大物見
「さて、舟橋はできた。先陣は誰に任すかねえ」
黒鍬衆を率いる木下藤吉郎と美濃川並衆はすでに川向うに陣を構築している。そこに北条の手勢が小刻みに襲撃を仕掛けるが土塁を盛り上げ、板塀を巡らせた陣城は小動もしない。
ただ、此方から攻めかけるには木下衆だけでは小勢に過ぎた。
「木下の加勢に向かう者はいないかね?」
「我らが!」
真っ先に手を上げたのは松平党であった。
「蔵人殿。では貴殿に任せよう。目付に権六を伴ってもらうよ」
「柴田様の前で無様ないくさはできませぬでなん。励ませていただきまする」
「権六、頼むよ。敵の先鋒は武田残党だ。手負いの獣みたいに追い詰められてるからね、松平党に無用な損害が出るかもしれない」
「出鼻をくじけと言うことにございまするな?」
「鐘馗衆の初陣だね」
「ガハッ! お任せあれ」
鐘馗衆とは儂の旗本であるが、朱に染め上げた戦装束に統一している。武田における飯富衆のようなものだ。
二つ雁金の旗を掲げると、百騎の旗本衆は手槍を掲げ鬨を上げる。
「なんとも……凄まじき武者どもでや」
「うむ、彼の者らは一騎当千の精兵と聞くぞ」
「率いるは彼の鬼柴田であろうが、獄卒も蹴散らすであろうがなん」
朱の具足をまとった徒士武者が素早く走り、舟橋を渡る。
先頭を走るのは拝郷家嘉。中段に儂が率いる十騎。そして後ろ備えは佐々内蔵助。
渡り終えたのちは素早く陣列を組み、足音すら一つにまとまって行軍する。
その動きに川向うの本陣からどよめきが上がる。
北条の本隊は三万を数える。大将は伊豆の旗頭である北条助五郎氏規であった。
柴田衆の後を追って松平衆五千が続々と川を渡る。さすがにその動きを見て北条の先手二千ほどが動き出した。陣列を組む前に先を阻み追い落とすつもりであろうか。
「蔵人殿。儂がひと当てしてまいるでや」
「権六様、本多の一党をお連れくだされ」
「なに、大物見でや。すぐに戻るでなん」
儂が馬を進めると周囲を囲むように兵が走る。騎馬武者が先頭に立ち、徒士の武者はその後ろに付き従う。
急に動き出した我が手勢に敵の先鋒は勢い任せに飲み込まんと歩を速めた。
「放て!」
儂の命に従い、先頭の武者が矢継ぎ早に矢を放つ。彼の昔、元寇の蒙古騎兵は駆けながら矢継ぎ早の妙技を見せたという。
同じ人のすること、日ノ本の武者が同じことができぬ道理はない。
喜六様の知恵を借り、短弓を改良したものを作り上げた。駆ける騎馬武者から矢が放たれると思っていなかったのであろう。矢避けの盾もなく先頭の兵が倒れる。
「なっ!?」
先頭の武者が馬首を返す。そのまま弧を描くように方向を変えつつ、横向きに矢を放つ。
その動きについてこれず、敵勢は足を止めた。そうなればただの的である。
先頭は足を止め盾を置く。
それを見て取った中段の又左は一直線に敵勢に切り込んだ。
「前田又左衛門推参なり!」
朱塗りの大身槍を振るって敵の陣列をさんざんに蹴散らす。
「我は佐脇藤八でや、出合えい!」
前田の兄弟は息の合った戦いぶりを見せ敵の前列を真っ二つに割った。
「かかれ! かかれ! かかれえええええええい!」
「殿に続け! 遅れて恥をさらすな!」
槍をしごくと儂も打って出る。旗本どもも一文字に敵のただなかに突貫する。
「我は柴田権六でや! 我が首取って手柄にするがよからあず」
名乗りを上げると敵の先陣が……崩壊した。
「鬼じゃ! 鬼でやああああああああ!」
「敵わぬ、血まみれの鬼に喰われるでや!」
「うわああああああああああああ!」
「平八郎! 権六様に続け!」
「応! 突撃!」
蔵人殿は敵の先陣が乱れるのを見て即座に今いる手勢に突撃を命じた。見事な采配である。
松平党の数は千に満たぬが、儂に続けと士気は高い。
「柴田様!」
