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旋風の如し

喜六無双

「敵は順調に罠にかかってくれたようだね」

「はっ。南西からの偽兵に慌てふためいておりもうす」

 馬上で戦況を見る喜六様は、初陣とは思えぬほどの落ち着きを見せていた。吉良勢を装った兵にもひと備えが向かっていく。

 敵の兵力を分散させることに成功したことで喜六様は一つ息を吐いた。


「うん。で、お願いがあるんだ」

「ははっ、なんなりと」

「僕はいざ白兵の戦いとなったら雑兵にすら敵わない。こんな形だからね」

「では?」

「権六は僕の隣にいてほしい。大丈夫、勝てるよ」

「承知いたましたでや」

 儂がうなずくと喜六様は満足げに頷く。

 喜六様は陣羽織のみを身に着け、脇差だけをその身に帯びている。総大将が槍を振るって戦うのは負け戦だと言ってよい。敵は二万、こちらは岡崎衆を入れても七千ほど。三倍の敵を相手どらねばならぬ。


「雪斎は誤った。岡崎に抑えの兵を残して、全軍でこちらを叩くべきだったんだ」

 喜六様は常と変わらぬ表情でつぶやく。


「敵先陣、向かってきてござります! 旗印は朝比奈!」

「ひと当てしたら退く」

「はっ!」

 末森衆の前衛は佐久間衆が務める。


「弓衆、構え!」

 佐久間久六が前線から響くような声を上げる。

「放てええええい!」

 満月のように引き絞られた弦がビンと音を立てつつ矢を弾き飛ばす。弧を描いて飛んだ矢は驟雨のように敵陣に降り注いだ。

 荒子雑兵らが盾をかざして矢を防ぐが隙間をすり抜けた矢が足軽どもに突き立つ。

 運悪く顔面に深く突き立った矢は断末魔の暇もなく兵の命を奪う。

 印字打ち(投石)はあらかじめ石の形を叩いてとがらせてある。兜に当たれば脳を揺らして気絶させ、むき出しの部分に当たれば肉をえぐった。


「投石器はうまく使えているね」

 あらかじめ石投げに長けている兵を集め、手拭いを使って石を遠くに投げるやり方を教えていた。

 投げ上げられた大きな石は盾を割り、下の兵を押しつぶす。

 

「槍衆! 構えよ!」

 三間半の槍を掲げる足軽ども。穂先がぎらりと陽光を跳ね返して輝いた。

「叩けええい!」

 柄をつかんでいた手を離すと、槍の穂先は前に向けて倒れていく。高所から落ちる槍身は、足軽の陣笠を叩き割る。具足もこの重量相手には役に立たず、切り離された手足が陣場にはゴロゴロと転がる。

 長槍をかいくぐった敵兵が刀を抜いて突進してくる。そこを槍衆の背後にいた短弓兵が水平射撃で射すくめる。


「なにをしちょるか! 押せ、おせえええええい!」

 馬上で朝比奈備中が怒号を上げ、叱咤する。その叱咤にこたえ、兵たちも喊声を上げて獣のように迫りくる。


「頃合いじゃの。槍衾構えよ!」

「おおう!」

 槍衾の兵を三段に構え、間に弓兵が入る。

 防ぎ矢をしつつ槍衾を入れ替えて徐々に下がっていく。


「へえ、あれが退き佐久間の繰引きの陣か」

「半介が考えた陣立てにございまする……退き佐久間?」

「ああ、殿は難しいからね。殿陣の達人は相応の勇名じゃないかな? 二つ名ってやつだ」

「半介も喜ぶことにございまするに」

「ああ、そうなれば、権六は何かね? かかれ柴田かな? ……っとそろそろ頃合いだな。全軍、逃げろ!」

「喜六様、言いたいことはわかりゃあすが……」

「何、やることは変わらないさ」

 敵の圧力に負けて槍衾が崩れる。前線が乱れ裏崩れを起こす。ように見せかけた退却をこれまで何度か訓練していた。頑強な陣がほころびを見せたことに敵将がくらいつく。


「今じゃ! 全軍、掛かれ! かかれえええええええええい!」

 今川全軍の半数が一斉に突貫してきた。それは津波のような勢いですべてを飲み込まんと押し寄せる。最後尾にいたいくばくかの兵が飲み込まれたが、なんとかわずかな距離を開けることに成功した。


