暗雲たれこめて
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東三河が何やら騒がしいと殿から伝え聞いた。もともと今川の勢力下にあった土豪どもが、尾張統一の報に揺らいでいるという。
そして、喜六様がやらかした。
「竹千代? うん、ちょっと岡崎に連れて行ったけど」
「んなああああああああああああああああああ!?」
「ふふふ、権六が慌てるところを見ることができただけでも、やってよかったと思うよ」
「人質をなんだと思うておりますかや!」
「親子が離れ離れで暮らすのは良くないよね」
「確かにその通りにございまするが!?」
「大丈夫、僕の伝えたことが起これば、竹千代はまたこっちに来るよ」
「そっれっはっ、一体に何事にございまするかあああああああああああ!?」
「権六、少し声を落として。耳かして」
「はっ」
喜六様が真顔になって儂にしゃがむように言ってきた。
「松平二郎三郎殿を仕物にかけようとする動きがある」
「なっもが!?」
喜六様に口をふさがれた。
「声が大きいよ。ただでさえ権六と兄上は大声なんだから」
「……いかなる仕儀にてござるでや?」
「要するにね、松平の人たちは誰が当主でもいいのさ。それぞれの領地が守れればね。うまくすれば加増にあずかれる、それくらいの考えじゃないかな」
「広忠殿を殺した後になり替わろうと?」
「実際、広忠殿が今川に降った経緯を考えてみたらわかるよね。そもそも、今川の自作自演じゃないかなって思うんだけど。前回はともかく今回はね」
広忠殿の先代、清康殿も暗殺の憂き目にあった。そして、幼い広忠殿の後見につくという名目で、分家の者が岡崎を横領しようとたくらんだのだ。
そして今川を頼り、岡崎を取り戻したのである。
「だとすれば……?」
「今川の暗殺の手が迫っていると竹千代を使者にして伝えさせたんだ。そもそも去年も似たような騒ぎがあってね」
「なんと……」
「だから、いろいろと噂を流してやった。それで結果として、広忠殿は生きている。けども、再びおそらく今川……雪斎坊主の策だろうね。また不穏になってきた。東三河が揺らいでいるという情勢もそれを後押ししている。岡崎衆を前面に立てて安祥を攻められたらかなり厳しい取り合いになるだろうね」
「それゆえに鳴海から東へ砦をいくつも作られたのでございますか」
「そう。当家、というか尾張の生命線は伊勢湾の交易にある。もちろん東からの荷もあるけどね。熱田と津島、安濃津、さらに伊勢神宮。ここまで含めた商圏の上りがうちを潤している」
「場合によっては安祥の失陥は免れぬということにございまするか?」
「ここで今川と会戦して勝てればいいけどね。本気を出せば二万近い兵力を動員してくるだろう。尾張一国で、美濃方面の守りを無視してやっと一万。西三河を取り込めればそこで三千ほどは動員できるけど、あてにならない味方ほど怖いものはないからね」
野戦では数の少ない方が負ける。この数の差を覆して勝った例は数えるほどもない。だから有名になる。先だっては川越の後詰いくさで伊勢の兵が関東管領の八万を号する大軍を打ち破った。
「万の兵がぶつかり合うような大いくさとは……想像もつかぬがや」
「そうかい? 権六は一国を預けられる器量だと思うけどね」
「それと此度の大いくさと何の関係があらすか?」
「そうだね。ただ、今後もこういうことが出てくるから、いい経験になると思うけど」
「そういうものにてございますかのん?」
「そういうものだよ」
津島にいたはずの竹千代が岡崎に行ったと知れたのは、この話をしてから数日後で、殿が全力で馬を飛ばして末森にやってきた。
「喜六!」
殿は全身を汗に濡らし、荒い息をついていた。それこそ、着替える暇も惜しんでかけてきたのだろう。湯帷子のみを羽織り、太刀は帯に引っ掛けただけの有様だ。
馬も泡を吹いている。厩番を呼んですぐに馬の手当てをするよう命じた。汗を拭き、水を飲ませねばいかなる駿馬と言えども息絶える。
「やあ、兄上。ちょうどいいところに」
喜六様と儂は岡崎からの使者をちょうど出迎えたところだった。
「酒井左衛門(忠次)と申しまする。清須の殿へつなぎを……って、えっ!?」
松平広忠の重臣たる酒井忠次殿が来られていた。以前より喜六様がつなぎを取っていたのだそうで、隣には竹千代を伴ってきていた。
凄まじい形相で駆けこんできた騎馬武者が、喜六様とのやり取りで、先ほど面会を申し込んでいた当人だと知ったわけだ。
「三郎様!」
竹千代は笑みを浮かべて殿のもとに駆け寄る。
「おう、竹千代。息災であったかや……って違うでや!」
馬を走らせ汗みずくになった顔をふいた手拭いを地面にたたきつけて叫んだ。
「何事でや!!!」
「まあまあ落ち着いて。岩松八弥は?」
「はっ。あえて討たずに逃がしました。東へ去っていったゆえ今川の策であることは間違いなしかと」
