
逃げる敵勢を追いかるうちに、何とか体勢を立て直した安藤伊賀と合流を果たしたのはその三日後のことであった。
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