「急げ! 駆けあがれ!」

 喜六様は先頭を走って、目の前の坂を駆け上がる。その場所は何度となくいくさが繰り広げられた地で、名前を小豆坂と言う。


 坂を駆け、登りきったところで反転し、槍衾を敷く。

「ここでや! 坂を上り切った敵兵は息が上がっておる。叩き落とせ!」

 喜六様の命に再び陣が敷かれ、追い首狙いの敵勢は急な反撃に驚き足を止める。そうなると後ろからきている兵に押され、身動きが取れなくなる。


「鏑矢を」

「はっ!」

 旗本の武者が鏑矢を飛ばす。甲高い音を立てて矢は虚空に消え、直後に敵陣の左右からわっと喊声を上げて伏勢が切り込む。

 そしてここで一つの奇跡が起きた。

 木の上に上がっていた鉄砲兵が放った一発の弾丸が、朝比奈備中の兜を打ちぬいたのだ。大将の突然の討ち死にで寄せ手は大混乱に陥る。正面は遮られ、あとからあとから兵が押し寄せる。そして、密集し切って身動きが取れないところに左右から襲撃された。

 戦うにもある程度の隙間がいる。一切身動きができないところに矢が射込まれる。盾をかざすこともできない状態で次々と兵が斃れていく。


「撃て撃て! 撃てば当たるぞ! 今なら武功稼ぎ放題だぎゃ!」

「突け、突けええええい!」

「撫で切りにせよ! 敵は乱れておるぞ!」

 身動きの取れない敵兵相手に容赦なく矢が降り注ぎ、槍が突き出され、白刃が振り下ろされる。寄せ手は反撃することもできぬまま次々と討たれていった。

 

「……これは戦にはござらぬな」

「ああ、ただの殺戮だ。だから権六には前線に出てほしくなかった」

「ははは、儂は逃げるのが苦手ですからの。この罠に追い込む前に敵を蹴散らしたやも知れぬでや」

「ははは、冗談に聞こえないね」

「儂は冗談などいうことはありませぬでや」

「そ、そう。うん。そろそろだ! 敵の後方の足が止まったぞ! 押し返せ!」

「喜六様」

「ああ、行ってくると良い」

「行って、来る。ああ、承知仕ったでや」


 騎乗のまま先陣に出る。

「儂に続け! 掛かれ! すわ、掛かれええええええい!!」

 眦を決し声を張り上げる。槍を振るい、目の前の敵兵を突き伏せる。

「柴田権六が参ったでや! 者ども、出会えい!」

 槍を振るうと最前列にいた物頭の首が飛ぶ。

「柴田殿に続け! あの忌まわしき雪斎坊主の首を取るは今でや!」

 