岩松八弥は、暗殺の実行犯だそうじゃ。最も信頼する側近の一人であったが、喜六様の言に従い警戒しておったところ、巡回の途中に襲い掛かってきたところを撃退したとのことである。
「うん、東へ逃げたことがそのまま今川の仕業って言いきるのは多少言いがかりが過ぎる気はするけどね。ま、そういうことにしておこう」
そのやり取りで、岡崎で起きた椿事のことは承知していたのだろう。殿の顔に落ち着きが戻った。ギラリと白刃そのもののような視線をこちらにも向けてくる。
「……そういうことか。酒井とやら。口上を申せ」
殿は気色をあらため縁側に腰かける。きっと眦を釣り上げると、その場はピンと張りつめた雰囲気に変わる。酒井は庭先にひざまずいて口上を述べた。
「お殿様にはご機嫌麗しく、恐悦至極にござるでや。こたび、わが主二郎三郎広忠の言葉をお伝えせんとまかり越してございまするに」
「うむ、役目大儀でや」
「はっ、殿は清須殿との盟を望んでおられます」
「条件」
「竹千代様との縁組を」
「よからあず」
「ありがたき仕合せにて。これより岡崎に復命いたしまする」
「うむ、我が妹で年のころが似合いのものを見繕う。それまで竹千代はいかがいたすでや?」
「清須にてお殿様の側仕えをさせていただければこれに勝る仕合せはございませぬ」
嫡子を家来として仕えさせることは事実上の降伏宣言としてよい条件である。
「あいわかった。これより竹千代は我が義弟ゆえ、あだや疎かにせぬことを申し伝えるでや」
殿はその場で金打を打った。酒井自身も驚きの表情を浮かべるが、次の瞬間には喜色を満面にあらわす。
「若、これより当家と織田家はともに戦う間柄となりましたでや」
「さようか。三郎殿と争わずに済むはよきことでや……勝てぬだで」
竹千代の最後の一言はぼそりとつぶやいたはずだが、ここにいる全員の耳に届いた。酒井も顔色を変えずうなずいている。
「うむ、話は以上であるな? なれば我は清須に戻るでや」
殿は竹千代を前鞍に乗せ戻って行かれた。その様は仲睦まじい兄弟のようであった。
「ふう、織田上総の旋風陣ってやつだね」
「何やらどっと疲れましたわい」
「権六、老け込むには早いよ」
「いや、何が何やらわからぬまま事態だけが進みましてのう」
「兄上がわかってればそれでいいのさ。陣ぶれの用意だね」
「三河表でござるな。孫四郎! 貝を吹かせよ、太鼓を鳴らせ!」
法螺貝の音が響き渡り、陣太鼓が大きく打ち鳴らされた。城下の侍どもは具足をまとい登城してくる。
使い番が東へと走った。鳴海と安祥の間に大高の城が築かれ、その間を鷲津、丸根、中島などの砦で埋める。
「安祥の城の修築がまだ不完全なんだよねえ」
喜六様はいったいいくつの仕事を同時に動かされておったのか。砦普請は清須より命があって行っていた。安祥の戦支度も同じで、末森からも人を出してはいた。
砦を建てるにあたり、喜六様が用意した道具が大いに役に立ったとは伝わっておる。そのうえで、あらかじめ同じ寸法に切り出した材木を組み立てられるように加工し、現場ではそれを組み合わせるだけというやり方で、柵と陣屋を並みの普請の数倍の速さで行ったと聞いた。
「岡崎がこっちに付いたことはすぐに伝わるだろうし、三郎五郎兄上にも兵を出してもらわないとだね。三郎兄上の本隊がつくまで、岡崎を保持しないといけない」
「岡崎そのものは固き城ゆえ、籠城すれば持ちこたえることは能うのでは?」
「最悪安祥で受け止めることも考えてたんだけどね。去年一年間、当家で調達した鉄砲はすべて安祥に備蓄してある」
「なんとも……」
このことを見越して喜六様は動いておられたわけだ。別に儂が安穏としていたわけではない。兵を率いて一揆を討ったり、野盗を追討したりもした。
しかし、戦支度と言うものを根底から覆されたような心地であった。
岡崎に向け、兵を集結させつつあるそのころ、好事魔多しとはこのことをさすのか……最悪の知らせが飛び込んできた。
「美濃にて内乱にございます! 隠居の入道殿を当主義龍様が追討! 鷺山に籠城の構えにてございまする」
「なんてこった……」
喜六様は手のひらで額を覆い、嘆息された。
「……武田が暗躍しておるに違いなし」
「だろうね。今川と義龍殿は通じている。美濃にも援軍を出さないといけない。となると、うちの兵力は二分される」
「……殿はいかがお考えにて有りましょうや」
「んー。少なくとも美濃国境は固めないといけない。小六殿たちとつなぎは?」
「そもそも美濃の騒ぎはそちらからもたらされた知らせでありませぬか?」
「なるほど、たしかに。だめだね、動揺してる」
喜六様はすーはーすーはーと大きく息をしている。
「うん、これしかないね」
喜六様は地図を指さして告げた。
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