表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
107/112

富士川の戦い

「孫子に曰く、敵半ばを渡らば撃つべし」

 川の真ん中で身動きが難しくなっている今川勢に川向かいから矢が降り注いだ。盾をかざそうにも川の流れに足を取られ思うに任せない。


「疾く前に出るのでや! 川の半ばは三途の川よ!」

 岡部五郎兵衛が兵を叱咤する。鎧の盾に矢が刺さるがものともせずに前進し、敵前衛に槍を付けた。

「岡部に続け! ここで無様を見せたならば末代までの恥となろうぞ! ここを先途に討ち死にの覚悟で進め!」

 馬上で采を振るう姿は東海一の弓取りと呼ばれた父に劣らぬ気勢である。


「喜六様、今川の嫡子は柔弱なる者と言われておりましたが、なかなかの武者ぶりですのん」

「ああ、甲斐で何があったかだよね。家中の分裂を避けるためにあえてそのようにふるまっていたのかもしれない」

「いかさま、左様にてござりましょうなん。さもなくば岡部、朝比奈と言った侍大将どもが付き従うことは難しき仕儀にて」


 凄まじい勢いで川を渡る今川衆の左手後方から松平蔵人率いる一隊が攻めあがる。

「であえい! 本多平八郎でや!」

 先だって代替わりした本多忠勝が代々の名乗り、平八郎を名乗り槍を振るう。彼の武者は尾張の儂のもとを訪ねてきて、又左や儂に挑みかかってきた。後の先を取る槍さばきはなかなかに見事な腕前であった。


「榊原小平太でや! であえい!」

「酒井小五郎、推参なり!」

「血鑓九郎の前を阻む者はおるかや!」

 今川衆の側面を突こうとした敵の一手を松平衆が阻む。

 喚声と怒号が飛び交い、東から吹く風は血の臭いをこちらまで運んできた。


「喜六様、後詰の北条は静観の様子にてござりまするに」

 藤吉郎のよこした物見の報告に喜六様は渋面を作る。

「要するに武田は捨て石か。あわよくば駿河を切り取って遠州を境として和睦と考えたんだろう」

「……でありましょうなん。武田に降伏を促しまするか?」

「無駄だろう。彼らは死に花を咲かせたいのさ」

「されば……」

「ああ、無駄な人死には出したくない。鉄砲衆、前へ」

「内蔵助、行けい!」

「おう!」

 佐々内蔵助の率いる鉄砲衆が前衛に出ていった。前線はすでに河原から先に押し上げられ、戦力の差と、死兵となった今川衆の勢いに武田の兵はじりじりと押し込まれている。


「叩け!」

 最前列に出た槍足軽が垂直に立てた槍を敵陣に向けて振り下ろす。内蔵助率いる鉄砲足軽衆がじりじりと歩を進め、今川衆の右側に布陣した。

 先手の侍大将が鉄砲の筒先に気づき、中備えを押し出そうとした刹那、内蔵助の采が振られた。

 乾いた破裂音と煙硝の匂いが戦場を満たす。煙が晴れた後には倒れ伏す武田の兵がうめき声をあげていた。


「突けぃ!」

 温存していた本陣備えの騎馬武者が一気に突き進み、先手と中備えに打ち込まれた銃弾が開けた穴をこじ開ける。この勢いに武田の兵は徐々に下がり、自らが築いた善徳寺の砦へと退却した。