 槍を振るいながら敵を蹴散らし前進する。

「進め、進め! かかれえええい!」

 槍先を前に向け兵を叱咤する。

「うりゃうりゃうりゃあああああああ!」

 孫四郎が兜を付けた立派な風体の侍と渡り合い、その首を取った。

「孫四郎、見事でや!」

「一つでは足りませぬでや。次の首持ってくるでや!」

 幼名を犬千代という孫四郎はまさに猟犬のごとき剽悍さで敵中に斬りこんで行く。

「そりゃあ、旗本ども。孫四郎におくるるな! 敵の首取って儂に見せるでや! 必ずや殿に言上して褒美をもらってやるだがや!」

「おおう!」

「突き抜けていけええええい!」

 儂と手勢は敵陣を突き抜けた。坂を転げ落ちるように逃げていく敵兵を追い立てるように突き進む。


 崩壊した前備えを見て城を囲んでいた敵兵に動揺が走る。

 大手門を押さえていた敵備えに向けて一手が襲い掛かった。城門を向いて配置された備えは、背後ががら空きの状態である。

 一突きの攻撃で大手門をふさいでいた敵兵は四散した。


「遅いでや! 城を取り巻く兵を蹴散らして回るぞ!」

 後ろ巻きを迎撃に出た兵がまさか敗北するとは思っていなかったのであろう、城を取り囲む兵は城兵の方を向いて配置されている。野戦の備えになっていないのだ。

 

 城外での戦いをみて、岡崎衆が打って出た。城外の備えを食い破り、今川軍は四分五裂の様相に陥る。


「我は本多平八郎でや!」

「酒井小五郎でや、出会えい!」

「血槍九郎の前に立つ武辺者はいるか!」

 松平家の勇士たちがこぞって今川の陣中に切り込む。

 

「本陣はあれでや! 続けい!」

 先手大将の朝比奈備中が討たれ、本陣備えも動揺しているのか足並みがそろっていなかった。

「なんじゃ? やけに脆いが……」

「殿、陣幕の周囲に兵が固まっておるでや」

「うむ……うぬっ?」

 備えの中央にいる武者が白旗を掲げていた。


「者ども、待て」

「はっ!」

 儂の周囲に馬廻りどもが集まって陣を敷く。その身ごなしはわずかな油断もなく、見事なる振る舞いであった。


「此度のいくさ、我らの負けを認める」

「その方は何者でや?」

「朝比奈左京亮と申しまする」

「備中殿のせがれか」

「左様。父は討ち死に、雪斎和尚も身罷ってござる」

 朝比奈左京が合図すると陣幕が開かれた。そこには血を吐いてすでにこと切れている雪斎坊主の姿があった。

「和議を望むかや?」

「左様にて。これ以上の戦いはもはや意味を成しませぬで」

「勝手なことを抜かすな!」

 儂の大喝にもひるまず、泰然とした態度をとる。敵ながら見事な胆力であった。


「鉦をうたせよ。仕舞でや」

「はっ!」

 本陣の喜六様のもとに使い番が走り戦闘の中止を告げる。陣鐘が打ち鳴らされ、互いの陣営同士で兵たちが分かたれていく。

 手負いの兵が朋輩に助けられ、戸板に乗せられて後送される。血の熱狂から覚めた負傷兵たちの呻吟は身も凍らせるほどであった。

 それも勝ちいくさの熱狂で痛みを忘れて兵たちは歓呼の声を上げる。

 激しいいくさに疲れ果てへたり込む者たち。そんな中でも儂の馬廻りは周囲に目を光らせていた。

 その姿を見た朝比奈左京は槍を投げ捨てる。


「刺し違えてでも貴殿を討ち取ろうとしていたのですがな」

「雪斎和尚の最期の策であるか」

「左様ずら、和尚が亡くなったと知れば勝ちと信じ気が緩むであろうと申し上げられました」

「残心」

「うむ?」

「刀を振るった後も心をそこに残す。さすればあらゆることに対応できる。そういうことにてあらあず」

「その心得、儂に聞かせても?」

「よからあず。侍なれば知っていてしかるべきことだでなん」

「ありがたきことだで」

「うむ、それに貴殿くらいしかおらんでや。このいくさを取りまとめられるのはのう」

 甚大なる損害を被った今川勢は三千余りの死者を出していたという。

 この時の喜六様が行った用兵は、埋伏の陣と名付けられた。儂の突撃は敵兵を跳ね飛ばし、蹴散らし、まさに旋風のごとしと評された。


 今川の侵攻をくじいたそのころ、美濃でも戦いが繰り広げられていた。

読んでいただきありがとうございます。

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[一言] ヤンがいるぞ
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