「おう、平八郎殿か。彼の備えを崩せるか?」
「承知仕ったでや」
蜻蛉切と異名を持つ槍を掲げ、獲物を見つけた猟犬のごとく速さで突き進む。
「二の段、敵左翼を衝け! あの備えを食い破るのでや!」
「おおう!」
「小平太、ゆけ!」
「はっ!」
ある程度兵の兵がまとまるたびに蔵人殿は兵を繰り出す。その目は敵勢の乱れを突き、敵兵は四分五裂の状態となった。
「敵先手大将は本多平八郎が討ち取ったでや!」
あまりの速攻に敵は二の手を出す暇もなかった。
「柴田様。お見事なる手並みにございまするに」
「うむ、我が手勢がよく働いてくれたでや」
本多平八郎が返り血にまみれたいでたちで我が側に寄ってくる。
「敵が引いていきますでや!」
先鋒があまりに見事に蹴散らされた姿を見て、警戒したのであろう。
物見の報告に周囲の兵が沸く。
「勝鬨でや! えい、えい、おうううう!」
唐突に聞こえてきた声に思わず振り返ると、喜六様がわずかな兵と共に先陣に混じっていた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおう!」
兵どもは沸き立つが、こちらは気が気でない。武田の軍法からすれば、ここに一人弓の達者を潜ませればよいのだ。
「権六殿、ご懸念には及ばぬでや。すでに我が弓で不届き者は討ち取ってござるでなん」
「おお、まことかや」
「うむ、儂とて幾度か伏奸をしたことがあるでなん」
雲八殿の一言に緊張がゆるむ。
「周囲に伏勢の能う場所はありませぬでや」
陣城から藤吉郎が手勢を率いてこちらに合流していた。対岸を制圧したことで、西岸にいた荷駄隊が次々と物資を陣城に運び込み始める。
「ふむ、川並の者どもからすれば容易きことにて有らずか」
「左様にございまするに。舟橋、陣城の普請にて周囲の百姓どもは手懐けておりますでなん」
「……これが織田のいくさにございますか」
井伊の地頭殿がぽかんとした顔を浮かべていた。
「刈田狼藉は世の常だけどもね。それは何も生み出さない。焼き払われた田んぼを元に戻すに何年かかる? 土地を失った百姓どもは焼かれた恨みを忘れない。殿様でござるとふんぞり返るならまず彼らに平穏を与えるべきだよ」
「それは、織田の立場あってこそのことでありませぬかのん?」
「うちの父上はね、いまでこそ守護代とか言ってるけども、もともとはその守護代の家臣の家老の家柄だよ。多くの家臣を死なせ、より多くの敵を討った。そこは何ら変わらないけどね」
「……しかし」
「うちにはね、権六がいた。日ノ本一の侍大将がね。その武辺で戦わずして勝つことができた。あとはまあ運が良かったんだと思うよ」
「柴田様の武勇が家運を呼び込んだと?」
「どうかね? ただ権六は常に忠義一筋で働いてくれた。彼の下には良き武者が集った。強く在らないと奪われる。けどね、そんなこといつまでもやってちゃいけないんだと思うよ」
「……殿。この井伊直虎をいかようにもお使いくだされ。井伊谷の所領も献上いたしましょう」
「そんなことを勝手に決めていいのかい?」
「そも、すでに領民どもは織田に降っており申すゆえなん。いまさら井伊家が出て行ってもまとまりはしますまい」
「つまり、僕の個人的な家臣になるってことかな?」
「左様にございます」
「いいでしょ。認める。井伊谷の年貢分の俸禄はあげるよ」
「はっ、ありがたきお言葉にてございまするに」
主従の契りを見守りつつ、東の方に目をやった。先陣が敗れると、いっそ思い切りがいいほどの速さで敵は陣を引いた。つまりまだ余力があるということだ。
改めての合戦に思いをはせつつ、木下衆の人夫達が立ち働くさまを見ていた。
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