「うむ、見事なる采でや!」

 敵が乱れた刹那を逃さず振るった采の呼吸は、かの雪斎禅師を思わせる。

 小豆坂のいくさでは変幻自在の采配にしてやられたことも相まって、今川の軍法の奥深さを感じた。


「北条の兵が攻め寄せてござりまするに」

 物見が声を上げた。形ばかりの足取りであるが、味方を見捨てては外聞が悪いと見える。

 砦の門を押さえてはいるが、先手の兵にはもはや余力はなかった。


「本陣を押し上げるんだ」

「本陣備え! 前でや!」

 喜六様は渋面を崩さない。普段から柔和な方が、実に珍しきことであった。


「北条は誤った。武田に投降を呼びかけよ!」

「は、ははっ!」

 喜六様が見せた怒りの片鱗は使い番の武者にも伝わったのか、飛ぶように駆け出す。

「北条を名乗る前は伊勢を名乗っていたかの家の本貫の地は伊豆だったね」

「お、おう。左様にてござりまするが」

「織田に喧嘩を売るという意味をしっかりと分かってもらおう。者ども、敵は下がるぞ! 追い打ちをかけよ!」

 本陣備えは左右に展開し、駆け出す。

 形ばかりの加勢をしようとしていた北条の先手は旌旗揺らぎ、戦う気はあまりないような振舞であった。


 本隊は武田の砦を包囲するように陣取り、取り囲んだ。この重包囲を破るには外と中から息を合わせて攻めなばならぬ。

 喜六様の側には大島殿をはじめとする武辺者が固めている。彼らの方を見るといい笑顔でうなずいた。


「武田を助けようと攻め寄せてくるならば通してやれ。逃げるようなら追い首を上げよ!」

「はっ! 鐘馗衆、続け!」


 緋縅の鎧武者たちが鬨を上げて駆けだす。

「垪和勢、防げ!」

 伊豆衆を率いる富永直勝が命じると、先鋒にいた一手がこちらに向かってくる。


「遅いでや!」

 織田家の軍法は神速にある。前田又左に率いられた我が馬廻りは陣列を整える前の敵勢に斬り込み、叩き伏せた。

「ぐふっ!?」

 一文字に敵勢を斬り裂き、先手の物頭を討ち取ると敵の先陣は一気に崩壊する。


「穿ち抜け!」

 第二陣を率いる拝郷家嘉は先手の空けた陣列をふさごうとする敵勢を突き崩す。


「撃て! 撃て! 撃て!」

 そのまま前進してきた佐々の鉄砲衆が筒先を冷やす暇のないほどの猛射を浴びせてきた。

 源平のころのいくさとは様変わりした銃声に、坂東武者を名乗る者どもが打ち倒されていく。


「上方の侍に負けてなるかや!」

 それこそ重代の鎧をまとった武者が刀を振るって飛び出し、銃弾に貫かれて断末魔を上げる暇もなく倒れる。

「南蛮胴丸でなくば種子島を防げぬでなん」

 弧を描くようにかたどられた南蛮胴丸は真っ向から撃たれない限り、銃弾の向きをそらす働きがあった。

 これにより銃撃戦が多い畿内のいくさで鉄砲足軽の死傷は大いに減っている。


「源平のころのいくさしか知らぬ奴ばらに織田のいくさを教えてやろうず。撃て!」

 

「あ奴らはいかようにしてあの玉薬をそろえておるのかや!」

 先陣を率いる富永の悲鳴のような声は北条全軍の疑問を替わりに叫んだような有様であろう。

 種子島一丁で足軽数人分の銭がかかる。さらにその手入れと、弾丸、玉薬がなければただの鉄の棒と化す。

 用意した鉄砲はそれを武器として保つために恐ろしいほどの銭を使うのだ。


 さらに鉄砲の扱いに長けた足軽は、織田家において並みの足軽以上の禄を用意している。琵琶湖の水運を支配した織田にあがる運上は奴らの計り知れるものではなかった。


 五百を数える筒先が間断なく弾丸を吐き散らし、銃声のたびに鎌倉以来の家柄を誇る由緒正しき武者が倒れていく。

「卑怯な! 上方の武者はいくさの作法も知らぬのか!」

 銃弾の雨あられの中に立ちはだかり、蛮勇を見せた武者がいた。その振る舞いに敵の士気が盛り上がる。


「されば一矢、馳走仕る」

 儂の隣に控えていた太田牛一がスッと前に出ると、弓を引き絞り放った。


「ぐがっ!?」

 大口を上げてこちらを罵っていた武者の口の中を射抜き、かの勇敢なる坂東武者は永遠に物言わぬ身となりはてた。


「やあやあ! とおからば音に聞け、近くば寄って目にも見よ! 柴田権六が家臣、太田牛一が弓の腕前、とくとご覧あれ!」

 鎌倉のころのような名乗りを上げて矢継ぎ早に放った矢は、次々と鎧の隙間を射抜いていく。


 かの頼朝公はこの地でいくさに勝って上洛の道を切り開いた。時は移って上方を押さえた我らが東国へと攻め寄せ、迎え撃つ坂東武者と干戈を交える。


 次々と討ちこまれる銃弾の被害を無視できなくなったのか、北条軍はそのまま退き始めた。

 興国寺に兵を残し、国境だけは何とか固めようとしている。


「木下衆は向かい城を築くでや」

「合点!」

 藤吉郎は言葉少なに答えると、配下の兵を率いて周囲の地形を探りに出た。


 富士川のいくさで北条の先手は甚大な損害を被り、少なくとも伊豆から出てのいくさは難しいと言えるほどの情勢となった。

 箱根の峠を越えて北条の本隊が出てくるならばともに討ち取ってくれようかと味方は意気を上げるが、下田の水軍に背後を脅かされるかもしれぬと喜六様のお言葉にうなずいた。

読んでいただきありがとうございます。

感想、ブックマーク、いいね、ポイント評価、そしてレビュー。

全て作者の創作の燃料となっております!

以下新作です。こちらも読んでいただけましたらうれしいです。


ハード目のファンタジー作品となっております。

https://ncode.syosetu.com/n2406ho/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