箱根の山と謀略
今度は間違いなく
箱根の山はその名を近隣のみならず、西国にも知られるほどの険峻な山である。小田原に織田軍が迫るとあって、箱根の山を中心に大規模な野戦築城が始まっていると間者から報告があった。
「いかがいたしまするや?」
興国寺のいくさの後、喜六様は安全圏にある浜松まで退いていた。風魔衆の奇襲が案じられたこともある。
「そのまま放っておくさ」
「でありますか」
「くく、兄上のまねかい?」
まじめくさって答えたが、喜六様の雰囲気に当てられてわずかな稚気が顔を出す。
「大殿のまねなど恐れ多いでや」
喜六様は儂の冗談が殊の外受けたようで、珍しく姿勢を崩して笑っていた。
「さて、北条が箱根に注力するならそれでいい。何なら小田原も攻めない」
「東からにございますな」
「そうだね。ただそれを読まれても面白くないから興国寺の番衆を増やす」
「はっ。されば甲斐衆を差し向けまするか」
「そうだね。あとは信濃からも兵を回そうか」
「はっ、されば駿府には兵糧と秣を集めましょうず」
「権六には北へ行ってほしいんだ」
「越前衆を率いて越後へ進めばよろしいですかのん?」
「そういうこと」
「されば雲八を側に置かれませ」
「わかった」
大島雲八は日ノ本一の弓の名手で、狙撃などと言った暗殺から身を守る意図がある。戦場で一人、弓一張りだけを手に多くの武功を上げてきた。
喜六様のお側には松平衆が付く。三河のいくさは儂と喜六様が名を挙げるきっかけとなった。今川からの支配脱却のきっかけとなったことで松平衆からの忠誠は篤い。家康自身も大殿に匹敵する大将であろう。
馬廻りを率いて東海道を西へ往く。北条攻めと号して集められた軍勢と幾度もすれ違った。
「権六殿が先陣に立たぬとはおかしきことにてあらあず」
「喜六様の勘気を被ったかのん?」
「彼の忠義一徹の御仁がか? それは面白き冗談でや」
「であるならば何やら謀があるのであろうず」
織田家の地位ある武将たちはこのように噂する。そうこうしているうちに、儂が越前にて蟄居との話が流れた。
理由付けとしては命令不服従である。武田の残党を大殿に諮ることなく降伏させた。それが大殿の勘気に触れたとされていた。
儂の挙動を隠すための隠ぺいであるが、北条には名高い風魔衆がおるゆえにどの程度の効果があるかは分からぬ。
伊賀衆と風魔衆の暗闘は織田領内でもささやかれている。身元不明の間者と思われる不審な死体が転がっていることなどもはや見慣れた光景であった。
越前に入ってひと月ほど、配下の兵をひそかに招集し、順次越中へと向かわせる。越中には佐々内蔵助が入っており、能登には前田又左が海路を使って越後へ兵力を送り込んでいた。
「殿、上杉様が来られておりまするに」
「通せ」
北の庄の居館に平三が訪ねてきた。
居室に入ると、越後の米で仕込んだという澄酒の徳利を座卓の上に置く。
「久しいな。大殿の勘気を被ったと聞くがのん」
にやにやと笑みを浮かべているのは、こちらの策をすべて読み切ったゆえであろう。
「うむ、勝手を責められてのん」
「くく、左様なる狭量な主君にあるまいが。その程度のことでとがめられておれば儂のこの首はつながっておらぬでのん」
平三の言うことはもっともである。そもそも降伏を受け入れるとして安土なりに呼び寄せ、そのまま討ち取ってもよいのだ。現実は安土で謁見も行い、越後一国を安堵されている。
「うむ、であるのう」
お互いに笑いが上がったのちに、本題に入る。
「上野には北信濃をまとめる真田が手勢を差し向ける」
「小勢であるが問題ないかの?」
安土の大殿より送られてきた書状には大まかな兵力と率いる将の名が記されていた。そして攻め入る方向も。
「あやつが知略は底が抜けておる。いくらでも沸きだして来よう」
「山岳戦ならば敵なしと聞いておるのん」
「そういうことじゃ。山に分け入って縦横無尽の働きを見せてくれるに違いなし」
「されば儂は越後の衆を率いて北から攻め寄せる。そのまま上野を抜き、武蔵に入るか」
「幾度も通った道であろうが」
「うむ。しかし此度は関東管領のごとき名分がない。故に関東諸将も敵に回るであろうのう」
「なに、まとめて平らげればよからあず。かの地はそれこそ鎌倉殿の御世から土着しておる古だぬきの巣窟じゃ。なれば一度きっちりと平らかにするがよかろうが」
「……名家を滅ぼして回るというのかの?」
「新しき世を分からぬ者どもなればのう」
世間に流布された噂では、武田の残党を打ち破ったのち、富士川で合戦に及んだ。北条の攻撃をしのいだのち、なんとか打ち破り、興国寺の城を落とすことに成功した。
北条の底力侮りがたしと軍を止めた喜六様と、一気に攻め寄せよと主張した儂の意見が食い違い、大殿よりの命で儂が引き下がったとされている。
実際に攻め寄せれば小田原までは行けたであろうが、下田の水軍衆に横を突かれていたであろう。
そうなれば前後を敵に挟まれる情勢になり、負けは必須であった。
実際のところ北条の軍は織田家に良いようにやられている。野戦であれまず負けは無い。問題は補給線と天下一の堅城たる小田原城であった。
実際に攻め寄せて攻めきれずに撤退した二人が様々に手を考えていた。問題はどちらも長期間の攻囲を維持できなかったことだ。
故に、まずは小田原につながる支城をつぶすこと。同様に伊豆を完全に制圧して水軍の支援を断つこと。
そして包囲を続けることのできる補給線を確保すること。
「難題じゃのう」
儂のつぶやきは宙に溶けて消えていった。
織田を退けたという情報に関東は沸き立った。これが敗北してさらに責められているという情報であれば北条もその火消しに躍起になったであろうが、倍する兵力と互角に戦い、興国寺を落とされたがそこで食い止めることに成功した。
織田は北条を恐れて講和を申し出たが、北条の方で断っている。
北条の方では当惑していた。なぜこちらに有利なうわさが流れているのかがわからない。
関東諸将では織田に対抗すべしとして北条の傘下に入る、もしくは同盟の使者がひっきりなしに訪れている。
彼らの援助から、先のいくさの損害の補填もできているし、箱根山の要塞化も進んでいた。山そのものを城砦とするその工事は、小田原城という巨大な城郭を作り上げた北条家の技術が余すことなくつぎ込まれている。
織田は駿河方面より攻め寄せてくる。そう信じ、北条家は軍備に余念がなかった。




